小島:
CO₂排出量の削減に向けて、2024年5月のG7で、排出削減対策のない石炭火力発電を2035年までに段階的に廃止することで合意をしましたが、この時日本はちょっと渋りました。これは日本の石炭生産量と輸入量に関係しています。
明治の近代化に伴って、日本は1900年以降に石炭の生産を本格化しました。1945年には敗戦によって生産が落ち込みましたが、その後はエネルギー源として生産を増やしていきました。しかし50年代に入ると、コストや石油との関係で、炭鉱が閉鎖されていきました。今でも北海道に石炭を掘っているところはありますが、全体から見るとゼロに近いくらいの生産量です。
一方で現在の輸入量は1億8,000万トンです。日本で石炭を一番掘っていたのが1940年で、これが5,600万トンなので、当時の採掘量の約3倍ですね。
小島:
私は以前鉄の会社に勤めていましたが、「日本で取れないものを大量に輸入して使うってどういうことだろう」と矛盾を感じたことが石炭の研究をしようと思ったきっかけのひとつでした。
また、世界的な流れが脱石炭になっている中、脱石炭をした後はどうなるのかを考えたいと思い、山口県に移住して研究しました。
小島:
脱石炭といっても、「石炭をやめて終わり」ではありません。石炭関連で働いてきた労働者の雇用、石炭に依存していた地域社会の経済、炭鉱を閉鎖した後の環境問題など、一つの炭鉱が閉鎖することに関連する問題だけでも様々なことがあります。
こうした「残存物(remains)」は今でも存在します。例えば、クリーンエネルギーへの転換ということでかつて炭鉱があった地域に太陽光発電を導入する例がありますが、ボタ山(石炭の採掘によって生じた廃棄物を集積してできた山)などの地盤が脆弱な場所に太陽光発電設備を設置することで危険が生じるケースもあります。
また、炭鉱跡地の地盤沈下や地下水の悪臭問題、じん肺などの病気の苦しみは今もなお続いています。
小島:
私は、 2020年から2022年にかけて山口県美祢市に移住して、歴史を調べたり地域の方にインタビューをし、こうした残存物の問題を考えてきました。石炭というと過去のものというイメージがあるかもしれませんが、現在進行形で問題を抱えています。みなさんにもぜひ考えていただきたいと思っています。