日本の食文化に欠かせない発酵食品。その土台となるのが、米に麹菌をつけて発酵させた「麹」です。麹菌は日本にしか存在しない微生物で、世界で唯一の「国菌」に認定されています。麹には30種類以上の酵素が含まれ、腸内環境を整えるのに最強の食品。そんな麹に魅了され、麹文化研究家として活躍するなかじさんに、麹生活のよさを伺いました。
――なかじさんと麹の出会いは、千葉県香取市にある酒造「寺田本家」がきっかけだったとお聞きしました。当時なかじさんは、料理研究家のアシスタントをなさっていたんですよね。
「居候しながら料理教室や料理本制作の手伝いをしていました。そのときに、面白い酒蔵があるという噂を聞いて、寺田本家に行ってみたんです。その時にいくつかお酒をいただいたのですが、500年前のどぶろくを再現したというお酒に心を打たれて。これが本当の日本酒なのか、と感動しました。僕はまだ20代で、その当時の日本酒の印象って『学生時代に無理やり呑まされる、甘くてアルコール臭のするベタベタしたお酒』というものだったので、あまりの違いにもうびっくりでしたね」
――自分もそんなお酒を造りたいと働き始めたのですか?
「それが、ちょっと違うんです(笑)。寺田本家の代表で23代目の当主だった寺田啓佐さんから、酒造りのことや職人について話を聞いていたとき、『そういえば昔は、日本酒を仕込む時には唄をうたっていた』という話になって。
実は僕、料理家のアシスタントの前は、新潟県の佐渡島で太鼓芸能集団の鼓童の一員を目指していたんです。その時の経験もあって、酒造りの唄を一曲だけ覚えていて。それでうたったら寺田さんがとても気に入って『うちの酒蔵で働くか?』って」
――寺田本家の酒造りは自然とともにある、という印象を受けます。実際にはどのような感じなのでしょうか。
「寺田本家も、江戸時代から現在に至るまで、ずっと同じ製法で来たわけではありません。機械を導入して安価に大量に作れるお酒を売っていた時代もありました。そんな中、寺田さんが、体を壊したことをきっかけに、体によくて、自分も健康になれるお酒を作るべきじゃないかと考えて。そこからガラッと変えたと聞いています。僕が働き始めたタイミングがちょうどその変革の時でした。
当たり前ですが、これまで機械でやってきたことをすべて手作業でやるとなると大変なことになります。5分でできたことも1時間かかるなんてざらですから、それまでいた職人さんたちは一気に辞めちゃって。僕は日本酒造りや発酵のことなんて門外漢だったので、“こういうもんなんだな”って素直にすべてを受け入れられたし、とにかく楽しかったんですけど(笑)。
杜氏さんだけが残っていて、後は僕と一緒で1年生の職人ばかりだったので、酒造りの最初から最後まで経験できたのも良かったですね。今振り返ると、あの時の経験が僕の柱になっています」
――近代的な酒造との一番の違いはどういったところなのでしょうか?
「“菌を捕まえる”というところですね。酒造りには酵母菌や乳酸菌が必要なのですが、現代日本の99%の酒蔵は他所から菌を買ってくるんですね。安定していいお酒を造ることができますし、合理的です。ただ、江戸時代にはそういう技術はまだないですから、空気中にある乳酸菌や酵母菌を捕まえてきて、自然培養してお酒を造っていたんです。この技術は江戸時代後期に兵庫県の灘で確立して、そこから全国に広がっていったのですが、寺田本家ではこの昔ながらのやり方で自然酒を造っているんです」
―― “菌を捕まえる”というのは……?
「日本酒に必要な材料は、麹と蒸した米と水なんですが、この3つの材料を合わせてすりつぶしたものを、冬の寒い時期に1週間ほど置いておくんですね。そのあと、湯たんぽみたいなものを入れてあっためて、外気で冷やして、また湯たんぽであっためて、というふうに温度を上下する作業を2週間ほど繰り返していくんです。
そうすると次第に表面が麹の影響で溶けて甘くなっていきます。そこに空気中から微生物がやってきて湧きつくと、泡がぽこぽこと出てくるんです。それが“菌を捕まえる”ということ。何もない表面からぽこってひとつ泡が出て、少しずつ増えていく。0から1の、命の誕生。その瞬間が日本酒のはじまりなんです」
――感動的ですね。
「はじめて見たときに、ここに命の仕組みがあるんじゃないかって、すごくワクワクしたのを覚えています。発酵や微生物の世界に魅了された瞬間ですね」
――麹もイチからつくっていたのでしょうか。
「はじめは、種麹を購入していましたが、試行錯誤を重ねて、途中から蔵や田んぼに住む麹菌を自家採取するようになりました。お米を蒸したものに椿の灰をまぶして蔵に置いておくと、蔵付きの麹菌が自然に繁殖してくれるんです。杜氏の仕事を横で見ていたのですが、ここでの経験は本当に僕の原点ですね」
―― なかじさんの新刊『麹づくりと発酵しごと』は、種麹を使って自家製の麹をつくる料理本ですよね。
「甘酒や味噌をつくる人はいると思いますが、麹はまだあまりいないですよね。でも、実は麹だって自分の手で、家の台所でつくれるんですよ、っていうことを伝えたかったんです。教室、ワークショップなども開催して、つくり方を教えています」
―― 麹づくりで難しいところはどんなところでしょうか。
「難しそうに思われるかもしれませんが、実際はそんなことはないんですよ。気をつけるべきポイントはひとつ、温度管理です。環境が整えば、自然に菌は増えていって成長します。実は今、僕のポケットでも麹が育っているんですよ」
―― 「ポケット麹」ですね! 新刊で拝読しました。こんなに簡単につくれるんだ、と一気に麹作りのハードルが下がりました。
「3日間ポケットに入れて肌身離さず持っておくだけで完成します。ひとつのポケットでだいたい80グラムの麹ができあがるんですよ。麹菌の成長する適正温度は35度で、体温が36〜37度ですから、体温に当てておくのがちょうどいいわけです。
量が多いと面積が増えて温度が低くなりやすくなるので、80グラムとアナウンスしていますが、ポケットが2つあれば160グラムできますよね。パートナーと一緒に作れば320グラム、家族3〜4人なら500グラムの麹だって無茶な話じゃない」
―― 500gだと、市販品と同じくらいですね。
「そうなんです。マイポケット麹を使って1キログラムから1.5キログラムくらいの味噌を仕込むことができちゃうんです」
―― マイポケット麹! なんだか面白いですね。
「同じ方法で同じようにつくってみても、その時、つくる人によって麹の香りが違ったりします。菌は目に見えないものですが、確実にそこにいて、僕たちのアプローチに反応してくれるのがおもしろいんです。
日常生活だと、フラッとどこかのお店からおいしそうな香りが漂ってきたりとか、桜を見て春だな、とか、そういうどこか受け身の感覚の使い方の方が多いと思うんですよね。
でも、発酵食品をつくるときは、その真逆。どうなっているかな、って自分から微かなにおいを嗅いだり、触ってみたりしながら、一生懸命五感を使って菌の痕跡をキャッチしようとします。感覚を研ぎ澄ませようとするその感じは、人間らしく生きていくという意味でも役立つと思います」
―― いざ、マイポケット麹を使って作るものとして、入門編としてふさわしいのはどんなものでしょう。
「甘酒や味噌がおすすめです。手軽にできますし、甘酒は酵素の宝庫といわれていて、人間に必要な酵素がすべて含まれているといわれているんですよ」
―― 酵素をとることで、どのようなメリットがあるのでしょうか。
「人間って、ごはん食べたときに自分の胃液で消化してから、腸で吸収しますよね。実はこの作業にはとてもエネルギーを使うんですが、その手助けを酵素がしてくれます。
たとえば麹に肉を漬けてやわらかくしてから食べると、肉に酵素が作用して、たんぱく質を分解し、消化しやすいアミノ酸にしてくれる。つまり、半分消化してくれているのと同じような状態で食べることができるんです。中高年になると、胃腸の力がだんだんと落ちてくるので、甘酒を食前や食後に飲んだり、麹で調理したものを食べたりすることで、体への負担が軽減されるということが期待できます」
―― 胃腸の弱い方にもよいというわけですね。
「麹を食べると、菌自体は胃酸でほとんど死滅するんですが、残った菌糸が栄養素となり、常在菌が増えていくんですね。そうなることで、腸内の状態がよくなります。便秘症の方でも便が出やすくなったり、老廃物がなくなって消化吸収効率が回復していきます」
―― お味噌も同じように消化を助けてくれますか?
「味噌ももちろんいいですよ。僕がよくやるのは、朝や、仕事の合間などに、コーヒー代わりに味噌湯を飲むんです。味噌をお湯で溶いただけなんですが、大豆の食物繊維や、麹の酵素、ビタミンなども取れます。食べすぎたなというときとかお腹の調子が悪いときにもおすすめ。高温だと酵素がダメになってしまうので、お湯は70度くらいにするのがポイントです」
後篇は実践編。ポケットで温めて作るポケット麹とその麹を活用した甘酒のつくり方を教えていただきます。
なかじ
麹文化研究者家。千葉県の造り酒屋「寺田本家」で、8年間に渡り蔵人頭として酒造りに関わり、伝統的醸造技術・麹技術を修得。その後独立、「麹の学校」開始。2020年に麹作り本『麹本〜koji for life~』を発表、『玄米ごはんと野菜のおかず』(パルコ出版)、『酒粕のおいしいレシピ』(農文協)などを出版し、新刊は『麹づくりと発酵しごと』(農文協)。
https://www.nakaji-minami.com/
文=吉川愛歩
写真=末永裕樹(インタビュー)、寺澤太郎