グローブやバットなどの野球のモチーフをかたどった、やさしい甘さのおやつ「野球カステラ」。神戸のお土産として昔から知られる「瓦せんべい」を作るお店が作り始めて、その歴史は100年ほど続いているそうです。
神戸に暮らす人たちですら“神戸名物”とは気づいていなかった「野球カステラ」が、いまふたたび注目を集めています。昔ながらのお店を守りながらも「いま、おいしいと思ってもらえるもの」を作り続ける「手焼き煎餅 おおたに」を訪れました。
神戸三宮駅から1駅、春日野道駅から歩いて5分ほどのところに「手焼き煎餅 おおたに」はあります。年季の入った「神戸名物 瓦せんべい」の看板やガラスの引き戸から感じられる、レトロな佇まい。店内に入ると、ふわぁっと甘い香りに包まれます。
ひとくちサイズの野球モチーフのカステラで、材料は小麦粉、卵、砂糖、牛乳などで保存料は使っておらず、優しい甘さはたっぷりと入れたハチミツから。また、焼くときにごま油をひいているのと、贅沢にバターを使っているのが、おおたにさんの「野球かすてら」の特徴です。
売り場のすぐ奥でカステラを焼いているのは、3代目店主の大谷芳弘さん。
生地を一つひとつ焼き型に流し込み、ガシャンと焼き型を閉じて開いて。次々と可愛らしいカステラが、ころんころんと手焼きで生み出されていきます。
お店の創業は1950年。芳弘さんの祖父から始まり、親子3代にわたって受け継がれてきました。“瓦せんべい職人の三羽烏”とも呼ばれるほどの腕前だったという初代。扱える人が少なかったという、本当の瓦サイズの大きな焼き型も使える職人だったそうです。
野球カステラのデザインは、販売し始めたころから変わらないそう。焼き型のハサミの部分を作る職人さんが現在はもういないそうで、いま使っているものは、100年近く前のものだといいます。お店には、焼き型を使うガシャン、ガシャンという音が響きます。
もともと50代まで会社勤めをしていて、お店を継ぐ気はなかったという3代目。55歳のときに2代目である父親が亡くなり、お店を閉めようとしたところ、母親に「ここにおりたい。あんたに焼いてほしい」と頼まれてお店を継いだそうです。
「親父の弟子のところにビデオカメラ持っていって焼き方を覚えて。それで素人が始めちゃった」と何でもないように話す大谷さんですが、それから20年以上、お店を守り続けています。
3代目になってからレシピがどんどん改良されているというから驚きです。今のおおたにさんの野球カステラの大きな特徴は、バターが入っていること。
「昔は甘いもんがなかったから売れてたんやろうけど、今は違うでしょ。昔ながらもいいけど、いまおいしいもの、もう一度食べたいと思ってもらえるものを作っていかないと」と3代目。しかも、バターを材料に加えたのは、2024年10月からだというから驚きです。レシピ改良の際には、お客さんにアンケートをとって意見を聞いたそう。「バターの値段が高いからコストもかかるけど、まぁいいやって」と笑います。
改良を重ねて、野球カステラを日本だけじゃなく、アメリカ、メジャーにも広めたいと大谷さんは意気込みます。
野球カステラを作っているお店はおおたにさん以外にもいくつかあり、形やレシピはお店によって異なります。おおたにさんでは、ぎゅっと生地が詰まった小さめのサイズで、バットやミット、帽子などの形を綺麗に出すことを意識されているそうです。
袋詰めの際は、きちんと全種類の形が入るようにしているのも特徴で、これは「子どもたちが喧嘩しないように」という、お母様から受け継いだこだわりだといいます。
現在は3人目のお弟子さんもとられていて、いま再び注目が集まる神戸名物の野球カステラの伝統が守られています。
野球カステラのお店を紹介する「神戸野球カステラマップ」を作ったり、「野球カステラプロジェクト(野球カステラ愛好会)」を立ち上げてイベントを開催したりと、野球カステラの魅力を伝える活動をするのが、神戸市職員の志方功一さんです。コレクションがそろうご自宅にうかがって、お話を聞きました。
志方さんが野球カステラと出会ったのは、仕事で地元産業の活性化に取り組もうとしたことがきっかけ。もともとは、神戸のお土産として150年ほど前から販売されていた「瓦せんべい」に注目してお店をまわっていたところ、たくさんのお店が「野球カステラ」も販売していることに気づいたそうです。
調べてみると、全国的に販売されているものではなく、神戸にだけ集中してお店があることがわかりました。調査していくうちに、焼き型がいくつかのお店で受け継がれていることや、大正時代の野球道具を綺麗に再現していることなどを知っていくなかで、大きな感動を覚えたそうです。
「自分で足を運んで、ひとつずつ確かめていきました。現場に行かないとわからないし、現場に行くと、魅力的なものが見つかります」と興奮気味に話す志方さん。地元の人たちや、お店の人ですら気づいていなかった独自の野球カステラの素晴らしさを広めるため、活動を始めました。
活動のひとつが、神戸煎餅(せんべい)協会との連携プロジェクト「焼き型バンク」。使わなくなった野球カステラの焼き型を集めてメンテナンスし、イベントに協力したり、新しく出店するお店に提供したりしているそうです。
焼き型は数種類あり、モチーフやディティールが異なるものも。使う焼き型で、お店の歴史や系譜がわかることもあり、志方さんが注目する大きなポイントでもあります。
野球カステラに出会い、「どうして野球なんだろう?」との思いから、野球伝統博物館を訪れるなどして歴史を紐解いていった、志方さん。
神戸の菓子店「本高砂屋」が、野球カステラを「野球」という名前で最初に商標登録したのが、大正10年。その前後には、日本でプロ野球チームができ、大正13年には甲子園球場が完成しました。とくに神戸は、学生と外国人クラブが交流戦をするなど、野球というスポーツと近い距離にあったといいます。
志方さんが注目する「野球カステラ」の面白さのひとつには、100年前の野球道具をモチーフにして、忠実に再現している点があるそうです。
ストラップがボタンでとめられた、クリームパンのようなフォルムのグローブや、ボールがつかめない仕様のキャッチャーミットなど、80〜100年前の野球道具は、現在とはまったく違うもの。志方さんは当時の道具を集め、各店の焼き型を調べるなかで、グラブのボタンの位置が逆になっている野球カステラを発見しました。
「型って焼いたら反対になるから、焼き型を作るときに間違ってそのまま複製されてきたのでは。その間違いがルーツをたどるきっかけになったんです。ほかはぜんぶ忠実に再現しているのに、エラーが起きているのが面白いんです」。そう話してくれました。
こちらは「インジケーター」という、審判がボールカウントをするための道具。
お店によって野球カステラのインジケーターは、カウンターのギザギザが綺麗に再現されているものもあれば、省略されてカバンのような形になっているものもあります。多くの人が「これはなに?」「スコアボード?」とモチーフがわからなかった野球カステラも、野球カステラ愛好会の調査の結果、野球殿堂博物館に同じ仕様のものが所蔵されていることを発見し、インジケーターだと判明したそうです。
とにかく紐解いていくのが面白いという、野球カステラの世界。「調べても調べきれない。それが面白い」と志方さんは熱弁します。自作した「野球カステラマップ」は2代目。どんどん書き足していったそうで、1枚の中に情報と情熱が詰まっています。
「新たな職人さんが現れるのもいいけれど、今の職人さんが続けてくれるのも僕の願い。みなさんご高齢なので、どうかお体に気をつけながら」と思いを語ってくれました。
神戸から日本、そして世界へ。神戸で愛され、大切に守られてきた「野球カステラ」の人気に火がつく日は、そう遠くないかもしれない。
野球カステラプロジェクト
https://yakyukasutera.amebaownd.com/「野球カステラ愛好会」インスタグラム
https://www.instagram.com/yakyukasuteraaikokai/文=狸山みほたん
写真=釜谷洋史