平安貴族が別邸を構えた京都・嵐山。渡月橋から船に乗り大堰川を遡ると、峡谷に沿うように建つ宿が現れます。それが、「星のや京都」。千年の都が育んできた洗練された文化に浸る“水辺の私邸”で過ごす、世界的ショコラティエ、ジャン=ポール・エヴァンさんの、心豊かな休日に密着しました。
団扇を手にし、送迎の船に揺られて「星のや京都」にやってきたのは、日本にも造詣の深いフランス人ショコラティエ、ジャン=ポール・エヴァンさんです。夏のバカンスは毎年、ご家族とともに京都で過ごすというエヴァンさんにとっても、初めての訪問。桟橋でスタッフの出迎えを受け、「ボンジュール。楽しみにしていました」とやわらかな笑顔を浮かべました。
「星のや」は、“その瞬間の特等席へ。”をコンセプトに、各施設が独創的なテーマで、圧倒的非日常を提供する星野リゾートのブランド。国内に6施設、海外に2施設を展開しています。
明治時代創業の旅館を改修した「星のや京都」の敷地内は緑にあふれ、25の客室が庭路地によって結ばれています。そして、滝のある「水の庭」や、対岸の小倉山を借景として枯山水の風情を表現した「奥の庭」、大堰川にせり出すように設けられた「空中茶室」など、嵐峡の自然に溶け込んだ美しいエリアも多数。四季折々の表情を心ゆくまで楽しめます。
客室は、どの部屋からも大堰川を見渡すことができ、京都に息づく日本の伝統的な技法を用い、斬新な発想で造った風雅な空間が魅力的。「和モダンで、調度品として木の家具が使われていたり、壁紙として京唐紙が使われていたり、繊細で自然と一体になるデザインがなされていますね。周りの自然もすばらしいけれど、人間の技と工芸品によってさらに美しさが感じられます。僕は木が好きなので、お風呂も木なのがうれしい。ベッドも心地いですね」と、エヴァンさんもすっかり心をつかまれたよう。
宿泊や食事だけではなく、「星のや京都」では日本の美意識に触れ、平安貴族さながらに優雅な時間を過ごせる、さまざまなアクティビティも用意されています。エヴァンさんが最初に体験したのは、京都の家元による華道のプライベートレッスン。講師は、「未生流笹岡」家元の笹岡隆甫さんです。
実は若いころ、コンクールのピエスモンテ(アメやチョコレートでつくる細工菓子)に挑戦する際、生け花を学んだことがあるというエヴァンさん。西洋のフラワーアートは左右対称につくり、最高の瞬間をつくるという発想で花を敷き詰めるところ、日本の生け花は非対称が多く、時間経過による移ろいを届けるという発想で余白をつくり、変わっていく姿を最後まで見届けるという先生からの説明に、うなずきながら真剣な表情で聞き入っていました。
そして、「生け花はアートではあるけれど、花を通して人生や宇宙のことを考える哲学でもある」という先生の言葉を胸に、主枝となるドウダンツツジを差したエヴァンさん。
「ガストロノミーでもそうですが、フランスは明るさや華やかさといった“陽”が一辺倒のところ、日本では“陰”と“陽”が表裏一体でいつも入れ替わる。日本では朝を表す言葉がたくさんあるように、陰陽の移ろいを鋭くとらえてきたのでしょうね」と話し、ひとつひとつ花を手に取りながらじっくりと選ぶ姿が印象的でした。
そのうえで、先生のアドバイスも受けながらトルコ桔梗やケイトウ、瑠璃玉アザミを活け、角度をずらしたり、ぶつかったところをカットしたりしながら空間を生み出していったエヴァンさん。
先生からは、「非常に丁寧に入れていただきました。たくさんの花を使ってフラワーアレンジメントのようになってしまう方も多いですが、花を低くしたことでドウダンツツジの枝ぶりが際立っています。左右非対称も意識されていて、生け花らしい仕上がりです」との講評が。
最後は完成した生け花を床の間に飾り、和菓子とお抹茶をいただきながら2人でひと息。
「太陽に向かってぐっと伸びていく花の姿から、落ち込んだときこそ上を向かなくてはいけないと教わります」という先生の言葉に、「僕は落ち込んだら、おいしいものを見つけて、それをだれか好きな人とシェアします。それが元気になる秘密のテクニック」と笑った、エヴァンさん。「伝えることは大事ですね」と互いに微笑みながらうなずき合い、レッスンは終了しました。
京の家元に学ぶ華道
料金 90,750円/2名様
※2名から受付(3名以上の場合、45,375円/1名が追加)
続いて体験したのが、聞香。聞香とは、華道・茶道と並ぶ日本の伝統文化である香道で、香木の香りを聞く形式のことです。
講師は、山田松香木店の指導を受けたスタッフが務めます。この日は山田松香木店の三浦範子さんが直接レクチャーを行いました。香木がインドネシアやヴェトナムで採れ、樹木内部に蓄積した樹脂が何百年もかけて土の中などから見つかったものであるとの先生からの説明に、「すごく貴重なものなのでしょうね」と、エヴァンさんも興味深々。
香炉の制作が始まると、職人らしく、「この道具の繊細さには、目を奪われますね! すごいなあ!」と目を輝かせました。そして、先生の手元を真剣に見つめながら、香炉の灰をきれいな山型に整え、頂点から細い穴を開けて完成。あまりの緻密さと真剣さに、「まるでお菓子をつくっておられるようですね。灰はすぐに崩れてしまうのですが、さすがです」と、先生からも感嘆の声が。
今回、香りを聞くのは、沈水香のなかでも最高級の伽羅香木。これを香炉にのせ、右手で香炉を持って左手で支え、正面をはずして右手で香炉を覆い、鼻を近づけるのが聞き方のお作法です。
「すごくいい香りですね! この香りの記憶はなかなかないけれど。ちょっとスパイシーで、ヴェトナムのカカオを感じさせるものがあります」と、エヴァンさん。すると、「この香木の産地は、カカオが採れるのと同じ地域なんです」と、先生。
「聞香では、香りを甘、酸、辛、鹹、苦というように味で表現するのですが、この香りはエヴァンさんがおっしゃるように、甘さも辛さも入っていると思います。時間が経つと、香りは変わってきます」と、言葉を続けます。それを聞いて、「確かに、初めはスパイシーさや甘さ、少しの酸味を感じたけれど、少し苦みや塩辛さも出てきた気がします。すごい驚きだなあ!」と、エヴァンさん。香りの奥深さを知る貴重な機会になったようです。
聞香
料金 3,388円/1名
いよいよ、おまちかねの夕食です。ふるまわれるのは、京都に集まる豊かな食材をふんだんに使い、伝統のなかにも遊び心を表現した、約10品から成る「嵐峡の滋味」。星のや和食統括料理長の石井義博さんが、ダイニングでエヴァンさんをにこやかに迎えてくれました。
この日の料理は、鱧や鮎をはじめ、夏の京都ならではの美味がいっぱい。先附として提供される「緑珠」は、素麺と雲丹の上に、旨みたっぷりの鮑のやわらか煮をのせ、緑鮮やかなおくらとろろをかけたひと品。仕上げにふりかけたレモンの皮のすりおろしがさわやかに香り、さっぱり、するりといただけます。
向附は、イサキの「なめろう」。桂むきにして塩水に浸けたキュウリのなかに、たたいたイサキを入れ、セミドライトマトと有馬山椒、オレガノ、ニンニクオイルを隠し味に。南京ハゼの葉の下に隠された、スダチを絞っていただきます。
「夏なのでさっぱり召し上がっていただきたいと思い、なめろうには一般的にアジが使われるところ、視点を変えてイサキを主役にイタリアの食材を混ぜ込みました。セミドライトマトには旨みがあるので、魚を昆布締めにするのに近い感覚です」と、石井さん。有馬山椒が心地よいアクセントを添えます。
焼き物は、鮎の「炭火焼」。「星のや京都」の庭と目の前を流れる大堰川を表現した美しいプレゼンテーションと、躍動感あふれ今にも泳ぎ出しそうな鮎に、エヴァンさんの目も釘づけに。スマートフォンを取り出し、撮影の手が止まりません。
「少し甘みがあって旨みが強い海塩を使い、生きたまま届いた鮎に串を打ち、炭火でふっくら焼き上げました」と、石井さん。
エヴァンさんは頭からアユをかじり、「とても繊細で、カリッとよく焼けていますね。骨まで全部いただけて、本当においしいです」と、顔をほころばせました。実は、添えられた蓼酢にも秘密が。「実は、オリーブオイルが入っているんです」と、石井さん。エヴァンさんも、「このソース(蓼酢)をつけると、別の味が引き出されますね。おいしい! いつもは蓼酢があまり好きじゃないけれど、これは本当においしい」と、すっかり気に入った様子でした。
嵐峡の滋味
料金 24,200円/1名(サービス料込)
翌朝は少し早起きをして、嵐山の人気スポットである「竹林の小径」を散策。エヴァンさんがずっと訪れたいと思っていた、「憧れの場所」と言います。背の高い竹を見上げながら、ゆっくり歩き始めたエヴァンさん。
「日本ならではの美しい風景ですね。セミや鳥の声など、自然の音がいい。こういう緑豊かなところでは、朝の光が映えますね。きっと夜もきれいなんだろうな」と、語りました。しかし、しばらく歩くと、あまりのセミの大合唱に「セミはやっぱりやかましいですね。支配的な音だ。僕としては、もっと小鳥が鳴いてくれるといいんだけど」と、ニヤリ。
幼少期を過ごした故郷の森にも思いを馳せながら、途中で野宮神社も参拝し、トロッコ列車の線路も渡ってお散歩は終了。おだやかな眼差しで、日本の美しい風景を心に刻んでいるかのようでした。
宿の部屋に戻ると、お楽しみの朝食です。提供されるのは、旬の野菜たっぷりの「嵐峡の朝鍋」。昆布と鰹の出汁が体にやさしくしみ渡ります。この日の野菜は、レタスや壬生菜、豆苗、カラフルトマト、たまねぎ、なめこ、大国しめじ、しいたけなど。お揚げや生麩も添えられ、鱧はさっと出汁にくぐらせていただきます。締めには卵を加え、雑炊にすることも。
「朝ごはんから野菜がいっぱいでいいですね。とってもおいしい」と、エヴァンさん。お豆腐や漬物、ご飯も味わいながら、「日本の朝食は小さいものがいっぱいあって、小鳥がついばむように食べられて大好きです。僕は、朝食を急いで食べるのは嫌いなんだ。仕事の前だと急いで食べなくてはいけないけれど、今日はゆっくり食べられてうれしいな」と、すっかりリラックス。窓の外に広がる緑豊かな景色も楽しみながら、至福のひとときを過ごしていました。
朝鍋朝食
料金 4,598円(サービス料込)
旅のクライマックスは、目の前を流れる大堰川での舟遊びです。舟枠に北山杉やヒノキ材が使われ、銅の錺金具で装飾された「星のや京都」専用の雅な屋形舟「翡翠」を貸し切り、いざ! 舟の名前そのままに美しい翡翠色の水面をゆっくり進むと、両側に緑あふれる峡谷の絶景が広がります。
「緑が美しくて、心地いいですね」と、くつろいだ様子のエヴァンさん。「不思議と、中南米やアフリカでカカオを探しに行く舟のことを思い出しました。こんな風にエレガントではないんだけれど、これくらいのサイズの舟に乗っていくんですよ。安全性もこれとは全然違うかな」と、カカオ産地に頻繁に足を運ぶエヴァンさんならではの感想も。川面を抜けるやわらかな風が頬をくすぐります。
舟の上では、野点籠での抹茶体験も。自ら点てた抹茶を心静かに味わい、「おいしいです。これで僕も平安貴族の気分を味わえたかな。いや、やっぱり、僕は貴族じゃないから、貴族の気分はわからない」と、茶目っ気たっぷりに話したエヴァンさん。
「でも、僕は探求者だから、いろんなことを経験してみたいと思っています。この2日間で新しい経験をいろいろできて、とても楽しかった」と語り、旅を締めくくりました。
屋形舟「翡翠」の舟遊び
料金 51,000円/1組(サービス料込)
日常から解き放たれて、美しい世界観と日本ならではのもてなしに身をゆだね、いにしえの都の文化に思いを馳せながら過ごす「星のや京都」の休日。忘れられない経験が、そこに待ち受けています。
星のや京都
所在地 京都府京都市西京区嵐山元録山町11-2
電話番号 050-3134-8091(星のや総合予約)
宿泊料金 1泊1室あたり136,000円〜(サービス料込、食事別)
客室数 25室
チェックイン 15:00/チェックアウト 12:00
アクセス 阪急嵐山駅より徒歩約10分、京都南ICより車で約30分
https://hoshinoresorts.com/ja/hotels/hoshinoyakyoto/
文=瀬戸理恵子
写真=長谷川潤