1988年、パリで創業したショコラトリー「ジャン=ポール・エヴァン」。エヴァンさんの揺るぎない職人気質と卓越した感性によって繰り出されるショコラは、上質と洗練、そして遊び心に満ち、世界中のファンを魅了しています。
日本にも造詣の深いエヴァンさんが東京と広島にブティックを開店したのは、2002年のこと。22年間の道のりを振り返るとともに、“カカオ危機”も叫ばれる今、ショコラティエとして取り組む活動や未来への展望について伺いました。
――日本にブティックをオープンされてから、今年で22年となります。今の思いをお聞かせください。
ジャン=ポール・エヴァン(以下、エヴァン) 日本の情熱を持ったパートナー、そしてスタッフのみなさんを心から信頼し、歩んでこられた22年だったと思います。私は本当にラッキーでした。私が抱いていたのは、おいしいものや上質なものの価値がわかり、それを愛する人がたくさんいる日本で、当時まだあまり知られていなかったフランスのショコラ文化をお伝えしたい、という思い。
そうした職人の文化をきちんと伝えるためには、周りにいる方々を大切にすることがもっとも重要だと考えました。互いに信頼し合うためには、嘘をつかず、何も隠さず接していかなければならない。私は頑固なところがありますし、厳しすぎてちょっとついていけないと思われることもよくあります。そんな私にパートナーとスタッフのみなさんがついてきてくれたこと、そして日本のお客様が広く受け入れ、愛してくださっていることに、心から感謝しています。
――当時、広島と東京に開かれたブティックのコンセプトは?
エヴァン ブランドとして新しいコンセプトとなる、「カーヴ ア ショコラ」と「バー ア ショコラ」を備えたブティックをオープンしました。これは、閉め切って室温や湿度をコントロールし、照明を落とした店内で品質を保ちながらショコラを販売するというもの。ショコラが純粋なものであり、宝石のように非常に貴重なものであることを伝えたくて、私自身が考えました。
日本の方々は非常に繊細で貴重なものを理解する力が優れていると思います。そして、非常に好奇心があり、職人に対する尊敬や、生み出されたものを大切にしていこうとする素地がある。そうした日本の文化と深くつながったのが、このブティックのコンセプトだったと思います。
――日本の文化のどのようなところに惹かれますか?
エヴァン 日本の職人文化には、特に惹かれます。ヨーロッパでは、優れた職人文化を語るとしたらいつも日本のことですから。仕事が真面目で、ていねいで、できたものはいつも完璧。私が思うに、日本とフランスの職人文化はまったく逆のことも多く、食について言えば、日本では手がかかってこまごました食べ物がわりと簡単に手に入りますが、フランスではそうはいきません。
また、舌の繊細さもヨーロッパ人と違い、旨みをはじめ非常に繊細なものを利き分ける力があると思います。餡の良し悪しを見極める力なども、とても敵いません。まあ、納豆は大部分のフランス人には臭いし、おいしくないと思いますけれど(笑)。私は日本滞在時は毎日納豆を食べますし、いろいろ試してお気に入りも見つけましたよ。一方で、フランス人はすごく臭いチーズを食べるけれど、日本人は苦手な人も多いですよね。
――異なる文化とどのように対峙されるのでしょうか?
エヴァン とにかく私は、丸ごと違う文化も受け入れることが一番素晴らしいと思っています。比較は絶対にダメです。そうすることによって、私のクリエーションは日本のお客様の後押しで大きく広がってきました。カカオの味や繊細さを理解するみなさんの期待に応えなければと、自分もどんどんおいしいショコラを見つけ、つくろうとしたところがあります。
――ショコラをつくるうえで大切にしていることを教えてください。
エヴァン 人によって個性はあると思いますが、私にとって大事なのは、ショコラティエの仕事の本質を知ることです。毎日繰り返す作業のなかで、どのポイントが改善でき、さらにおいしいショコラを生み出す鍵になるかを見極めることが大切。そのポイントに力を注ぎ、ショコラの質を高めていくのです。どの国で誰と仕事をしようと、これが変わることはありません。
――ショコラティエとして、今、気になることは何ですか?
エヴァン 今は、カメルーンでのカカオのプロジェクトに力を入れています。
近年では気候変動などによる生産量の減少や、価格高騰が問題となり、“カカオ危機”も叫ばれていますが、私はずっと前から、もしかしたらこうした危機が来るかもしれないと思っていました。そして、2020年からショコラティエ・アンガジェ(フランス語で“コミットするショコラティエ”の意味)というネットワークに参加し、カカオ生産者の支援を始めています。
カメルーンを初めて訪れたのは、3年くらい前でしょうか。ショコラをはじめ食べるものは生きていくうえで欠かせないものです。そうした自分の命を支えるものがどこで、どんな環境で、どんな人たちによってつくられているのかを見たいと思いました。
そして、カカオを自分たちの文化の根幹とする人たちの生活を支え、助けたいと感じました。それが、私を含めショコラを生業として生きる人間の社会的責任だと思ったからです。カカオ危機は今、始まったばかりであり、これからますます厳しくなる。だからこそ、こうした活動がこれから先、より重要になってくると考えています。
――なぜカメルーンに着目されたのでしょうか?
エヴァン まず、フランスから遠すぎないところにあるカカオの産地であり、CO2排出量削減の観点からも、そうした国からカカオを購入したいと思いました。それとともに魅力的だったのは、カメルーンでは農薬や肥料などを多く与えることもなく、環境を生かした昔ながらのアグロフォレストリー(森林農業)と呼ばれる栽培方法が今も続けられていたことです。
在来種のカカオも多く残っていて、非常に味わい深く、生産効率を上げるために品種改良された味が薄いカカオとはまったく違いました。
ただ、この地域では小規模の生産者が多いため、いつ収穫するか、収穫したカカオをどう発酵させ、どう乾燥させるのかなど、よくわからずにやっている人がほとんどで、衛生上の問題もありました。設備も整っておらず、収穫したカカオを入れた重い袋をかついで、村から遠く離れた工場まで一日がかりで歩いて運ばなければならなくて、一定量が溜まるのを待つため、カカオをすぐに加工することができないという問題点も。
これを改善するため、私が直接出資して収穫地の近くにポストハーベストセンターを設立し、現地の人たちと協同組合をつくって一緒に運営することにしたのです。
――ポストハーベストセンターは、いつ完成したのですか?
エヴァン 2023年9月に完成し、私の名前と村の名前を合わせて、「エヴァン・エヌコロサン」と名付けました。INUAというフランスのカカオ研究所で学んだ人を雇い、その人から発酵や乾燥など、収穫したカカオをどのように加工すればよいかを教え、基準に沿ってカカオ豆として出荷するまでの生産が行われるようにしました。
品質も格段に向上し、とてもうれしく思っています。そして私も、品質の管理人として、カカオの品質をチェックして、ダメなときはすぐに電話してダメだと言うようにしています。そうすることで現地の人たちもすごく頑張りますし、品質もどんどん向上していく。さらに、カメルーンのカカオをフランスで受け取り、腕のよいクーベルチュリエに持ち込んでショコラに加工してもらうことも、私の大きな役目です。
これにより、カメルーンのショコラの地位を上げるための一番いい道へと導いていくのです。同時に、この良質なカメルーンのカカオを大手メーカーが横やりを入れて全部買いあさってしまうことを防ぎ、自分と志を共にし、信頼できるショコラティエだけに販売することも大切。私は、お金儲けには興味はありません。
将来的にロイヤリティが発生するならば、現地の子供たちや女性たち、働く場所のない人々の支援に使い、地域のためにもっと働いていきたい。そうすることで、カメルーンのカカオ栽培が質を高めつつ守られていくと考えています。
――今後の展望をお聞かせください。
エヴァン これからの時代は、食べる人たちの意識も変わっていくと思います。口にするカカオがどのように育てられ、どのようにしてショコラとなるに至ったのかについて思いを馳せ、きちんとした労働環境で真っ当な人たちが大切に育てたものを口にしたい、と考える人たちも次第に増えてきています。
そのなかで私が目指すのは、強制労働や劣悪な環境のないところでつくられ、搾取ではなく正当な価格で取引されたカカオを提供するということです。さらにはCO2排出量も少ないものを提供しなければならない。
大切なのは、生産者から加工者、召し上がるお客様まで誰に対しても誠実であり、透明性をしっかり保つということ。つまり、求められるのは“顔の見えるショコラ”であり、お客様に今まで以上に強い好奇心を持ってそこに参加していただき、ショコラを追求していただくということだと思うのです。これは夢ではなく、絶対にかなえなくてはいけないこと。そのために私は、これからも力を尽くしていきたいと思っています。
ジャン=ポール・エヴァン 伊勢丹新宿本店
所在地 東京都新宿区新宿3-14-1 伊勢丹新宿本店B1
電話番号 03-3352-1111(大代表)
営業時間 10:00〜20:00
https://www.jph-japon.co.jp/
文=瀬戸理恵子
写真=長谷川潤
協力=星のや京都