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いまが課題解決のチャンス。復興とまちづくりに奮闘する能登の老舗温泉旅館6代目

  • 2025年1月8日
  • コロカル
いち早く復興に動いた和倉温泉

1200年の歴史があるといわれる、能登半島最大の温泉地、七尾市の和倉温泉。七尾湾に面して旅館が立ち並ぶが、2024年元日の能登半島地震で護岸が崩壊するなど甚大な被害を受け、21軒ある旅館のうち、12月現在で営業再開できた旅館はわずか4軒にとどまる。

「最初の1か月くらいは生きるということで必死でした」

そう話すのは、明治18年創業の旅館〈多田屋〉6代目の多田健太郎さん。多田屋もほかの多くの旅館と同じく営業再開のめどは立っていないが、多田さんは多田屋の再建と並行して、「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」の代表も務め、和倉温泉の復興に奔走する日々を送っている。

〈多田屋〉代表取締役社長の多田健太郎さん。ウェブメディア『能登つづり』で能登の魅力を発信するなどの活動は、コロカルでも2015年に記事で紹介した。

〈多田屋〉代表取締役社長の多田健太郎さん。ウェブメディア『能登つづり』で能登の魅力を発信するなどの活動は、コロカルでも2015年に記事で紹介した。

元日、多田屋には120名余りの宿泊客がいた。地震が起きてから全員の無事を確認し、まず客を避難させた。周辺の旅館からも観光客が避難したため、避難所となった小学校は受け入れ可能な人数のおよそ5倍の2000人もの人であふれたという。

なんとかひと晩を過ごし、客は全員無事帰ることができたが、「本来なら旅館が避難所にならないといけない。その役目が果たせなかったのがショックでした」と多田さんは振り返る。

現在の多田屋は1972年に建てられたため、旧耐震基準の建物。館内は段差ができてしまったり、ひびが入ってしまった場所、壁が剥がれたところもあり、損傷は大きい。

全体が広く複数の建物が入り組んだ構造で、詳細な調査をしたうえで使える部分と解体すべき部分を見極めることにしているが、その調査にも時間がかかるという。能登全域がそのような状態にあるのだから無理もないが、その分、復興が遅れてしまう。それでも応急措置で済ますのではなく、きちんと安全性を担保して再開したいと多田さんは考えている。

館内には段差ができてしまった箇所も。揺れの大きさを物語っている。

館内には段差ができてしまった箇所も。揺れの大きさを物語っている。

個々の旅館の復旧のめどが立たないなか、和倉温泉ではいち早く復興に向け動きだした。能登の復興の鍵を握るのは、やはり人を呼ぶことができる温泉だ。そこで2040年に向けた「和倉温泉創造的復興ビジョン」策定のため、次代を担う若手経営者によるワーキング委員会が発足。多田さんはその委員長に任命された。

これまで和倉温泉では、70代以上の経営者たちがまちづくりを牽引してきたが、多田さんは自分たちがビジョンを策定するのであれば、実行までやらせてほしいと訴え、承認を得た。

備品を保管してあった部屋。壁が剥がれてしまっていた。

備品を保管してあった部屋。壁が剥がれてしまっていた。

2月8日に第1回会議が開かれ、数回の討議を重ね、アドバイザーからのアドバイスも受けながら、2月29日に復興ビジョンを発表。その後、ビジョンを具体的なまちづくりの計画に落とし込むため、策定会議を引き継ぐかたちで、委員会が「和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会」となり、多田さんはその代表を務めている。

循環し、持続可能なまちづくりを

復興ビジョンで掲げたコンセプトは「能登の里山里海を“めぐるちから”に。和倉温泉」というもの。「景観」「生業」「共有」「連携」「生活」「安全」の6つを柱とし、“めぐる”をキーワードに考えた。里山里海の豊かな自然環境の循環や、温泉に入って血行を巡らせ健康になる、という意味も込められている。

「ビジョンは委員会の16人みんなが納得するような、何かあったときに立ち戻れるものでないとだめだと思いました。“めぐる”には、能登を巡ったり、和倉のまちを巡ってもらうという意味も込めています。大きな旅館は、泊まると食事もお土産もすべて旅館の中で完結してしまいますが、まちを巡ってもらいたい。まちに魅力がないとこれからの観光はないと思っています」

また、自分たちの世代だけでなく、次の世代につなげられるようなビジョンにしたかったという。

「当事者たちがまちづくりができるような、アップデートできるビジョンにしたいと思いました。自分たちがやりたいことを実現できるようなまちにしないと、若い人たちは来てくれないし、未来が見えないですから。持続可能性が一番大事だと思っています」

復興ビジョンを掲げた和倉温泉は休眠預金等活用事業に採択され、現在はその補助金を予算としてまちづくりを進める。行政に頼らなくてはいけない部分はたしかにあるが、まず自分たちがどうしていきたいかが大事だという。

「最初は、困っていると窮状を訴えれば行政が助けてくれると思っていました。でも待っているだけでは助けてくれない。国はどういう補助ならしてくれるのか、それには自分たちがどうしたいのかを考えないといけないということがわかりました。行政ありきでなく、自活して、そのためにバックアップしてもらうというようにみんなの意識も少しずつ変わってきました。それはとても健全だと思います」

11月には、旅館で使われなくなった食器や雑貨を、廃棄するのではなく格安で欲しい人に譲ろうと、和倉温泉で「めぐる市」が開催された。物が巡って、人から人へ。そこにも“めぐる”というコンセプトが生きた。

また、和倉だけでなく、七尾のまちなかで風情ある古いまち並みが残る「一本杉通り」と、能登島でも同時にイベントが開催され、一本杉通りと和倉温泉の間にはシャトルバスも走らせ、人を巡らせた。そういうアイデアが協議会のメンバーから上がってきたことも、多田さんはうれしく感じている。

11月3日に5つの旅館が出店し「和倉復興めぐる市」が開催された。(写真提供:多田屋)

11月3日に5つの旅館が出店し「和倉復興めぐる市」が開催された。(写真提供:多田屋)

協議会では、具体的にどうまちづくりを進めていくかの協議を続け、計画を策定中。11月に中間取りまとめの報告をし、2025年3月に計画を発表する予定だ。

「一部の人だけがわかっているようなまちづくりではなく、まちの人たちとも共有できる絵を描きたい。そのためには、協議会だけで話し合うのではなくて、住民の方たちや、これからの時代を担う子どもたちの意見も聞きたいと思いました」

そうして開催されているのが住民参加型の「和倉トーク」だ。誰でも参加可能で、和倉について話し合う会を月1回ほど開催。小学校5、6年生に集まってもらって小学校でも開催し、それらの意見を中間取りまとめに反映している。実現可能かどうかはおいておいて、まずは住民が描く未来を提示したかったという。

ゲストスピーカーを迎え、住民参加型のワークショップ「和倉トーク」を開催。(写真提供:多田屋)

ゲストスピーカーを迎え、住民参加型のワークショップ「和倉トーク」を開催。(写真提供:多田屋)

「最初に伴走支援の会社にイメージを作成してもらったときは、都市開発的なパースになってしまって。まちが全部上書きされるのではなくて、残さなくてはいけないものもありつつ、そのなかに融和しながら新しいものができていくのがいい。できるだけまちの人たちが参加して、こうやってまちづくりが進んでいくんだということをわかってもらいながら進めていきたいと思っています」

ピンチをチャンスにして乗り越えていく

復興とひと言で言っても、思い描いているものはそれぞれ違う。「復旧」を考えている人も多いことに気づいたと多田さん。

「単に元に戻す“復旧”ではなく、これまでの課題も解決して“復興”していかないと。子どもの教育や住民のウェルネス、まちの未来をどうつくっていくのかが重要です」

人口減少に後継者問題、和倉温泉には地震の前からさまざまな課題あった。多田さんはいま、そんな状況を変えていけるチャンスだと捉えている。

以前から課題解決しながらまちづくりができたらという思いを抱いていたが、声を上げても若い世代に主導権はなく、半ば諦めていた。それが無理なら、まずは多田屋でさまざまな取り組みを実践し、少しずつまちに広めていきたいと考えていたのだ。

「もともとまちのリーダーでもなんでもなかった僕ですが、いまなら話を聞いてもらえる。この状況をチャンスだと思っている人は少ないかもしれませんが、僕はすごいチャンスだと思っています」

70人ほどいた従業員は現在は半分以下になったが、雇用調整助成金で給料を支払っている。多田さんの代になってから若いスタッフも増えた。

70人ほどいた従業員は現在は半分以下になったが、雇用調整助成金で給料を支払っている。多田さんの代になってから若いスタッフも増えた。

この1年間、住民を巻き込み、時間をかけて取り組んできたことが、見た目にはまだあまり表れていない。

「解体だけではなくて、今後は新しい建物も再建してくるので、2025年は少しずつまちづくりが進んでいるんだという期待感を持たせるようなことができたら」

まずは地域の寛容性を高めたいと話す多田さん。具体的には、まちなかでチャレンジショップを開けないかと考えている。和倉温泉は旅館業が強く、外から新しい小さなビジネスが参入しにくい。そこで、たとえば1階が店舗で2階が住まいのような住居付きのチャレンジショップができないか構想中だ。

「奥能登で商売をしていた人が来てもいいし、学生が運営する店もいいと思います。和倉に金沢大学のサテライトもできる予定ですし、若い人たちがまちを賑わせてくれるようなことができたらいいですね」

住むところが少ないという問題も含め、安心して商売ができるような仕組みを考えているという。やることは山積みだ。

現在の多田さんの仕事は、まちづくりに関することが8割くらいで、自社のことがあまりできていないという焦りもある。今後はもちろん多田屋の再建にも力を入れていくつもりだ。建物についても、ようやく伴走してくれる会社が見つかったという。和倉温泉で2025年に再開する宿は5軒ほどある見込みだが、多田屋は2027年夏の再開をめざす。

「2027年に多くの旅館がオープンして、県や国がキャンペーンをするとしたら、そこが観光のピークになってしまう可能性があります。それではだめで、そこから先のまちづくりをきちんとしておかないと。5年後も10年後も、もっと先まで変わらず、たくさんの方に愛していただける温泉地として復興できるのか、和倉温泉の真価が問われると思います」

真剣なまなざしながらも、時折笑顔も交え話してくれた多田さん。地震後はずっとテンションが上がったままなのだという。

「つらいときもありますが、乗り越えないとしょうがないと思って前に進んできました。まちのことも大変ですが、地震の前より、よくなる可能性もあると思っています。その可能性があるうちはがんばれるし、結果を出したいと思っています」

復興への道のりはまだまだ長い。だが、少しずつ光が見えてきている。そう信じて和倉温泉と多田さんの活躍を見守りたい。

information

和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会

Web:和倉温泉創造的復興まちづくり推進協議会

editor profile

Ichico Enomoto

榎本市子

えのもと・いちこ●エディター/ライター。東京都国分寺市出身。テレビ誌編集を経て、コロカルの編集に携わる。映画と現代美術と旅が好き。

credit

撮影:ただ(ゆかい)

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