写真提供:野生の学舎
自然の中から引き出される、原初のものづくり北海道南西部に位置し、日本で3番目に大きいカルデラ湖を持つ洞爺湖町に〈野生の学舎〉という学び舎がある。野生の学舎という名は、ヘンリー・ソローの著書からとられている。ソローは、たったひとり湖畔に自ら建てた小屋で自給自足の暮らしを営み、森を毎日何時間も歩くなかで思索を深めたアメリカの思想家だ。野生の学舎を主宰するアーティストの新井祥也さんは、ソローのように自然から学び、フィールドワークを通じて、「人がものをつくることの根源とは何か」を探り続けている。
2019年に洞爺湖町に移住し野生の学舎を主宰する新井祥也さん。
学び舎の活動は、子どもから大人までが集まって湖にある大きな岩に石を画材にして何かを描いたり、周囲の音に耳を澄ませて、それらをオノマトペとして描き表したり。自然との接触から生まれたこれらの活動は、もうすぐ100回目を迎えようとしている。最初のものづくりとは個人的な営みではなく、集合的な意識から生まれてきたものであり、自然のことばに耳を澄まし、物の語りを聴くことからすべては始まっていく。
さまざまな石を拾い集め、それをチョークのように使って湖畔の岩に描く。(写真提供:野生の学舎)
この学び舎がスタートしたのは2020年。以来4年間で行った数々の取り組みを紹介する展覧会が、洞爺湖芸術館で10月から11月にかけて開催されている。タイトルは『いのちのかたち』。新井さんは展覧会にこんな言葉を寄せた。
「野生の学舎が取り組んできたすべての活動のなかで、その根源には“いのち”というテーマが流れています。生きることを支えるいのちの大きな働きは、目で捉えることも触れることもできず形を変えながら動き続けています。洞爺湖という土地や自然、過去や未来、わたしたちの個々の記憶が交わりながら、いのちにかたちを与える。そこには、表現行為のはじまりの姿が見えてきます。いのちが重なり、境界が溶けていく向こう側にはどのような光景がひろがってゆくのでしょうか」
旧洞爺村の役場の建物を利用した洞爺湖芸術館。円形の緑地帯には野生の学舎と函館在住のアーティストBOTANによる『草木塔』が立てられた。
展示会場には『いのちのかたち』と題された作品があった。活動に参加した主に小学生によってつくられたものだ。子どもたちと新井さんは対話やスケッチなどを繰り返しながら、自身の内側にあるものを表すための試行錯誤をしていったという。構想が決まったら流木と針金を骨組みに使い、かたちの大枠をつくり、そこに紙を何層にも貼り重ね、それぞれに等身大スケールのかたちを生み出した。それらは、生き物のようにも鉱物のようにも分裂する細胞のようにも見えた。
展示風景より。『いのちのかたち』。(写真提供:野生の学舎)
『いのちのかたち』と同じ空間に展示されていたのは『大地の創造』。この作品は町内外から集まった60人以上と共同制作した5×6メートルにもなる絵画だ。洞爺湖にある土や石から顔料をつくり、下絵をつくらずに即興で描いていった。土や石も何億年もの時間をさかのぼれば、火山活動や動植物の堆積によって生まれたものだ。茶褐色のなかに無限のトーンがあり、それらはまるで星雲のようなダイナミックさを感じさせた。
展示風景より。『大地の創造』。(写真提供:野生の学舎)
石や土を砕いて顔料とした。砕く前の石も作品の上に置かれていた。(写真提供:野生の学舎)
彫刻家・砂澤ビッキに導かれて展覧会を訪ねた日は、新井さんと北海道を代表する彫刻家・砂澤ビッキ(1931〜1989)の妻・凉子さんとの対談が関連企画として行われた。洞爺湖芸術館の1階には、ビッキの木彫や絵画、そしてアトリエの再現展示が行われている。旧洞爺村は、旧虻田町(あぶたちょう)と壮瞥町(そうべつちょう)とともに80年代から湖畔に彫刻作品を設置し、90年代には〈洞爺村国際彫刻ビエンナーレ〉を開催していた。こうしたなかで、ビッキの作品を展示する施設をつくる計画が村で持ち上がったそう。その後、合併し洞爺湖町となり、2008年に旧村役場を改修し洞爺湖芸術館が生まれ、村がこれまで収集していたコレクションを展示する場となり、ビッキの作品もここに設置されることとなった。
洞爺湖芸術館1階に展示されている砂澤ビッキの作品。(写真:在本彌生)
夜半過ぎから創作をしていたというビッキ。午前3時のアトリエと題した、アトリエの再現展示もあった。(写真:在本彌生)
ふたりの対談が行われるきっかけとなったのは『いのちのかたち』展開催中に、たまたま凉子さんが洞爺湖芸術館を訪ねたことから。ビッキの人となりについて聞いた新井さんは、こうした話を多くの人と共有し、ビッキの作品が洞爺湖にあるということがいかに大切なのかを知ってもらいたいと思ったという。
対談の様子。左が砂澤凉子さん。
対談の始まりに、新井さんは2019年にこの地に移住した経緯を語った。福井出身で、上京して美術大学に進学したものの中退。ベルリンで3年、オーストラリアで1年を過ごし、その後、自転車で日本をめぐる旅に出た。野宿をしながら北上するなかで、あるときネットでビッキの作品を知り、洞爺湖芸術館に立ち寄ったという。
「北の風土と相まってビッキの作品にすごく衝撃を受けました。ビッキは『よく自然の中を彷徨するけれど、探求しよう、理解しようとはしない。自然の中に入って自然と交感する。そこに、あからさまな自己が見えてくるのだ』という言葉を残しています。自転車で旅をしてテント泊をすると、夜の暗闇のなかでキツネや鹿の鳴き声が聞こえてくる。自然のなかで過ごす体験が積み重なるうちに内なる野生的な感覚が呼び起こされていく。自分が自然と一体になって学び舎をつくろうという原点にはビッキとの出会いがありました」
新井さんの話を受けて、凉子さんはビッキが常々語っていた言葉について教えてくれた。「音威子府のアトリエには旅人がたくさん訪ねてきました。長く滞在して彫刻をやりたいという人もいました。ビッキは弟子をとらなかったし、彫刻について教えもしなかったんですが、素材となる木を渡して『これに彫ってみろ』と、そして『木から言葉をもらいなさい』と言っていました」
ビッキは木をじっと見つめる時間が長かったという。それは1年ほどかかるときもあったそうだが「言葉をもらう」と、1日か2日で彫り上げていたと凉子さんは語った。
ビッキのアトリエに作品として制作されることのなかった巨大なミズナラの原木があり、それが洞爺湖芸術館の敷地に運ばれた。長い年月のなかで木から新しい植物の命が芽吹いている。
このほか、新井さんが今年の秋に参加したアートプロジェクト『ルーツ&アーツしらおい』で流木を使った塔を立てたことから、ビッキの4本の柱が立つ木彫『四つの風』についても語られた。札幌芸術の森に1986年より野外展示されている作品。これまでに3本が倒壊したが、いまなお1本がそこに立っている。ビッキは「風雪という名の鑿(のみ)が作品を完成させる」と語っており、自然倒壊を望んでいたという。
「ビッキは人々に対して挑発をしていたんじゃないかと思います。自然というものにいかに人間が関わるのか。実際に彫刻を保存するのか、そのまま朽ち果てていくのかといういろんな議論を巻き起こした」と新井さんは指摘した。そして対談の最後をこう締め括った。
「僕はこれまでビッキからたくさんの言葉を受けとりました。このスピリットを野生の学舎の活動で語り継ぎたいと思っています」
野生の学舎がルーツ&アーツしらおいで制作した『交信correspondance』。巨大な流木を、根を上にして立てた。(撮影:アキタヒデキ)
1階には、野生の学舎で行った『Sculpture painting かくことの始源』という絵画が展示してあった。これは、子どもたちとともに洞爺湖芸術館を訪れ、ビッキ作品を見ることから制作を始めたものだという。ビッキは、スカルプチャーペインティングと称して濡らした紙を鋭い木片で引っ掻いてから色を塗るという表現を行っており、これを子どもたちと挑戦することとなった。
展示風景より。『Sculpture painting かくことの始源』
「ボコボコになった白紙にいろんな線がひしめいて、絵の具を塗った瞬間に彫られた線が光って声があがった。打ちつける雨や吹き荒れる風のような線が生き生きと流れた。誰かと共にかく、つくるという事は、思わぬものが混ざり合い、遭遇することだ。自らの意志だけではない、無数の線が交差してゆく場所。かくこと(書く、描く、欠く、掻く)の本源を探る旅程から、私たちは次第に彫るということに自然と向かっていった。引っ掻くことが火種となり、ここから太陽の版画の新しい創造が始まった」(展覧会解説より)
スカルプチャーペインティングを行っている様子。(写真提供:野生の学舎)
ビッキの表現から新しい取り組みが開花した。『太陽を彫る』は2022年の冬至から2023年の夏至にかけて、子どもから大人まで総勢23名が参加したベニア板3枚分の大きな版画作品だ。コロナ禍を経て、ウイルスという人の目では捉えられない微小な存在について想いをめぐらせていたとき、太陽にも「コロナ」があることに気づき、そこから太陽というものを原初の人々はどうとらえていたのかを問い直そうとこのプロジェクトにつながった。太陽に関する神話に触れ、「もしこの世界に太陽がなかったら」とみんなで考え、イメージや言葉のかけらを小さな紙切れに取り出し、そこから徐々に構図を導き出して下絵を描き、板を彫り、紙に刷った。
展示風景より。『太陽を彫る』(写真提供:野生の学舎)
『太陽を彫る』を間近で見ると、さまざまな生き物が蠢く様子がわかる。
みんなで版木を彫っていく様子。(写真提供:野生の学舎)
「いのちが重なり、境界が溶けていく向こう側にはどのような光景がひろがってゆくのでしょうか」野生の学舎のこの問いかけは、これからも、その活動の根幹に据えられていくのだろう。ビッキと野生の学舎の作品を見て、ただひとりの個人的な主張をかたちにするのではなく、自然(あるいは地球、それとも宇宙?)という大きな存在とともにものづくりをすることによってこそ、そこに表された“いのち”というものが生き生きと輝くように見えるのだと感じられた。活動のなかでそのときどきに現れる、“いのち”のきらめきの瞬間を見逃さないようにしたい。そのために、いつも自然とともにあることを忘れず、感覚を研ぎ澄ませておかなければならないと思った。
洞爺湖芸術館からは洞爺湖が見渡せる。「草木塔」のてっぺんから顔を出す新井さん。(写真提供:野生の学舎)
information
いのちのかたち 野生の学舎
会期:2024年11月30日まで
住所:北海道虻田郡洞爺湖町洞爺町96番地3
TEL:0142-87-2525
開館時間:9:30〜17:00(受付は閉館30分前まで)
休館日:月曜
観覧料:一般300円、高校生200円、小中学生100円(洞爺湖町民は無料)
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。https://www.instagram.com/michikokurushima/
https://www.facebook.com/michikuru