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「クイックルハンディの使い勝手の よさは衝撃だった」天台宗大阿闍梨が “新しい掃除道具”を避けない理由

  • 2022年11月25日
  • CREA WEB

 15歳で仏門に入り、朝から晩まで掃除と修行の日々を過ごし、28歳で最も苛烈な修行といわれる「千日回峰行」に挑んだ光永圓道。地球1周分に相当する約4万キロメートルを7年かけて徒歩で巡礼し、9日間にわたって断食・断水・不眠・不臥で不動明王を念じる千日回峰行は、平安時代から1000年以上続く、命がけの難行苦行の修行です。

『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』は、光永圓道大阿闍梨が天台仏教、そして荒行で体得した「良く生きるための気づき」を、掃除という万人共通の生活行動を通して説く、唯一無二の人生哲学書です。

 やらされるのではなくやる、身の回りを整理することで心を切り替える、まずは美しい所作から身につけるなど、心が整い、今日より明日をよりよく生きるためのヒントを同書より紹介します。


同じ24時間、できることは多かったり少なかったり

 時計の刻み方で申し上げれば、時間というものは、1日に24 時間と決まっております。この点だけを見れば、先に否定した「時間がない」という言い方にも一理あるように思われますが、いかがでしょうか。現実には、同じ24時間の中で、私たちができることは多かったり、少なかったりするのです。

 千日回峰行の入り口では、計80足の草鞋で百日回峰行を満行しなければならないという決まりがあります。これは簡単ではありません。たとえば梅雨どきに、7里半の巡拝をしたなら、一晩で2、3足の草鞋を履き潰してしまいます。稲わらを編んだ草履は、雨に弱いのです。


庭園を彩る苔は神社仏閣の「名物」だが、名物たるには日々の手入れが欠かせない(『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』より)。

 けれど、私たちは80足で百日回峰行を終えなければなりません。それが「与えられた条件」だからです。そのために、行者の歩き方は徐々に変化していきます。回峰行を始めたばかりの頃は、急速に傷んでいく草鞋に焦りますが、次第に長く使えるようになり、最終的には1足で丸3日間も歩き通せるようになりました。

 平等に「与えられた条件」として考えれば、草鞋も時間も大差はないでしょう。一人ひとりに与えられた条件は同じでも、その使い方次第で、成し遂げられる物事の分量が大きく変わってくるのです。

 その意味では、決められた時間を上手く使うために「変化球」を探すのも悪くない気がいたします。

「かぎられた時間」と「行動の結果」が釣り合わないと感じる方へ

 仏教の根本は不変ですが、時代によって法話の小道具は変化します。お釈迦さまの時代には、テレビもスマートフォンも存在しませんでした。伝教大師さまは現代の掃除機に驚かれるかもしれません。

 小僧として暮らし始めた頃、明王堂のトイレは汲み取り式でした。現在は水洗なので、掃除にかかる時間が大幅に短くなっています。洗濯にしても、洗濯板から2槽式洗濯機に変わり、いつの間にか脱水槽と洗濯槽がひとつになって、いまでは乾燥機能までついています。

 語感に反して、「便利」という感覚は恐ろしいものです。固形石鹸を使って洗濯板で洗う作業を経験した上で、2槽式洗濯機を使えば「便利」だと感じますが、幼い時分から乾燥機能付き洗濯機を使って育ったかたは、そもそも便利という感覚すら持ちません。いまの自分を取り巻いている状況について、感謝の念を抱きにくいのです。


桟や隅を雑巾で拭う際は、雑巾の端に人差し指をあて、親指と中指で根元を軽く絞る。コツは、力まずに握ること(『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』より)。

 私はいまでも、市販の固形石鹸であるウタマロ(東邦)を使って、足袋を手洗いしています。しかし、同じやり方を小僧さんにお願いはしません。自分で扱うときは手洗いですが、小僧さんは洗濯機です。

 手洗いと洗濯機というふたつのやり方の間に「貴賤」はないでしょう。私が手洗いする理由は、そのやり方の方が汚れが落ちるからです。それ以上の理由はありません。手洗いをすると、洗濯機以上に「心の垢が落ちる」ということもないでしょう。どんな道具を使うにせよ、掃除は掃除です。

 ひとつ違いがあるとすれば、古い道具や方法を経験しているかどうか。それによって、掃除に対する喜びの幅は違ってくるかもしれません。私は、汲み取り式のトイレや2槽式洗濯機、熊手を使う掃除を「みずからの経験」として知っています。おそらくそれゆえに、水洗式トイレや乾燥機能付きの洗濯機、ブロワーによって効率化された「現在の掃除」にも喜びを感じられるのでしょう。

 いま現在「かぎられた時間」と「行動の結果」が釣り合わないと感じるかたがいるならば、じつは幸せな状況にいらっしゃるのではないでしょうか。

 使っている道具や考え方が古ければ古いほど、効率化を図る余地があります。いまのやり方や道具をすこしずつ新しく変化させていくことで、毎回新たな喜びを得られるのです。

新しい技術や文明を受け入れる

 1000年以上も前から続く千日回峰行を満行した者の発言としては、違和感を持って受け取られるかもしれませんが、時代がもたらす変化を怖れることはありません。新しい技術や文明は、表現の種類を増やすだけで、私たち人間の本質を歪めるわけではないからです。

 回峰行でもっとも長い距離を巡拝する「京都大廻り」について、私はかつて「ゲーム感覚」と表現したことがありました。毎日、早朝からお加持(祈祷)を待っていてくださる信徒さんを見つけたとき、「お加持のかた、発見!」と、心中で喜びの声を上げていたことをお話ししたのです。


照明のカサや洋服ダンス、冷蔵庫の上などには特にほこりが溜まりやすいので、週に1度の掃除は必須(〈協力:関口真允〉『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』より)。

 お加持のかたを見出すのに「ゲーム感覚」とは何事かと眉をひそめたかたもいらっしゃったでしょう。この感覚は、小学生時代にファミコンが登場した1970年代以降に育った方々でないと、なかなか実感するのも難しいかもしれません。

 けれど、私も47歳になりました。日本人の平均寿命は男性で81歳、女性で87歳ですから、皆さまの2人に1人は、私と同じような「ゲーム世代」でもあるわけです。

 もちろん、千日回峰行の目的は巡拝であり、皆さまにお加持をして差し上げることですが、その慎みと喜びの表現が、時代によって少しずつ変わっていくことを否定するのはもったいないと思うのです。

 流行に乗るのではありません。注意深く観察して、使えそうな部分を見抜くのです。それが、新しい道具を見つけて楽しむためのコツです。

 掃除でいえば、クイックルハンディ(花王)の使い勝手のよさは衝撃でした。照明のカサや天井近くの桟の日常的な掃除は、これだけで十分なほどです。伸び縮みタイプなら、先端のブラシの角度も変えられますので、背伸びしても届かない場所もこれ1本ですべて対応できます。


水に濡らした新聞紙で汚れを取ることもできるが、スクイージーを使えば時間と手間が半分以下に(〈協力:関口真允〉『比叡山大阿闍梨 心を掃除する』より)。

 水垢取りには、メラミンスポンジの激落ちくん(レック)でしょう。洗面所や台所、風呂場など水道の蛇口がある場所には、小さくカットした激落ちくんを石鹸と並べて置いています。水垢が目に留まったとき、その場その場で磨いてしまえば、蛇口は常にぴかぴかです。このメラミンスポンジは、金属製のドアや表札のくすみを取るのにも使えます。

 掃除機は、昔ながらのコード式と最新のコードレスを併用しています。さっと持ち運べるコードレスは、コンセントを気にせずに使えるのが利点ですが、お寺のように床面積が広く、複数のお堂がある場所では充電が持ちません。絨毯などを敷いた大広間では、やはりコード式が便利ですね。

光永圓道(みつなが・えんどう)

1975年、東京都に生まれる。
1990年、比叡山にて得度受戒。
1997年、花園大学仏教学科卒業。
2000年、延暦寺一山・大乗院住職。
2008年、明王堂輪番拝命。
2009年、千日回峰行満行。北嶺大行満大阿闍梨。
2015年、十二年籠山行満行。
現在、大乗院住職、覚性律庵住職。

文=光永圓道

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