歌舞伎に限ったことではなく、表現芸術の世界では若年の登場人物を実年齢の若い演者がつとめればいいというものではありません。ですが……。
永遠には続くことはない若さゆえの瑞々しい感性やきらめきが作品世界の彩りや奥行きを豊かにし、美しくも詩情溢れる世界へと誘い、得も言われぬ感動へと導いてくれることがあります。それを今まさに実感させてくれているのが、歌舞伎座「秀山祭九月大歌舞伎」で上演中の『妹背山婦女庭訓 吉野川』です。
この物語で親同士が対立する関係にありながら恋仲となるのは久我之助と雛鳥。若い恋人たちを演じているのが市川染五郎さんと尾上左近さんです。
染五郎さんについては今さら改めて紹介する必要もないことと思います。凛々しい若武者や悩める青年などはもちろんのこと、コメディリリーフぶりを発揮したり可愛らしい娘姿を披露したり、表現者としての幅を広げつつある昨今の活躍ぶりには、目を瞠るものがあります。もはや“美少年”という判で押したような形容が陳腐に思えてしまうほどです。
そんな染五郎さんの相手役を誰が演じるかは非常に重要なポイント。白羽の矢が立ったのは一歳年下の左近さんでした。左近さんのお父様は日本舞踊・藤間流の家元でもある尾上松緑さん。スケールの大きな線の太い立役を得意とする松緑さんに対して左近さんは華奢な体つきで楚々とした風情。成長するにつれてこれまでの松緑家には見られなかった持ち味を発揮するようになっていきました。
これまでにも舞踊などで品よく可愛らしい女方姿を披露してきましたが、『妹背山』のような古典の義太夫狂言で役らしい役を演じた経験はありません。そんな左近さんにマンツーマンでご指導をされたのは、左近さん演じる雛鳥の母・定高でこの作品に出演している坂東玉三郎さんです。
これまでにも玉三郎さんはご自身屈指の当り役である『壇浦兜軍記 阿古屋』の遊君阿古屋という大役を前名の梅枝時代の中村時蔵さん、中村児太郎さんに惜しみなく伝授するなど、歌舞伎を未来に繋ぐべく若手育成に尽力されています。歌舞伎界の至宝である稀代の女方・玉三郎さんによる左近さんへのレッスンは今年4月から始まったそうです。
「本当にありがたいことに、声の出し方など基本的なことから“女方のいろは”を教えていただきました」(左近さん・以下同)。
基礎を一つひとつ学んでいく過程でケーススタディとして取り上げられたのが雛鳥だったそうです。左近さんが雛鳥という役を生の舞台で初めて目にしたのは、昨年9月、初代国立劇場さよなら公演で上演された舞台でした。その時の印象について次のように語っています。
「儚い物語で厳かに静かに進行していくのに、幕切れに向かってテンションが張り詰め感情が高ぶっていきました。登場人物みんなでとてつもない大きな世界をつくりあげお客様に届けている様子に感動し、壮大な交響曲を奏でるオーケストラのようだと思いました」
そして密かに決意したのは「何十年後かにこの作品に関われる役者になりたい」ということでした。それがわずか1年で実現することになったのです。左近さんの日々の精進が認められ、玉三郎さんを始め公演を司るスタッフがその成果を踏まえて至った結論なのでしょう。
「本当に信じられない思いで、お役が決まってからしばらくはふわふわして落ち着きませんでした。ですが、玉三郎のお兄さんの『私の娘になってね』という言葉で気持ちが固まりました。お兄さんの娘として恥ずかしくない雛鳥にならなければいけませんから」(左近さん)
経験の浅さはまだ何色にも染まっていないということでもあります。玉三郎さんの教えを守り、左近さんは「少しでも多くのことを吸収して真っ白な紙に絵を描くような感覚で丁寧に」毎日の舞台に取り組んでいます。
上演中の舞台で描かれている物語の真の主役は、蘇我入鹿という邪悪な為政者に翻弄される親たち。玉三郎さん演じる定高と松緑さん演じる大判事清澄です。国家を揺るがすスケールの大きな展開の中で苦悩する親、その親を思い愛する人の行く末を最優先事項として命を投げ出す若者たちが織りなす物語ですが、その詳細には敢えて触れないことにします。
ネット上には情報が溢れていますし、今月は『吉野川』に至る前の物語である『太宰館花渡し』の場の台本を見直し、この作品に初めて触れる人でも状況がわかるような構成になっていまので予備知識なしでも心配はいりません。
玉三郎さんという偉大な存在を相手に敵対する人物を演じている松緑さんは、「定高に対抗する心意気がなければこの役は勤まりません。大判事として松緑として、定高に玉三郎の兄さんに向かっていきたい」と語っています。それを凛とした風情で真っ向から受け止める玉三郎さんとの間に漂う緊張関係が、ドラマの結末をより一層味わい深いものにしています。
上演の機会が少ない作品にあって久我之助を二度演じているという父・松本幸四郎さんからこの役を習ったという染五郎さん。染五郎さんと松緑さんの間には、共に政治の中枢部に関わる男性同士である父と子の苦悩が憂いを伴って舞台に立ち現れます。
娘の一途な恋心を慈しむ定高と純愛を貫きたいと願う雛鳥、母と子の間に漂う濃密な時間と、両家のドラマが舞台中央を流れる大河を挟んで交互に展開してく構成はいつもながらみごとです。
その見慣れた景色を、切なくも愛おしいドキドキするような臨場感でより新鮮なものにしているのが、純粋で無垢な魂を持った登場人物ながらに目の前の事態に真摯に向き合い懸命に取り組んでいる若き歌舞伎俳優、そして彼らを導く先達の姿です。舞台で展開されるフィクションとしての物語と演じ手から滲み出る人としての魅力が相まって、まさに千載一遇の『妹背山婦女庭訓』となっているのです。
自然災害や不慮の出来事など何が起こるか予想のつかない世の中ではありますが、いつかきっと染五郎さんの大判事、左近さんの定高でこの作品が上演される日がやって来るであろうことは想像に難くありません。
今、ふたりが久我之助、雛鳥を演じる舞台に触れるということは、2024年9月の歌舞伎座でのこの時にしか味わえない感動に出会えるだけでなく、未来の自分にも影響を及ぼし得る体験なのです。影響の有り様は人それぞれ、この先の過ごし方次第でもいかようにも異なることでしょうけれども。
何はともあれ、この貴重な機会にぜひ劇場に足を運んでみてはいかがでしょうか。そして大道具の素晴らしい美術や、左右両サイドからの特別ステレオバージョンによる義太夫の語りと演奏などの音楽性を体感しながら、登場人物の一挙手一投足をしっかりと受け止めていただきたいと思います。
文=清水まり