人間関係の機微に目を向け、人と人が関わり合う悲喜こもごもを描いてきた玉田企画主宰にて作演出を手掛けてきた玉田真也。3月27日(木)から上演される『地図にない』は、近年映画やテレビドラマの脚本を担当することも多かった玉田の2年半ぶりの新作だ。
これまではカラオケボックスや一軒家など限られた空間の中で起きる出来事を描いてきた玉田は、今回初めて、フィールドワークを通じた作品制作に取り組んだという。行き先として選ばれたのは、出身地からもほど近い能登半島。近くて知らない土地へ身体を投げ出した玉田は、そこで何を感じ取ったのか。フィールドワークの体験は『地図にない』へどうつながっているのか。
──3月27日から始まる『地図にない』は、玉田企画2年半ぶりの新作です。玉田さんは近年映画やドラマの脚本を書かれる機会も増えていますが、久々の演劇作品はいかがですか?
玉田企画の新作をつくるときは、いつもリハビリから始まるんです。特に今回は演劇の脚本を書くのがめちゃくちゃ久しぶりだったので、「こういう書き方って成立するんだっけ?」「こういうときってどういうふうに書けばいいんだっけ?」みたいなことを思い出しながら、少しずつ感覚を取り戻そうとしてますね。
──映画やドラマとは書き方も変わるものなんですね。
そうですね。たとえばセリフって特定の場所と俳優、シチュエーション、相手との関係性を踏まえて考えるものなんですが、演劇の場合は俳優の身体とセリフだけでシーンを成立させなければいけないので、映画やドラマよりもセリフの密度を高めないといけないんです。映画の場合は俳優とセリフ以外の情報がたくさんあるので、やはり同じ感覚では書けないですね。
──作劇のプロセスにおいては、今回初めてフィールドワークも取り入れられたそうですね。玉田さんが生まれ育った石川県を何度か訪れたと伺いました。
ぼくが小学生から高校生まで暮らした内灘町という町から始まり、のべ3回ほど石川県を訪れました。金沢のベッドタウンにあたる内灘町は干拓でつくられた町で、海と湖に囲まれているんですよね。その風景は今回の作品にも少し反映されています。金沢や内灘町を訪れたあとは、奥能登や中能登の方も訪れました。その際に能登島という内海の島にも足を延ばして、旅館に泊まったり水族館に行ったりしたのですが、そのイメージも作品に反映されています。
──奥能登は2024年の能登半島地震で大きな被害を受けたエリアでもありますね。
奥能登はいまも震災の被害が残っていますし、荒波の立つ日本海に面していて、荒々しい印象が残ったのですが、山を越えて中能登に来るとすごく静かで、イルカが泳いでいたりもする。そのギャップが記憶に残りましたね。
──フィールドワークを通じて得られた景色や情報を作品のなかに取り入れているわけですね。玉田企画の作品ってどちらかというと身近な世界にフォーカスしている印象が強かったのですが、従来とは制作プロセスを変えようとしているのでしょうか。
書き方や展開のつくり方は自分なりの手法を使っていますが、題材の選び方を変えたので、これまでの自分のなかにはなかったようなネタがたくさん入り込んできている気がします。ドラマターグとして脚本や演出をサポートしてくれている森(一生)くんが普段自分でなにかつくるときはリサーチを行っていると言っていたので今回取り入れてみたんですが、行ったことない土地で得られた情報を取り込んでいくのはすごく新鮮でした。
──こうしたフィールドワークって、どのように進められるものなんでしょうか? 最初にテーマを決めて場所を選んでいくんですか?
普通はある程度調べたいテーマを設定したうえで訪れる場所を決めるらしいんですが、今回はあえて何も決めずに、まず自分が生まれ育った金沢を訪れてみることにしました。だから、言ってしまえばべつに興味がない場所に行ってるんですよね。こういう芝居をつくりたいからこれについて調べたいという目的意識もないので、最初は「こんなリサーチで大丈夫なのか?」と不安にもなりました(笑)。
ただ、東京に帰ってから道中の出来事を細かく書き出していくと、意外な出来事のつながりや共通する要素が浮かび上がってきて、芝居の設定やテーマのヒントになりそうなことがたくさん見つかったんです。そこからはリサーチもどんどん面白くなっていきましたね。
──なにか発見が広がるようなきっかけはあったんですか?
異世界に入っていくような感じ、ですかね。たとえば奥能登から能登島の方へ移動したときは山を抜けるだけで雰囲気が一変しますし、能登島にある須曽蝦夷穴古墳という古墳を訪れたときは急に音がまったく聞こえなくなる場所が出てくるなど、ちょっと異世界に入っていくような感覚、一線を越えていくような感覚があって。そんな感覚を軸にして今回の作品をまとめていけるんじゃないかと思ったんです。
──『地図にない』というタイトルともつながりそうなエピソードですね。
地図にまだない、地図にまだ生まれていないような場所に行くような感覚ですね。
──やはりこれまでの玉田企画とはアプローチが大きく変わっているような印象を受けます。なにか変化のきっかけがあったんでしょうか。
同じような世界だけを見ているような気がしてきてしまって、自分が書くものに飽きてしまったのかもしれません。自分の仕事や身の回りの環境はあまり変わらないので、普段見ている風景も変わらないし、書くことも同じようなものになってしまう。無理矢理にでも外部からの刺激を入れたほうがいい気がしていました。
──外側への関心が高まってきた、というか。
これまでは自分の身の回りの世界にある面白いことを起点としながら膨らませていくことが多かったんですが、今回は書き進めていくなかで、これも使えるあれも使えるとリサーチを通じて得られたネタが思い浮かぶようになったのは大きいですね。
──今回出演するコンプソンズの金子鈴幸さんと劇団普通の石黒麻衣さんは、俳優として活動されるだけでなく、ご自身の劇団で劇作と演出を務められています。なぜ今回おふたりが出演されることになったんでしょうか。
石黒さんはオーディションに来てくれて、めちゃくちゃ面白かったんですよ。ぼくの過去公演のテキストから抜粋して演じてもらったんですが、ほかの方々よりも頭ひとつふたつ抜けてましたし、オーディションの現場でもすごく笑いをとっていて。個性もわかりやすくてキャッチーだから、この人に出てもらえたらなにか面白いものを書けるんじゃないかと感じました。
金子くんのことは以前からコンプソンズを観ていたので知っていて、こういう感じの人って面白いよなとずっと思ってました。後輩感を出すのがすごくうまいんだけど、同時に「こいつほんとにそんなこと思ってるのか?」と感じさせるような胡散臭さがあって(笑)。
これまでの玉田企画でも桃尻犬の野田(慈伸)くんやテニスコートの神谷(圭介)さんに出てもらっていましたし、振り返ってみると、ぼくは演出家もやっている俳優が好きなのかもしれません。
──玉田さん自身も俳優として出演されることがありますが、演出家の顔ももつ俳優の方だと、なにか違うところがあったりするんでしょうか。
もちろん人によるとは思うんですけど、自分の芝居だけに没頭しきらないところが面白いのかもしれません。常に片足だけ突っ込んでいるくらいの立場をとってくれるというか。それは魅力でもあり、弱点なのかもしれないですけど。たとえば玉田企画によく出演してくれる前原(瑞樹)くんは調子に乗って自分の見せ場を自分でつくりに来るようなところがあって、そこが魅力でもありますから。
──稽古のなかでは演出について議論することもあるんですか?
あくまでも俳優として出演してもらっているので演出家として接するわけではないんですが、稽古がうまく進まないときに相談するとアイデアを出してくれることもあるので、助かることは多いですね。
──近年玉田さんは『僕の好きな女の子』など映画の監督・脚本を務められたり、テレビドラマの脚本を書かれたりする機会も増えていると思うのですが、演劇以外のお仕事から影響を受けることもあるんでしょうか。
映像の仕事に関わるようになってから、場面構成のつくり方が変わってきたと思います。以前はひとつのシチュエーションを舞台に物語を展開させていくことが多かったんですが、もっと空間や時間を飛ばしてもいいんだと思えるようになってきて。映像の場合は、むしろ同じ時間と場所だけで物語を展開させることの方が少ないですからね。ポンポン飛ばしていってもいいんだと思えるようになってから、もっとシーンを飛ばそうという意識が強くなってきたかもしれません。
──たしかに以前の玉田企画の作品はカラオケボックスや家の中など物理的にも限定された空間のなかにさまざまな要素が詰め込まれていることが多かったように思います。他方で、今回は山の中や旅館などシーンの転換も多いですよね。それもフィールドワークを行ったことが関係しているのかなと感じました。
松田(正隆)さんのマレビトの会もフィールドワークを重ねながら『福島を上演する』のようにある土地をテーマにした作品をたびたびつくられていて、すごく面白いなと思っていたんですが、今回フィールドワークを行ってみてほかの場所に行ってみたい気持ちも強まりました。とくに行きたい場所が決まっているわけではないんですが、台北など海外に行ってみるのも面白そうだなと思っています。単に台北を舞台にした映画が好きなだけなんですけど(笑)。
──フィールドワークを行うことは、必然的に社会と接続されることでもあると思うんです。先ほど玉田さんは自分のまわりの環境があまり変わっていないと仰っていましたが、他方で社会はコロナ禍や震災などさまざまな出来事を経て移り変わってもいますよね。
自分はずっと保護された環境の中にいて、社会の変化をダイレクトに感じられていない気がしてたんですよね。だから社会の変化を作品に落とし込もうとはあまり考えていなかった。
──保護された環境、ですか。
もちろんいろいろなニュースを見たり社会の変化を考えたりすることはありますが、結局は依頼された仕事や目の前の作品について考える時間がすごく多いし、自分の外側について考える余裕もなくなって感度が固くなってしまっているような気がしていました。でも、今回フィールドワークを行ってみて、将来的には一回知らない場所に住んでみるくらい環境を変えてみてもいいのかなと思うようになりましたね。そういう意味でも、『地図にない』は自分にとってひとつの転機になるような作品になっていくのかもしれません。
文=石神俊大
写真=深野未季