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京都難読地名のひとつ「天使突抜」。その由来になった「五條天神宮」とは・・・?!

  • 2021年4月22日
  • ことりっぷ


「不明門(あけず)通」「悪王子(あくおおじ)町」「閻魔前(えんままえ)町」・・・・・・京都には一風変わった名前の通りや地名が多く残りますが、その中でもとびっ切り気になる存在が「天使突抜(てんしつきぬけ)」です。
ある通り周辺の町名になっている「天使突抜」ですが、なぜこのような名前が付けられたのでしょうか。そのひみつを探りに出かけてみました。
「天使突抜」は、西洞院通と油小路通の間に位置する東中筋通を中心に、北から南に1丁目から4丁目まで存在する町です。1丁目と2丁目がある五条通の辺りまではマンションや一軒家が建ち並ぶ昔ながらの住宅地といった風情ですが、3丁目と4丁目がある五条通より南側には小さな寺院が点在します。
「天使突抜」と呼ばれるようになったのには、松原通にある「五條天神宮」が大きく関係しています。
「五條天神宮」は、平安遷都の際に桓武天皇の命により、弘法大師・空海によってこの地に勧請されたと伝わる古社で、「天使の宮」または「天使社」と呼ばれてきました。のちに、後鳥羽上皇の時代に「五條天神宮」と改められます。
ご祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)の3柱で、なかでも少彦名命が薬の神様であることから、医薬や医家の神様として信仰を集めてきました。
現在では、厄除けの神様として親しまれ、特に毎年2月の節分祭では、日本最古とも伝わる宝船図を授与することで知られています。
また、松原通はかつて五条通とされていたことから、『義経記』によれば、あの牛若丸と弁慶が出会った場所は「五条大橋」ではなく、実はこの「五條天神宮」であったとも記されています。
そんな歴史ある「五條天神宮」ですが、天正年間(1573~1592年)に境内を貫くかたちで道が通され町が作られます。そのことからこの辺りは次第に「天使の社を突き抜けて作られた」ことを意味する「天使突抜」と呼ばれるようになったのです。
天使突抜の町内には「天使突抜」と書かれた看板が点在します。「五條天神宮」にお参りに訪れる際は、ちょっと不思議な町名を探しながら周辺散策も楽しんでみてくださいね。

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