青森県南津軽郡の田舎館村(いなかだてむら)は、桜の名所である弘前市の隣に位置する津軽平野の米どころ。田んぼに色とりどりの稲を植えることで広大な絵を描く「田んぼアート」のパイオニアだ。今でこそ田んぼアートは全国各地でつくられているが、1993年に初めて田んぼアートを制作した歴史を持つ田舎館村のそれは、見るものを圧倒する緻密さを誇る。人口およそ7200人の村で、田んぼアートは30万人を超す観光客を集めてきた。
2023年田んぼアート第1会場『門世の柵と真珠の耳飾りの少女』。7色10種類の稲を植え分けて緻密なアートを描いている。
夏は田んぼアートで盛り上がる田舎館村で、2016年から新しいプロジェクトが始まった。田んぼアートと同じ会場で、一面の雪原に幾何学模様を描くスノーアートだ。閑散期だった冬の津軽平野に展開されるスノーアートは「冬の田んぼアート」として「アートの二毛作」とも呼ばれている。
スノーアートを制作する〈スノーアーティスト集団It’s OK.〉の代表・田澤謙吾さんにその経緯をうかがった。
最初は1枚の写真から2014年秋、青森県庁若手職員による研究会では、津軽地域の課題である冬の観光アイディアを探していた。春は弘前公園の桜、夏は青森ねぶた祭り。国内外から数百万人を集める春夏に比べ、どうしても冬の観光客は少なくなる。交通の便が乱れ、住民は雪かきに追われる世界有数の豪雪地帯。しかし、雪は美しさ、アクティビティともに、魅力的な観光コンテンツにもなるのではないか。いろいろな案は出るものの、なかなか決め手になるような目玉が見つからない。何度もミーティングを持ち、リサーチをするなか、ひとりの職員が不思議な写真を見つけた。「これ、すごくないですか?」
幾何学模様が描かれた雪原の写真。
雪面に描かれた万華鏡のような幾何学模様。その光と影のコントラストの美しさに、みんな息を呑んだ。いったい誰がどうやってつくっているのか?調べていくと、イギリス人のサイモン・ベック(Simon Beck)というアーティストが、フランスのスキー場などで制作しているらしい、サッカーコート2〜3面分あるらしい、と『らしい』ばかりだった。
もしこれを青森で実現するとしたら?スノーアートの制作には広い雪原と、観覧には高さのある展望台が必要。……田舎館村の田んぼアート会場ならぴったりなのでは?田んぼアート第2会場のためにつくられた展望台は、冬には田んぼとともに休眠していた。
2017年に制作された田んぼアート第2会場『桃太郎』。第1会場に比べ、田んぼが横長に広い。
田んぼアート第2会場のために建てられた弥生の里展望所。『道の駅いなかだて弥生の里』の敷地内にある。
さっそく田舎館村に相談したところ、もしサイモン氏が協力してくれるのであれば、と条件付きながらも前向きな反応があった。
そう、このスノーアートプロジェクトは、田んぼアート会場の冬季活用が先にあったのではなく、津軽の冬の観光コンテンツの開発から生まれたものだったのだ。
サイモン・ベック氏にコンタクトまずはサイモン氏に翻訳ソフトを使って書いた英語のメールを送った。しかし、何の返信もなく数日が経過。やはり難しいのかと思いつつ、Facebookからメッセージを送ったところ、すぐに反応があった。「日本でスノーアートをつくりませんか?」と打診したら、「やるよ!」と即答するサイモン氏。「一度オンラインで話しましょう」と来たので、「わかりました」と送ったら、すぐにSkypeの呼び出し音が鳴った。しかし、こちら側には通訳なしで話せるメンバーがいない。日本は朝、イギリスは夜。「一晩寝てもらっているあいだに準備するので、またあとで話しましょう!」と約束した。
それからすぐに弘前市で観光業を営み英語も話せる西谷雷佐氏に通訳を頼み、数時間後に開催するオンラインミーティングに同席してもらった。事前にはアーティストらしく気難しいところがあると聞いていたが、ミーティングは終始和やかな雰囲気で進んだ。あっという間に年度末の2015年3月に田舎館村の会場を下見に来てから、2016年と2017年に田舎館村でスノーアートを制作してもらう運びになった。
世界唯一のスノーアーティストが来日!2015年3月、まだ雪が残る青森空港に、半袖シャツとスパッツ姿のサイモン氏が降り立った。
そのまま青森県知事、田舎館村村長、県民局長に表敬訪問し、今後の協定書にサイン。
半袖シャツ姿で協定書にサインするサイモン氏。
翌日、田んぼアート第2会場を見たサイモン氏は、スノーアート制作に十分な環境があることを確認。このプロジェクトに関わる県民局職員、田舎館村役場職員、観光関係者など有志メンバーに向けて、スノーアート制作の簡単な講習も行われた。
スノーアートは突然にすべて予定通りに進んだと思ったら、サイモン氏か突然の申し出が。「ポールはないか?」「え?何に使うんですか?」「これからスノーアートをつくるんだ!」除雪用のポールを差し出すと雪原に走り出し、突然のスノーアート制作が始まった。
急に始まったスノーアート制作。ポールを起点として、模様を描いていく。
ひとりで黙々と雪を踏むサイモン氏、図面も何もなく、魔法のように幾何学模様を編み出してゆく。開始から6時間、非公式ながら日本初のスノーアートをつくってしまった。メディアからの取材にこたえるなか、夏の田んぼアートと冬のスノーアートで「アートの二毛作」というキャッチフレーズも生まれた。
あらためて日本初のスノーアート制作を下見の翌年、2016年2月に再びサイモン氏が来日し、日本で初めて本格的なスノーアートの制作を行った。制作を始めたらいっさい休憩なし。用意しておいたコーラとバナナとチョコチップクッキーで栄養をとるのみだった。9時間後、予定していたエリアをはるかに超える巨大な作品が完成した。
2016年に制作されたスノーアート。この時も設計図面はなかった。
夜は展望台から世界初となるスノーアートのライトアップも実施。ライトアップされると凹凸の陰影が美しく浮き上がり、取材関係者もふくめ、その場にいた人みんなが感嘆の声を上げた。
初めてライトアップされたスノーアートの美しさには、制作したサイモン氏自身も満足していたという。
サイモンの弟子たちスノーアート制作の講義をするサイモン氏。
前年に講習を受けた田澤さんをはじめとする地元の有志メンバーは、サイモン氏が制作するスノーアートの一部を踏み固めるなどで参加していた。有志メンバーは田舎館村役場職員、県庁職員、弘前大学からのボランティアや、地域おこしに関わる住民もいて、役所と民間を超えたつながりになっていた。これが後の〈スノーアーティスト集団It’sOK.〉の源になる。とくにそのうちのひとり、田舎館村役場の女性職員がサイモン氏に一番弟子として認められていた。
日本初のスノーアートの公開イベントは、2月6日から14日までの9日間。サイモン氏が帰国したあとは、この教えを受けたメンバーで、雪が降ったら埋もれた足跡を踏み直すなど、メンテナンスをしながらアートを維持する予定だった。
しかし…。
逆境からの挑戦サイモン氏が去った数日後、2日間にわたって大雪が降り、スノーアートは完全に消えてしまった。当初予定していたメンテナンスの範囲を超えた事態で、再現することは誰にもできない。一時はイベント中止かと、ニュースにもなった。
「冬の田んぼアート、雪で埋没 積雪で修復を断念」
ニュースサイトの見出しに、「やっぱり」「想定してなかったの?」と嘲笑するようなコメントが並んだ。
一番の人出が予想される3連休を前に、まっさらに戻ってしまった雪のキャンバス。そのとき、一番弟子が立ち上がった。「ダメでもともと、やってみる!」と、オリジナルのスノーアート制作を決断。有志メンバーもそれに続いた。
ぶっつけ本番、初めてのスノーアート制作は、翌日に完成。
地元メンバーで制作したオリジナルのスノーアート。
サイモン氏のように曲線を入れることはできなかったが、訪れる人々を驚かせるには十分なものだった。
結果、初の「冬の田んぼアート」は「世界唯一のスノーアーティスト・サイモン・ベック氏が日本初のスノーアート制作」「大雪でスノーアート消失、イベント中止か」「サイモン・ベック氏の弟子がオリジナルのスノーアートを制作し、イベント継続」と、3度もニュースに取り上げられた。
スノーアーティスト集団It’s OK.の誕生日本初のスノーアートを公開した翌年、3度目のサイモン氏来日を迎える。
2017年2月のスノーアート制作。薄暗いなか、サイモン氏は作品の完成に向けて足跡を入念につけていく。
前年とはまた違うアートを制作するなか、地元有志メンバーへのレクチャーも行った。このレクチャーを受けたメンバーを中心に、スノーアーティスト集団It’s OK.が発足する。その名前は、英語ができない地元メンバーとサイモン氏との会話が、「It’s OK ?(これでいい?)」「It’s OK !(それでいいよ!)」がほとんどだったことに由来する。
サイモン氏(写真前列左)と地元有志メンバー。サイモン・ベック公認の団体として、スノーアーティスト集団It’s OK.を設立。
2017年サイモン・ベック氏制作のスノーアート。
田んぼアート駅の前に展開したIt’s OK.制作のスノーアート。
そして自走するIt’s OK.青森県の事業としてサイモン・ベック氏を招聘する期間は終わった。予定通り2018年のスノーアートからは、It’s OK.のメンバーだけでデザインから制作を行い、田舎館村がイベントを運営する。前年の9月頃からデザイン会議を始め、1月からは毎週岩木山の麓にある岩木山総合公園で練習会を実施した。
「ひとりで制作をするサイモン氏と違って、It’s OK.はグループで制作するので、みんなが同じものを見ていないといけない。それで毎月のデザイン会議から始めました」と田澤さんは振り返る。デザインを描いてから、雪原で実際につくってみると、考えたときより、線だけでさみしい仕上がりになってしまう。しつこいぐらいに足跡を刻まないと、密度のあるアートにはならなかった。
スノーアートは足形を等間隔に刻んだ『シェード』で陰影を表現する。
スノーアート制作に使用するスノーシューとポール。スノーシューの1歩60センチが距離計測の基準になる。
オリエンテーリングコンパスで角度をはかりながら制作する。
何度も試行錯誤を重ねて、イベント開始直前にようやくデザインが固まった。
冬の田んぼアート2018のデザイン画とタイトル。
そうして公開されたスノーアートが「煌(きら)めく冬(Glistening Winter)」だった。
2018年、初めてIt’s OK.が単独で制作したスノーアート「煌めく冬(Glistening Winter)」。
アートの端に刻まれたサイン。
続く進化、拡がるスノーアートそれからは毎年、冬になるとIt’s OK.によるスノーアート制作が行われ、冬の田んぼアートも定番の観光コンテンツになった。また、隣の弘前市でも野球場にスノーアートを制作したいとの依頼があり、2018年に田舎館村のスノーアートとともに制作。その後は技術指導をした弘前市体育協会が中心となり、「冬の球場アート」として継続している。
2018年に制作された『冬の球場アート』。
青森県内だけではなく、秋田県、北海道など、ほかの雪国からも声がかかり、出張してスノーアート制作、技術指導もしている。
まだ日本ではめずらしいスノーアートは、マスメディアにもたびたび紹介された。とくにテレビ番組「世界の果てまでイッテQ!」に取り上げられたときの反響は大きく、放送中ずっと田澤さんのもとへ知人からの連絡が来ていたという。
コロナ禍によるイベント中止はあったが、そのあいだも技術研鑽は続けた。2023年から一般公開イベントも再開し、また多くのファンを集めている。
2023年に制作したスノーアート。難しかった曲線の模様も、今では数多く入れられるようになっている。
新しいメンバーとともに県内外からの呼び声がかかるIt’s OK.は新しいメンバーをいつでも募集しているという。最近、ひとりの若者が入った。
「実は2016年から毎年、田舎館村中学校の受験生を応援するメッセージアートを、校庭に描く取り組みをしてきたんです。そのときにいっしょにスノーアートをつくった中学生が、高校を卒業して大学生になったタイミングで入団してくれました。これはうれしかったですね」と田澤さんは目を細める。
田舎館中学校の校庭に生徒たちと描く受験生応援メッセージ。
2024年は津軽地域全体で雪がほとんど降らず、スノーアート制作は中止となった。本来なら津軽在住のアーティストGOMA氏とのコラボデザインになるはずだったが、今年に持ち越し。GOMA氏は精緻な描き込みが特徴的なアーティストで、田舎館駅舎の内側いっぱいにアートを描くなど村との関係も深い。
弘南鉄道の田舎館駅にはGOMA氏によるアートが描かれている。
2025年は1月24日(金)〜26日(日)の3日間、スノーアートを公開する。
逆境の雪を楽しむこの冬、津軽地方は12月から記録的な大雪が続いた。年末年始も交通機関が動かず、道は雪に覆われ、住民は毎日雪かきに追われている。近年は雪が少なく、スノーアート制作にも苦労していたが、今年はすでに雪が十二分にある。
初年度の消失したアートからぶっつけ本番の初制作のように、苦しいなかに置かれたときこそ、雪国に暮らす人たちのねばり強い底力が発揮されるのかもしれない。
スノーアーティスト集団It’s OK.はこれからも新しいことに挑戦し続け、長い津軽の冬に楽しみをもたらしていくことだろう。
おそろいのジャンパーに身を包むIt’s OK.のメンバー。
information
スノーアーティスト集団It’s OK.
WEB:スノーアーティスト集団: Its OK.(イッツオーケー)
WEB:「冬の田んぼアート2025」開催のお知らせ | 田舎館村
YouTube:冬の田んぼアート2020(スノーアート制作ドキュメンタリー)
writer profile
Mikako Saitou
斎藤美佳子
さいとうみかこ●ブロガー・ライター。北海道出身、青森県弘前市在住。劇団スタッフと並行して'90年代よりインターネットで情報発信を始める。2014年「さいとうサポート」の屋号でフリーランスに。雪かきのたびに「次は雪のない地域に住みたい」とぼやいている。
credit
写真提供:It’s OK、さいとうサポート