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「ヤングケアラーの内的時間とは どういうものか」中村佑子が思い出す “病院で出会った彼女たちのこと”

  • 2024年2月13日
  • CREA WEB

『マザリング 現代の母なる場所』(集英社)で心身のバランスを崩しがちな母のことを綴った映像作家の中村佑子さん。自身もヤングケアラーだったが、ヤングケアラー当事者の本当の感情がどこか置いてきぼりであるように感じていたという。中村佑子さんがヤングケアラーの内的時間について綴ったのが『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』(医学書院)だ。執筆にかけた二年を経て、最後に別の風景が見えてきたという中村さんの同書より、一部を編集の上、紹介する。


 この本では、病の家族に付き添う時間とはどういうものなのか、つまりヤングケアラーの内的時間とはどういうものかを書いている。葛藤と喜び、苦しみと快楽、引き裂かれてゆく感情の双方の極を書きたいと思った。さらに病気を抱える家族のケアといっても身体的な疾病ではなく、とくに精神疾患に限って考えてみたい。

 わたしはまず、母に付き添って過ごした精神科病院で出会った女性たちのことから書きはじめ、前作と同じように当事者への聞き書きとして進めていった。しかしそこには、ヤングケアラー特有の困難があったのだ……。その詳細は本論を読んでいただきたい。

 筆をとったり、筆を置いたりするわたしの右往左往、迷いともども、すべてをここに書いている。わたし自身の感情や思考のドキュメントとしての部分も大きいが、その道行きの困難さも含めて、書くということが孕む問題に向き合うことだったのだろうと、いまはそう思っている。


撮影:中村佑子

◆◆◆

 何から語りはじめればよいだろう。

 もう十年以上前になる。わたしの母は、ある精神科病院を受診し、主治医の先生の顔を見た途端、その場で倒れ意識を失った。

 母に付き添い、わたしもしばらく入院病棟に寝泊まりした。そこは女性だけの病棟で、実にさまざまな患者さんが入院していた。いや入院ではなく、そこに住んでいるといっても過言ではない人が多くいた。この病院で出会った彼女たちのことを、ときおり強く思い出す。

◆◆◆

 病院での生活にも慣れてきたころ、喫煙室でひとりの女性と出会った。

 そのころまだわたしはときおりタバコを吸っていて、喫煙場所は一階の正面の門が見えるテラスのひさしの下だった。そこでよく見かける四十代くらいの女性がいて、彼女はわたしたちと同じ階に入院していた。

 ときたまタバコを吸いながら、携帯で誰かと小声で話し込んでいる。そこから推察するに、子どもがいるのだと思う。しきりに誰かを心配しているが、相手はそっけないのか会話はいつも一方通行で、すぐに途切れ、やがて何が終わりの合図だったのかわからないきっかけで、唐突に電話は切られた。彼女はあきらめのような、うつろな表情でまたタバコを吸いはじめる。

 彼女は鬱で長期入院していると言っていた。

 家族の事情はそれ以上わたしは知らないし、聞くこともなかった。ここで出会う者同士、親しくなっても、お互いにあまりに複雑な事情が折り重なっているので、心のうちをすべて話すということにはならない。話し出すと、危うく保っているバランスが決壊してしまう恐れも感じていた。たぶんそれを聞くには、あと一年、いや何年もかかるのかもしれない。

タロットカードの彼女

 ある日、彼女が午後の食堂で、タロットカードをしないかと言ってきたことがあった。引いてと言われて引いたら、「Feel Safe」と書いてある。曰く、

「あなたが囚われているものは、あなたがつくり出している偶像です。あなたにとっては、とても強く、パワーがあって、支配されていると思っているかもしれませんが、あなたがつくったパワーしか持っていません。あなたはもっと強いものに見守られています。自分自身の大きな未来に見守られています」

 そうカードは告げているということで、彼女はわたしに「自分を大切に」と言った。

 自分を大切にという言葉ほどむずかしいものはない。人は自分が何を望んでいるのか、本当にはわからないものだし、自分を大切にするという意味を、わたしはいまだによく理解できないでいた。


中村佑子/シアターコモンズ『サスペンデッド』より

 自分が望むものの形を手に取るようにわかる人がもしいたとしても、それは何らかの外的な要求によって、そう錯覚しているにすぎないのではないか。それに自分が大切にしたいことと、自分の大切な人が大切にしたいものとのあいだで折り合いがつかないこともある。

 彼女にとって大切にしたいこととは何か。彼女に「自分を大切に」と言われる意味をかみしめながら、わたしは不吉めいたカードの柄を眺めた。

 きっとこの人は、外でも立派に生活できる。なんらかの理由で、家族が彼女に求める生活の質というものに、彼女が到達できないのかもしれない。病というもののなかに家族全員が逃避したことによって、彼女がひとりここにいざるを得ないのかもしれない。それほど彼女との会話のなかに病理は感じなかった。あきらめと、それでもまだ大切な人を信じたいという気持ちの交差が彼女を満たしているように感じられた。

 斜め下を向きながら、彼女は自分のなかの深い闇を見つめているようだった。その闇には、自分を病院に入れることを最善と信じて、めったに会いにもこない家族の心ない一言や、解消しきれない不信の場面、さまざまものが去来し、そして沈殿しているのだろう。

◆◆◆

 その後、母は意識を取り戻し、自宅介護がはじまった。最初は要介護5がつき、おむつ介助もあった。退院してから、繰り返し同じ言葉を言う「常同行動」がひどく、わたしは“壊れたレコード”と呼んで笑い飛ばしていた。

 笑い飛ばすくらいしか、日常生活のなかで異質な動きをする家族を受け入れる術はなかった。さいわい父は底抜けに明るいキャラクターで、ピンクのエプロンをつけてお料理しながら、“ラテン系介護”と自分のことを名づけていた。

 家には毎日ヘルパーさんが入り、定期的にケアマネさんの面談を受け、父が休むためにショートステイも数か月おきに利用する。わたしは実家の近くに引っ越して通いながら、家族をもち、子どもを産んで、曲がりなりにも母に子育てを手伝ってもらったりする。

 そうしているうちに母は、いまでは要介護2まで奇跡的な復活をとげ、わたしの悩みに適切なアドバイスをくれるようにまでなった。入浴介助のヘルパーさんとはもう十年のつきあいになり、まるで本当の叔母のように感じている。わたしたちは家族だけでなく、たくさんの人の手を借りて、母の彼女なりの自由を保てている。

 こうして母と接しているとき、ときおりあの病院の女性たちは、いまもあの場所にいるのだろうかと思い出す。あの静かな連帯と、夜の食堂の窓辺で、自分が流した涙の冷たさを思い出す。

文=中村佑子

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