撮影:江田晃一
あの夜、〈YANE TATEYAMA〉で起こったこと西陽が眩しいコンクリート打ちっぱなしのだだっ広い部屋の其処彼処に置かれたソファ席のひとつを陣取って、僕はいまこれを書いています。ここは房総半島の最南端にある館山のまち。僕が活動の拠点を東京より南房総エリアへと移してから、すでに1年半が過ぎようとしています。
〈YANE TATEYAMA〉と名づけられたこの3階建ての古いビルの中には、書店、カフェ、ジビエレザー工房、イタリア料理屋といった店舗が、階の上下あるいは同じフロア内でシームレスに連なり合っていて、最上階にはなんとホテルが。ビル内では時折イベントやワークショップが行われていたりもして、さながら宿泊機能を兼ね備えた小さな複合文化施設のよう。
写真提供:YANE TATEYAMA
〈YANE TATEYAMA〉の2階。カフェや書店の利用者がくつろぐサロンのような空間。(写真提供:YANE TATEYAMA)
しかしこのビルは、駅前から徒歩5分以内という好立地にありながら、つい最近まで廃墟同然の空き家でした。
〈北条文庫〉の店内。“土着”と“土発”がテーマだというだけあって、この南房総地域ならではのレア本も。(写真提供:YANE TATEYAMA)
YANE TATEYAMAの地上階にある、今年オープンしたばかりの書店〈北条文庫〉では、これまでに2度の映画上映会が開催されています。
最初の上映会は僕も企画段階から協力し、『Caravan to the Future』を上映。日本、フランス、アフリカの3拠点を行き来しながら活動している、ジャーナリストで作家のデコート豊崎アリサさんが、ラクダにまたがってサハラ砂漠を征くトゥアレグ族の長く過酷な行商の旅を記録したドキュメンタリー映画です。
アリサさんはこの映画が初めて日本で上映された頃からの友人なのですが、郷土史とアートと旅をテーマに本を揃えている北条文庫とこの映画の相性は抜群ですし、また偶然にも彼女の日本滞在と北条文庫のオープンの時期が重なったということもあって、この上映会が実現する運びとなりました。
監督のデコート豊崎アリサさん(左)と筆者。(写真提供:YANE TATEYAMA)
ふだん見慣れているはずのまちの風景の一部が変化したことへの地元の人々の関心と期待の高まりが相まってか、この上映会は平日夜の開催であったにもかかわらず、予約受付を始めてからたった2日で申込数が定員に達し、僕たちは座席の数を増やす工夫や新たな駐車場の確保などに追われることに。たかだか30人程度の人数を集めるだけでも大騒ぎです。
当日にドタキャンするお客さんはひとりもおらず、上映後のトークショーで設けたQ&Aコーナーではお客さんからのアリサさんへの質問が途切れることなく続き、終了予定時間を大幅に延長することとなりました。
これが、少なくとも僕のような人間にとってどれだけ画期的な出来事だったことか。というのも、僕はこの房総の地に、これまで自分が続けてきた仕事や生活の“先”を求めてやってきた人間だからです。
『Caravan to the Future』上映会当日の様子。(写真提供:YANE TATEYAMA)
コロナ禍に鋸南町へこちらに来る以前、僕の職場と自宅は東京の渋谷区にありました。映画館兼イベントスペースのような場所の運営に関わりながら、国内外の独立系アーティストたちのライブやトークイベント、上映会や作品展を企画するプログラム・ディレクターとしての活動に明け暮れる日々を送っていました。
自分たちの場所のキャパシティを超えるようなアイデアがアーティストから出されることも少なくなく、状況的に自分が引き受けるしかないと判断した案件に限っては、よそのハコを借りてでも実現させたり、時には自らがバンドやDJとして演者側に回ってでも、損得勘定抜きでサポートしたりと、そんなことばかりを約20年間にわたって続けていました。
自分が10代の頃からリスペクトし続けてきた、インディペンデントな姿勢に貫かれたカルチャーやアートの現場を維持させることが最重要事項だと考えていましたし、いまだってその考えに変わりはないのですが、一方でこのやり方は東京だからこそ成立しているのだということを常に冷静に自覚している自分がいました。
そして東日本大震災以降、またコロナ禍以降にアーティストたちや同業の友人知人たちは、ひとりずつ東京から姿を消していきました。それぞれの事情は異なれど、僕もそんな人間のひとりということになるのでしょう。
僕が昨年から住んでいるのは、館山から20キロほど北にある、南房総エリアでは最も東京寄りの位置にある鋸南町(きょなんまち)。明治22年の町村制施行により誕生した勝山町と保田(ほた)町というふたつの町が、昭和34年に合併してひとつの自治体となる際に、鋸山(のこぎりやま)の南に位置することから、この名前がつけられたのだといいます。
わざわざコロナ禍が始まったタイミングでフリーランスの道を選択してしまったために自分の時間とアイデアを持て余していた僕は、あらゆる都市機能が停止あるいは不全に陥ってしまった東京の外側へ、そして地方都市のさらに奥へと足を延ばす機会が増えていきました。
鋸南町は、そんな頃にアーティストたちとよく通っていた場所のひとつ。きっかけは限界集落化した山間の農村部における野生動物による獣害の問題を知ったことでした。
都内からは高速に乗ってアクアラインを経由すれば約1時間で辿り着いてしまうほどの近さだというのに、鋸南保田ICを降りた途端に目の前に現れるのはまるで別世界。傾斜の少ない海側の平地に住宅が集中し、山間部に向かって田畑が広がっているという、典型的な南房総エリアの風景がここにはあります。
東京湾上空から望む鋸南町の保田エリア。(撮影:江田晃一)
勝山と保田にはそれぞれ海へ向かってまっすぐと延びた商店街がありますが、海水浴客や船客たちが押し寄せて賑わった時代はとうに過ぎ去り、現在はシャッター商店街としての寂しい姿を晒しています。そして僕はいま、勝山の商店街で80年間営まれていたという家族経営のスーパーマーケット〈明石丸〉の店内を借りて、自分の事務所として使わせてもらっています。
事務所の初ゲストは鋸南町でデザインサーベイ踏査を行っていた千葉大学の皆さん。
明石丸は2019年の台風被害により廃業してしまったものの、現在は地域の人に向けて開かれた多目的スペースとして運営されています。すでに役割を終えてしまった店舗や施設の今日的な用途を模索する動きは、きっと全国各地の過疎のまちで起こっていることでしょう。
荒唐無稽に思われるかもしれませんが、僕はこの過疎高齢化が進む地域だからこそ、この房総半島の風景のなかにすでに存在しているものをつくり直したり、別のものと組み合わせたりすることで、これからのカルチャーを育んでいくための場を、そして地域内外の人々が交流する機会をつくることができるのではないか、そんな可能性を感じているのです。
このまちとの関わりが山から始まった僕ですが、現在は潮風薫る漁港の商店街に毎日通い、地域おこし協力隊の制度を利用しながら、このまちに人が足を運ぶ理由になるようなイベントの企画について考え続けています。
都市部の外側にある可能性話を冒頭の館山での出来事に戻します。
驚くなかれ、南房総エリアには映画館がひとつもありません。そもそも、この辺りで夜に集まれる娯楽施設なんて、カラオケやスナック以外に見当たりません。だからこそ、地元の青年たちがつくったばかりの書店で平日の夜に行われた上映会に人が集まったということが、僕の目には画期的に映ったわけなのでした。
決してこの土地に観客がいないわけではなく、消えそうになりながら燻り続けているカルチャーの火種を再び燃え上がらせるための受け皿となるような場所が、長きにわたって存在していなかっただけなのではないか……そう思わせるには十分な熱気が会場内に充満していました。ないものは自分(たち)でつくる。なんとシンプルで力強い理由でしょうか。
鋸南町の大六海岸沿いにあるコロッケ専門店&カフェ〈3103 croquette〉でライブイベントを企画したときも、予約開始から数日でソールドアウト。京都在住のギタリスト山内弘太さんと、鋸南町の山奥に昨年引っ越してきた新進気鋭のパーカッショニスト安藤巴さんのふたりが、日没後のマジックアワーに変化し続ける海の夕景に音を重ねていくという趣向で行われたこのライブにも、東京を含む町内外からお客さんが集まってくれました。
〈3103 croquette〉でのライブイベント。ゆっくりと変化していく窓の外の海を目で楽しみながら、即興でつくり上げられる音像の中にたゆたう。店内には揚げたてのコロッケの香りが充満しお腹も空く(笑)。
東京で平日の夜に即興演奏や実験音楽のイベントを企画しても集客が難しいということは、経験的に嫌というほど知っています。すばらしい夕景が望める内房の海という環境なくしては成功しなかったこの“実験”を経て、都市部の外側が秘めている可能性というものにあらためて気づかされました。
また、こんなこともありました。農村部の獣害とアーティストの創作がテーマの作品展を鋸南町の道の駅〈保田小学校〉で開催したときのこと。この企画に興味を持ってくれたNHK千葉のディレクター氏の粋な計らいによって、会期中のある日、夕方のニュース番組のお天気コーナーが展示会場から生中継されることになりました。
鋸南町の獣害対策現場を訪れた7組のアーティストたちが、駆除された野生動物の骨や皮を持ち帰り作品を制作&発表。この『シシシカキョンキョナン展』を8月に東京でも開催し、今後も各地を巡回予定。
夕方以降のNHKの番組は田舎住まいの高齢者にとってゴールデンタイムですから、翌朝から町内外のおじいちゃんおばあちゃんたちの来場が相次ぐという、うれしい展開に。
「うちの裏山に落ちてたシカのツノ、あんた使う?」「昔飼ってた朝鮮牛のツノ、大事にとってたんだけどあたし終活中だからさあ、あんたいる?」「あたしツノゴマっていう変わった実を集めていてそれに金と銀のスプレーをして魔除けとして売ってるんだけどさ、うちにたくさん余ってるの。あんたもらってくんない?」「古生物の化石を集めているんだ。これはあげらんないけど触ってもいいよ」
と、それぞれ持参したお宝について興奮気味に話してくれました。この土地とともに生きてこられたご高齢の皆さんの知見やナラティブ、そして遊び心に触れるきっかけが図らずもつくられてしまったことにこちらも興奮を禁じ得ませんでした。
地域の高齢者の方々が持ち寄ってくれたお宝の数々。左上から反時計回りに朝鮮牛のツノ、クジラの化石、シカのツノ、ツノゴマの実。
……と、第1回となる今回は、まずはじめに自分が何者なのかということについて長々と書きました。この連載は、都市部から房総半島に移住してユニークな活動を展開している人々をひとりずつ訪ね歩き、彼らがどのようなかたちで地域に根ざした活動を行っているのか、そしてそこに至るまでの過程を聞いていくことを目的としています。
僕自身が東京でごく当たり前に慣れ親しんできたカルチャーの行方、そしてカルチャーが起こり得る場所に強い興味を持っていることから、そのラインナップは少し個性的なものになるかもしれません。とはいえ、多分野を行き来しながらこの土地に散在する新しい動きをひとつずつ丁寧にキャッチしていけたらと思っています。
かつて東京で協働した仲間たちとは、東京の外にある場所で再会する機会が増えてきました。本連載でのさまざまなケースの紹介を通して、房総の中にも多様なカルチャーの支流を受け入れられる合流ポイントを発見できるのではないかと僕自身も期待しています。
連載タイトルにある「ニュー(NU)」は、20世紀のディスコミュージックが21世紀のDJたちによって現在のダンスフロア向けに再編集された音源またはジャンルの通称「NU-DISCO」から。「プロセス」は、既存の音楽形式そのものへの挑戦的な態度を貫いたドイツの音楽家マーカス・ポップことOVALがかつて発表した音楽制作ソフトウェアの名前「Ovalprocess」から。
いずれも2000年頃に起こったことですから、AIや仮想現実の話題で持ちきりなこのご時世に、オールドスクールすぎる引用かもしれません。ま、いいか。
それでは、始めます。
日没後のマジックアワーが鋸南町の海岸にもたらす夕景は掛け値なしの美しさ。
writer profile
Masaharu Kuramochi
倉持政晴
くらもち・まさはる●1975年大阪生まれ、京都〜千葉〜兵庫〜東京育ち。2023年より地域おこし協力隊の制度を利用して千葉県安房郡鋸南町へ移住。現在は房総半島拠点の企画制作プロジェクト〈区区往来(まちまちおうらい)〉を主宰。2021年に閉館した〈アップリンク渋谷〉(旧名:UPLINK FACTORY)では1999年から 2020年までイベントの企画を担当し、国内外の独立系文化やアンダーグラウンド文化に焦点を当てたさまざまなイベントを開催した。バンド〈黒パイプ〉のボーカル。最近のDJ名義は「memeくらげ」。青林工藝舎の隔月漫画誌アックスにて「ル・デルニエ・クリの人びと」を連載中。区区往来