2024年9月に出版された『わかったさんのスイートポテト』(あかね書房)は、故・寺村輝夫先生の想いを継いで絵本作家・永井郁子さんが描く新シリーズです。
小学生に読み継がれる名作「わかったさんのおかし」シリーズは、どのように誕生したのか。永井さんが絵本作家を志したきっかけや寺村先生との出会いをお聞きました。
――永井さんが絵本作家を志したきっかけは何ですか?
永井 美大在籍中に教職課程を取っていて、授業の課題で絵本を作ったんです。私は甥っ子にプレゼントしようと思って、「たけしくんのクリスマス」というタイトルで物語を描きました。星の中をソリに乗ってお城に行くと、王子様のたけしくんがいる。お城から空を見ると飛行機が飛んでいて、目を覚ますと枕もとの靴下に飛行機が入っている、みたいなオリジナルストーリーです。
甥っ子はとっても喜んで、手元に戻ってきた絵本はボロボロになるほど愛読してくれていました。そのことに感動して、絵本作家になろうと決めたんです。
当時は油絵を専攻していましたけど、世界に一人っきりで入っていくような感覚があってあまり向いていなかったんですよね。どちらかというと絵本のように、いろんな人に喜んでもらうのが好きなんです。
――寺村輝夫先生と「わかったさんのおかし」シリーズを手がけることになったきっかけは?
永井 20代後半のときに、池袋コミュニティ・カレッジで、寺村先生の「童話創作入門講座」を受講したことがきっかけです。
多摩美術大学を卒業後、寺村先生に会うまでは画材店のいづみやでアルバイトをしながら絵本作家を目指していました。でも挿絵の仕事を得るには原作者や編集者に選ばれるのを待つしかないから限界を感じていたんですよね。原稿が書けるようになれば次々と出版社に持ち込めるんじゃないかと思って、最初は寺村先生が書いた『童話の書き方』(講談社)を参考にしたんです。でも読んだだけでは書けるようになるはずもなくて、講座を受講することにしました。
1年間くらい受けたら、どこかで私が絵描きだと耳にした寺村先生から「僕に絵を見せて」と声をかけられたんです。それで見せたらあかね書房の編集長の名刺を渡されて、「ここに絵を持っていきなさい」と言われました。
――それで、あかね書房を訪ねたんですね。
永井 書き溜めた作品を両手に抱えて持っていきましたよ。
寺村先生は、それよりずっと以前に、作家活動のかたわら、あかね書房で編集長をなさっていた時期があったそうです。その縁もあり「こまったさんのおはなしりょうりきょうしつ」シリーズが同社で出版されて、寺村先生は次にお菓子のシリーズを考えていました。
同じころ、寺村先生が書いていた「ぼくは王さま」シリーズ(理論社)では、和歌山静子先生の絵が線が太くて力強いイラストでしたから、逆に細かく描く人を探していたらしいんです。いわば説明的なイラストが描ける人ですね。たまたま私の絵がぴったりで、わかったさんの挿絵を描くことに決まりました。
――わかったさんのキャラクターデザインは、どのように決まったんですか?
永井 私はもともと油絵出身なので、どの作品にも陰影をつけて立体感を出していたんです。でも寺村先生から、「陰影をつけない絵を描いて」と言われたから、ロットリングで細い線を描いて、平面的に色を塗りました。けど、味気なく感じて……。近くにあった色鉛筆で輪郭線の内側にぼそぼそとした線を加えたんです。そうしたら、柔らかくてふくらみのある感じが出たんですよね。
その絵を寺村先生に見せたら「この絵で10年は食べていける」と言われました。うれしかったです。
――そうしてわかったさんが誕生したんですね。
永井 そうです。毎回できあがった原画は、あかね書房に持っていくんですけど、寺村先生は1枚ずつ丁寧に見て、感嘆しながら褒めてくれるんです。人の乗せ方が上手なんですよね。編集者には厳しかったらしいですけど、挿絵画家にはあまり怒らなかったみたい。それだけ、挿絵画家の仕事を大事にしてくれたんだと思います。
もちろん「ちょっとポーズが違うんじゃない」と1,2回は言われたことはありますけど。ほかに一度だけ、「まほうつかいのレオくん」シリーズ(あかね書房)でモノクロの予定だったシーンをカラーに変えたことがあったんですけど、その時は、結構怒ってましたね。でもできあがった絵を見て最後には、「あなたはこれが描きたかったんだね」と私の意見を採用してくれました。
――寺村先生から学んだことは多かったと思いますが、永井さんが物語を書く時に大切にしていることは何ですか?
永井 物語については、寺村先生が「楽しいエンターテインメントだ」とおっしゃっていたので、楽しさを第一に考えています。
昔、「わかったさんのアップルパイ」の原稿をいただいた頃、私の母が大きな手術をして「もう駄目かな」という時があったんです。予定していた手術時間より5時間近くオーバーして、手術室から出てきた母の顔はもう真っ青。ベッドのそばに一晩中、暗い気持ちでついていたんですけど、そのときに預かっていた寺村先生の原稿を読んだら、すごく楽しい気持ちになっちゃったんです。おかしいでしょ。自分の母が危篤で、落ち込んでいるのにね。物語の世界に連れられていった一瞬だけ、明るい気持ちになれた。
寺村先生の原稿には、「ありえない!」っていう展開が詰まっているじゃないですか。シーツを広げてバルーンにしたら雷様に出会って、わかったさんが氷の服を着たり。氷で服なんか、できるわけないのに、そういう自由さが私には気持ち良かったのかもしれないですね。
つまり、寺村先生の世界には、人の気持ちを明るくする力が宿っているんだと思います。きっとそれは、今の子どもたちにも通じるものでしょう。だから、「読み始めたら楽しい」ということを一番大事にしています。
――素敵ですね。わかったさんの新シリーズは、今後も続きますか?
永井 はい。今作だけでなく、2巻、3巻と続きます。2025年の夏には、次作が出る予定ですから、楽しみにしていてください。
個人的には古事記を基にした日本画風の絵を描いているところです。本になる予定は今のところないんですけど、いつか皆さんのもとに届けたいと思っています。子どもたちの中には、因幡の白兎の物語が古事記に書いてあることを知らない子もいるでしょう。私は和のものとか古典のものに無条件に惹かれるところがあるので、ぜひ古事記を知ってほしいなと思うんです。
――わかったさんとはテイストが全く違う、美しい絵ですね。
永井 わかったさんはどれだけ時間をかけて描いても1枚に4日間ほどですけど、このタッチでは1カ月ぐらいかかりますね。手描きで描いた輪郭線をMacに取り込んでフォトショップで陰影をつけて、さらに印刷したものに筆を入れています。こういう絵をじっくりと描いて、いつか本にできれば幸せです。
永井郁子(ながい・いくこ)
1955年広島県⽣まれ。多摩美術⼤学で油画科を卒業後、アルバイトをしながら絵本作家を⽬指す。1986年に寺村輝夫から童話創作を学んだことを機にコンビを組み、「わかったさんのおかし」シリーズや「かいぞくポケット」シリーズ(ともにあかね書房)などの挿絵を⼿がける。著書に「おしゃれさんの茶道はじめて物語」シリーズ(淡交社)など多数。
永井郁子のホームページ http://www.nagai-ehon.com/
文=ゆきどっぐ
撮影=山元茂樹