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《「サブスタンス」怪演で大喝采》16歳で自立、摂食障害、妊婦ヌード、3度の離婚…「役を地で行く人生」デミ・ムーア(62)が今再評価されるワケ

  • 2025年5月17日
  • CREA WEB

「よりよい自分を夢見たことはありますか?」。もし「完璧な」の分身を手に入れるとしたら、あなたはどうするだろう……。

 そう問いかける映画『サブスタンス』(日本公開中)は、奇抜なヒット作だ。外見・若さ至上主義の芸能界で50歳になった瞬間に解雇されてしまった元スター女優が、若く美しい分身を生む秘薬に手を染め、もう一度成功を目指して暴走していく……。


『サブスタンス』より ©2024 UNIVERSAL STUDIOS

時流に見事に合致した「ルッキズム・ホラー」

 舞台はハリウッドでありながらフランスで制作されたグロテスクなホラー映画で、いわば「ゲテモノ」的な怪しさに包まれている。しかし、海外で公開されると、推定4,500万人のSNSユーザーのあいだで口コミが爆発。7,700万ドル(約113億円)以上もの興行収入を記録した。

 ルッキズム・ホラーとも言える『サブスタンス』は、時流とみごとに合致した衝撃作だった。登場する秘薬は、美容整形を彷彿とさせることはもちろん、現在「魔法の減量薬」として流行中の糖尿病治療薬マンジャロやオゼンピックにも似ている。SNSを通して一般人も容姿をジャッジされたり、他人と自分を比較して不安になってしまったりすることが増えた今、女性を中心に共感を集めた映画であることはまちがいない。


『サブスタンス』より ©2024 UNIVERSAL STUDIOS

 主演は、あのデミ・ムーア。1990年代の全盛期には「人気はあるが演技力はない」と評価されることもあったハリウッドスターだが、今回、60代にして美と若さに取り憑かれる様を怪演。これが「命がけの演技」として称賛を集め、ゴールデングローブ賞や全米俳優組合賞を受賞。さらに、キャリア初のアカデミー賞ノミネートを果たす復活劇の契機となった。

 話題になったのは、デミ自身が「役を地で行く」と言われる地獄を経験してきた存在であることだ。

16歳で自立、摂食障害、妊婦ヌード、3度の離婚…

 1962年アメリカにデミ・ジーン・ガインズとして生まれた彼女の幼少期は、ひどく不安定だった。父はDVと浮気、母は自殺未遂を繰り返し、中学生になるまでに経験した引っ越しは約50回。15歳で大家から性暴行を受けたことで自立を決意し、次の誕生日を迎えた瞬間に家を出た。

 成人といつわりハリウッドでセクシーモデルとして生計を立てていたデミは、17歳にしてアラサーのバンドマン、フレディ・ムーアと交際。父が自殺したことのショックで急いで彼と結婚するが、1980年代、20代となったデミが映画界で成功すると夫婦の間の溝が深まり、結婚生活は5年で終わった。

 その後もデミの快進撃はつづいたものの、私生活ではドラッグとアルコール依存に苦しんだ。薬と酒を絶ったあとも、見た目と体重への不安は非常に強かったという。保護者からのケアも、教育も受けたことがない孤独なアイドル女優として「自分の価値は見た目がすべて、自分を犠牲にしなければ愛されない」と思っていたと振り返る。


当時のデミ・ムーア ©Aflo

 1990年代になると、主演した恋愛映画『ゴースト』(1990)が大ヒットしトップ女優に。アクションスターのブルース・ウィリスと夫婦にもなり、三人の娘に恵まれている。しかし、業界幹部や世間から「太りすぎ」あるいは「痩せすぎ」と言われつづける環境で、容姿への不安は高まりつづけていった。雑誌で妊婦ヌードを披露して話題になったが、それも自信のなさを克服しようとしていたからだったと明かされている。

 役づくりのため産後の体型を戻そうとつとめた『ア・フュー・グッドメン』(1992)のころには、極度の摂食障害を発症。夜通し授乳を行ったのち、トレーナーと早朝に起床し、スタジオまで自転車で90キロ通勤して通常12時間の撮影を終えると、また夜間育児に戻る繰り返しの日々。毎日の食事はオートミール半カップとタンパク質、野菜くらいだったため、母乳が栄養不足になってしまっていた。その後5年にわたり、飢餓と運動依存の生活サイクルに陥ったという。

 海兵隊を演じた『G.I.ジェーン』(1997)での過酷なトレーニングを終えたとき、限界がきた。映画界では、人気男優たちと同じようなギャラ交渉を行った結果、「強欲な女」と叩かれていた。夫のブルースからは、キャリアの追求より家事育児を求められて溝ができ離婚。さらに、疎遠だった母親を看取ったことで精根尽き、仕事を減らし子育てに専念するようになった。

 40代になった2000年代には、整形疑惑など、もっぱらゴシップで注目されることが増えた。とくに注目を集めたのは、15歳年下の俳優アシュトン・カッチャーとの三度目の結婚。しかし、ロマンスは長くつづかなかった。若かったアシュトンに合わせようとしたデミは、20年間の禁酒を破り、悲劇的な流産を経験したことで再度アルコールとドラッグに依存するようになった。結婚6年目、浮気していた夫が離婚を申請したことをニュースで知った。

「自分で自分にやったことが一番ひどかった」どん底からの再起

 50代のデミはどん底に落ちた。仕事にも人づきあいにも後ろ向きになり、良好な関係を築いていたブルースや娘たちとも疎遠に。テレビすら見られないほどに弱っていた2012年、娘がひらいたパーティーでドラッグを吸引し、緊急搬送された。

 しかし、どん底を経験したことで、再起が始まる。リハビリを経て、幼少期のトラウマに立ち返り、亡き母親を許すことで家族との関係を修復。人生を振り返る自伝『Inside Out』(2019)はベストセラーになった。

 60代にしてようやく安定を得たデミが惹きつけられた脚本こそ『サブスタンス』だった。40歳の誕生日を迎えたコラリー・ファルジャ監督が「もう女として終わり、社会にとって用無しの存在になってしまった」と感じてしまった絶望から生まれた物語だ。


『サブスタンス』より ©2024 UNIVERSAL STUDIOS

 デミが脚本に惹かれた理由は、なにも役柄の境遇に自身を重ねたからではなかったと語る。主人公のエリザベスは仕事一筋の人生だったが、彼女には愛する家族がいる。芸能界や世間における、容姿・若さ主義への批判を糾弾したかったわけでもない。そうした外部の物差しこそ自分の価値と思い込んでしまった人間が己にくだす暴力の描写にこそ共感したのだ。

 彼女は、激動の人生を振り返って断言する。「人からやられたどんなことよりも、自分で自分にやったことが一番ひどかった」。

 彼女の持論は、この映画が熱烈な支持を集めた理由も示しているかもしれない。二人一役の『サブスタンス』では、自己嫌悪や自己破壊といった「うちなる暴力」がこれでもかというくらい視覚化されている。多くの観客の共感を集めたシーンは、主人公がデートに出かける前、自身の容姿に嫌悪感を感じ、何度も化粧をやり直してしまうシーンだった。観客からしたら、一歩ひいたかたちで「自分も自分を痛めつけているかもしれない」と考える機会が与えられるのだ。

デミ・ムーアが体現してきた「自分で自分を変えていく強さ」

「そこで問題を見つめ直せれば、強くなれる。(世間や他人は変えられなくても)自分がしてることなら自力で変えられるから」とデミは語る。自分で自分を変えていく強さ。それこそ、デミ・ムーアが体現してきたものだ。


2025年アカデミー賞授賞式に出席したデミ・ムーア©Aflo

 振り返ってみれば、デミの激動の人生は、同時に映画業界にとどまらない影響を残してきた。当時スキャンダラスとされた妊婦ヌードは「包み隠されるべき神聖なもの」として扱われてきた妊娠中の女性のイメージをもっと自由にした。ギャラ交渉は、男女平等賃金運動の先駆けだった。そして、皺やたるみを隠さず挑んだ『サブスタンス』では、見過ごされがちな自身に対する精神的暴力を描き出した。

 アカデミー主演女優賞には惜しくも届かなかったが、授賞式前に長女ルーマーが贈った賛辞こそ、デミ・ムーアの功績を物語っている。

「母は決して、楽な道を選んできませんでした。限界を押し広げ、想像を裏切り、何度だって女性たちのために道を切り拓いてきたのです。今もなお、最前線で証明してくれています。人間の偉大さとは、才能にかぎらず──情熱や忍耐、自分を信じる力によって築かれるのだと」

文=辰巳JUNK

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