鎌倉で旦那さんと暮らしながら、ハワイや沖縄、もちろん東京でも料理の本を作ったり、取材をしたり。料理編集者・赤澤かおりさんは、どんなに忙しくても元気いっぱいなのです。
忙しい毎日のなかで、ほっとするのはやっぱり、地元・鎌倉に戻って、もしくはおうちで目一杯働いて、お酒を飲む時間。基本的に前々から予約をとるよりも、その日のお腹に聞いて食べたいものと飲みたいものを求めて出かけます。
ふっと時間が空いたとき、ひとりでふらりと出かけた鎌倉で、女性ひとりでお酒を楽しむなら? 今回は「秋に楽しみたいお蕎麦とお酒」をテーマに3軒を教えてもらいました。
収穫の秋、食欲の秋。この季節、聞きなれたこのフレーズを目にするたびに、そういえば、あれもこれもと、食べたいものへの思いは尽きず。新米にきのこ、新酒、栗、さつまいもなどなど、秋はいつも以上に食いしん坊ぶりに拍車がかかります。
特に“新”と付くものには目がない私。待ち焦がれていた「新蕎麦」の季節到来ということで、今回は鎌倉でよく訪れるお蕎麦屋さん2軒と、気になっていた新店に出かけてきました。
まずは、今年の6月、長谷にオープンした話題のお店「鎌倉 北橋」へ。ここは長谷にある甘縄神社の参道脇にあり、お正月に限らず、散歩の途中にもよく神社に立ち寄っては高台から広がる海を眺めたり、どんと焼きの季節にはお飾りを持って行ったりしてきた馴染みの通り。
その参道のお膝元にある古い佇まいが素敵な洋館が、お蕎麦屋さんとカフェになったという話を今年の夏の初め頃からあちこちで聞いていて、気になっていました。
特に、信頼できる酒屋さんが「きっと好きだと思うよ」という言葉は、私の奥底にずっと残っていて、夏の間、忙しくて身動きが取れない日々も、ふとした瞬間に思い出しては新蕎麦の季節には必ず行こう! と思っていたわけです。終わりがないかのように思えた暑すぎる夏もようやく落ち着きはじめ、秋の気配を感じる頃、私以上に食いしん坊な友人に誘われ、念願の初訪問を果たしました。
大正14年前後に建てられたとされているこの建物は、佇まいは一見洋館ですが、和館もあり、その両方を生かして洋館ではカフェを、和館では広い庭園を眺めながらお蕎麦が楽しめるようになっています。こうした形にするにあたり、店主の北橋さんが大事にしたのは、以前、住んでいらした方の「この景観を残してほしい」という想い。だから、お店になった今も、今まで見えていた風景はさして変わることなく、この建物も景観も保たれていました。
大正時代前後ということで、時期は定かではないにしても、相当な年代を重ねてきたものであることは確かですから、簡単に景観を保つといっても容易なことではなかったのでは、と思います。かつては作家の山口瞳先生がお住まいになっていた時代もあり、同じく作家の川端康成先生らとここで親交を深めていたという話も。
洋風というのがまだ憧れだった時代に建てられただろう洋館では、朝からカフェと蕎麦粉を使った自家製のスイーツ、コーヒー、お酒も楽しめるので、お蕎麦の席が空くのを待ちながら、まずはここで一杯いただくのが最近の私のお気に入りになりました。
スイーツは、自家製の蕎麦粉を使用したグルテンフリーの蕎麦粉の生シフォンケーキか、あればレモンケーキを。「気まぐれスイーツ」という名で登場する、バスクチーズケーキやロールケーキはいつか食べてみたいもの。それらにイタリアのシチリア産レモンをたっぷり使ったレモンサワーを合わせて、楽しいお蕎麦待ちタイム。うっかりおかわりしそうになる頃に、席が空いて和館に移動してお蕎麦をいただくという流れです。
お昼の予約ができるのは、先付け、前菜、焼き物、天ぷら、蕎麦、甘味の蕎麦会席(6,600円〜)のみ。さらりと気ままにお蕎麦とお酒を楽しむには、多少待つ覚悟が必要です(夜は予約可能)が、そんなことも気にならないのが、カフェからお蕎麦へというゆる〜い流れ。ふらりと訪れたいという方は、この優雅な空間をのんびり味わうこともお楽しみに入れておくといいかなと思います。
今回はアラカルトで。もちろん、“蕎麦呑み”の醍醐味はつまみです。秋ですし、きのこをチョイスして「なめこの辛味おろしあえ」を。石川県の「きなめりなめこ」を使った力強い風味。「意外と合うんです」とおすすめされてスパークリングを。確かに!
ふるふると揺れながら運ばれてくる「だしまき」はしっとりふわふわ。
ところで新蕎麦の話をふっておいて何ですが、こちらでぜひ食べて欲しいのが“玄挽き蕎麦”。玄米と同じような殻付きの蕎麦の実で仕立てた蕎麦を指します。いわゆる“田舎蕎麦”のようなイメージです。というと、太いものをイメージされる方も多いと思いますが、こちらのは更科のような細打ち。つるつるといけてしまうのに、蕎麦の風味はしっかり味わえるというもの。
蕎麦の仕入れは、店主の北橋さんが信頼できる農家さんへ直接出向いて。関東近郊では栃木県益子や長野県、そして北海道までも。全国各地にご自身で出かけ、その目と舌で確かめ、気に入ったものをそのつど仕入れています。
つゆは本枯れの鰹節、そうだ鰹節、昆布、椎茸などを合わせ、あくまでも蕎麦の味わいを引き立てるものとして、芳醇すぎないように仕上げているとのこと。
また、近年作り手が減り、なかなかいいものを手に入れるのが難しくなってしまったという蕎麦を盛り付けるざるは、お蕎麦屋さんを営んでいた知人から分けてもらった貴重なものだし、器は作家さんに依頼してこのお店用に作ってもらうなど、蕎麦のみならず、細部にまでこの空間で蕎麦を味わってもらうための配慮がなされていました。
そんな店主 北橋さんは、以前は証券会社でバリバリと働く会社員。その後、アジアやアフリカなどをバックパッカーとして巡り、その間に目覚めた自国の食の素晴らしさに気づき、和食の道へと進み、今に至ります。
それを支えているのは、同じく証券会社時代を共にした奥様の典子さん。息の合った二人三脚が古い洋館に吹き込んだ新しい息吹は、これから先さらにおいしく、面白い提案をしてくれそうで目が離せません。
最後に――。余談になりますが、初めてここを訪れたとき、今は亡き義叔父が執筆した鎌倉の洋館について書いた書籍がカフェにさりげなく置かれていたのは、個人的にかなり嬉しい出来事でした。
また、改装にあたり、以前こちらにお住まいだった方の表札を今も大事にとってあるそうで、こちらに立ち寄ってくださることがあったらお渡ししたいと話されていたことは、古いものを愛で、新しいものと併せて次の時代へと繋いでいく北橋さんの心意気にふれた出来事でした。
こういう想いが、きっと料理をおいしくし、空間をやさしくするんだろうなぁ。この秋はそんな店主が生み出す空間とともに、日本酒(1合950円〜。種類も豊富)とおつまみからはじめ、お蕎麦をゆっくり堪能したいと思っています。
鎌倉 北橋
所在地 神奈川県鎌倉市長谷1-11-32
電話番号 0467-84-9662
営業時間 11:00〜20:30
※カフェは10:00〜18:00、土・日・祝は9:00〜
定休日 火曜
https://kamakura-kitahashi.com/
赤澤かおり(あかざわ・かおり)
料理雑誌の編集部を経て、フリーランスに。料理と旅の編集者として活動。料理本のほか、30年以上通い詰めるハワイについての執筆、単行本編纂も多数。近著に「人生にはいつも料理本があった」(筑摩書房刊)、編著に「いざ、豊島屋」(KADOKAWA刊)がある。
Instagram @kaoriakazawa.akalohasunny
文=赤澤かおり
写真=榎本麻美