インテリア雑貨や家具のセレクトショップ〈ザ・コンランショップ〉が、1994年に新宿でオープンして今年30年になる。創業者テレンス・コンラン卿の孫である、フィリックス・コンランさんは2024年春、豊かな自然環境に魅了されて奈良県東吉野村に居を移し、古民家の改修と家具の制作を手がけるデザインスタジオ〈HA PARTNERS〉を立ち上げた。
「何事にも丁寧に取り組む日本のクラフトマンシップ、卓越したこだわりに深く惹かれています。この“忍耐”と“細部へのこだわり”という哲学は、私がいま学ぶべきものであると思うのです」
終の住まいとオフィスの移転先に、イギリスのカントリーサイドのバートン・コートを選んだテレンス氏と、言語も文化も異なる東吉野に活動の場を移したフィリックスさんの姿はどこか重なる。そして、東吉野への移住については「ほかの親族が唖然としても、祖父は理解してくれたと思います」と2020年に亡くなったテレンス氏を偲ぶ。
「祖父が亡くなり、彼との関わりはより深まったと思います。彼が生きていたときは、現在起きている出来事について話していました。でも今は、彼がしてきたことを振り返ることができます。彼と一緒に仕事をした人たちを通してね。だから、私は彼の考え方や、世界で起きたことに対して、どうナビゲートしていったのかを知ることで、タイミングよくインスピレーションを得ることができています。今こそ私は彼から学んでいるのです」
フィリックスさんにとってテレンス・コンラン氏はどういう存在だったのだろうか。すぐれた経営の師匠か、メンター(先生)か、あるいは“いいおじいちゃん”か?
「祖父は、なぜそれが好きなのか、どのようにつくられているのか、どうすればそれを改良できるのかを理解することの大切さを教えてくれた人。加えて、生涯にわたる好奇心と革新への意欲を私に植えつけてくれた、メンター的存在でした。たしかに彼はビジネス界で名を馳せた優秀なビジネスマンではありましたが、私と祖父の関係はごく個人的なものでした」
ビバンダム(日本では一般的に「ミシュランマン」と呼ばれることが多い)の収集家であったテレンス氏。その1体が東吉野のフィリックスさんのオフィスにあった。「日本の空港で税関を通れるか(爆発物と間違われないか)気が気じゃなかったよ!」
テレンス氏が収集していた19台のブガッティ・ペダルカーのうちの1台。これらはテレンス氏の自邸でありオフィスのバートン・コートの玄関ホールの壁に飾られていたもの。
〈ザ・コンランショップ〉デザイン監修のホテルが誕生現在、フィリックスさんは〈ザ・コンランショップ〉の経営には関与していないが、〈コンランショップ・ジャパン〉の代表取締役社長・中原慎一郎さんに声をかけられ、この夏、ホテルの1室にアートとデザインで参画をした。
場所は、三重県多気町にある宿泊と観光、食の複合施設〈VISON(ヴィソン)〉。その一角のホテル〈HACIENDA VISON(ハシェンダ・ヴィソン)〉を、〈ザ・コンランショップ〉がデザイン監修し、2024年8月にオープンした。フィリックスさんは、そのうちの1室、「テレンス・コンラン卿の部屋」をコンセプトとした部屋〈Thames(テムズ)〉のアート作品とシェルフのデザインで携わった。
「デザインは必ずしもパフォーマンスを高めるわけではないと思います。デザインは、人が生活で使うもの。ですから、生活に溶け込むようなすぐれたデザインの製品は生き生きとしているように感じます。一方ホテルでは、膨大な量のストーリーテリングの機会があります。あらゆる経験、誰かが見たり関わったりするすべてのもの――だから、そのデザインに携われることは、非常にエキサイティングなことだと思います」
〈Thames〉はテレンス氏の出生地・キングストンを流れるテムズ川に由来する。
この〈Thames〉は、テレンス氏のデザイン哲学「無駄なく、シンプルで、実用的(Plain, simple and useful)」をベースに、彼が生前愛用したプロダクトが並ぶ。テレンス氏が生前、一番のお気に入りの椅子だったという、フィンランドのデザイナー、イリヤ・クッカプーロの代表作〈カルセリ〉や、アッキーレとピエル・ジャコモのカスティリオーニ兄弟による名品、〈アルコランプ〉が部屋の中央に鎮座し、目を惹く。
イリヤ・クッカプーロの代表作〈カルセリ〉の椅子は、やわらかなレザーの座面に深く埋もれる感覚がやみつき。イリヤは「雪原に尻もちをついたときの跡」をデザインアイデアにしたという。
フィリックスさんが手がけたベッドスペースのアート作品は、『ways through life(生きざま)』と名づけられた。「FLY(ハエ)」と「ANT(アリ)」の文字と点がコンランを象徴する青色で描かれている。
「ハエの飛行の軌跡と、アリが歩いた軌跡を描いた作品です。ハエの動きは予測不可能で、もしかしたらカオスかもしれないですが、目的地に到着します。しかし、アリはよく通った道を好みますよね。そしてよく働きます。この作品を見た人は、自分はアリに近いのか、それともハエに近いのかと、深く考えるかもしれないと思うのです。そして私はそのバランスこそが大切だと思っています」
そしてダイニングスペースの壁側に置かれたシェルフには、『テレンス・コンランのTHE KITCHEN BOOK』、デコイ(木製の鴨の置物)、フィリックスさんのパートナー、エミリー・スミスさんが描いたシダ植物やきのこの水彩画、銅製のソースパンなどが並べられており、フィリックスさんいわく、「ストーリーと美的センスがある、世界のさまざまな場所から運ばれてきた品々」だ。
「当初はアートワークの提供だけを頼まれていたのですが、『それはテレンスのアプローチではないですね』と話をしました。この部屋がどのように使われているかを考えてみましょう。この場所がキッチンとダイニングの一部なのであれば、シェルフなどを置いたほうがずっといいでしょう、と」
シェルフは〈ザ・コンランショップ〉でもおなじみで、収集家であるテレンス氏の象徴でもある。ビバンダム、ブガッティ・ペダルカー、ほうき、鍋……さまざまなプロダクトのコレクターとして知られるテレンス氏は、シェルフに収納能力以上のものを求めていた。
「“シェルフ・スケープ”。テレンスが発明した言葉のひとつです」とフィリックスさん。日本語で言えば「飾り棚」ではなく「棚のある風景」。稀代のデザイナーの哲学を感じた。
コンラン家由来の感性と日本のものづくり技術が、フィリックスさんをどこへ導くか東吉野村に移住してはや半年。「HACIENDA VISONプロジェクトはとても楽しく、いいものとなりました。さまざまなホテルのプロジェクトに携わりたいと思ったほどです」と話すように、フィリックスさんは今後も村や県域を越えたプロジェクトを行いつつ、自邸の改修、村の古民家の再生にも精力的に取り組む予定だ。
フィリックスさんが目指す、“すぐれたデザインで、農村のコミュニティを活性化させる”という事例は全国でも多々あるが、フィリックスさんがテレンス氏ほかコンラン家の人々から学んできたことや、恵まれたセンス、世界の大都市でのデザインと経営の経験は、ほかの人が望んでも手に入れられないもので、それが村にとっていい影響があるはずだということを、誰よりも東吉野の村の人がわかっている。
山あいの地域に新風を吹かせた30歳の若き才能は、これから東吉野の風景をどう変えていくのだろうか。
information
HACIENDA VISON ハシェンダ ヴィソン
住所:三重県多気郡多気町ヴィソン672番1農園4
TEL:0598-67-0698
料金:ひとり1泊 30000円〜(Thames/素泊まり)
Web:HACIENDA VISON公式ページ
profile
Felix Conran フィリックス・コンラン
建築・プロダクトデザイナー。1994年生まれ。祖父テレンス・コンラン卿の影響を受け、幼少期からものづくり、そして日本への興味を持つ。2018年に父とともに家具とインテリアのブランド〈Maker&Son〉をイギリスにて創業。さらには、イギリスを拠点とし、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどに支店を持つオリジナルデザインの家具の会社〈HA HOUSE〉を設立した。2023年に日本各地を3か月ほど旅した際に東吉野村を訪れたことをきっかけに、パートナーと2匹の犬とともに2024年4月東吉野村に移住。。来日後、東吉野を拠点にオリジナルデザインをプロデュースする建築プロダクトデザインと家具の会社〈HA PARTNERS〉を設立。
Instagram:@felixconran
writer profile
Yu Ebihara
海老原 悠
えびはら・ゆう●コロカルエディター/ライター。生まれも育ちも埼玉県。地域でユニークな活動をしている人や、暮らしを楽しんでいる人に会いに行ってきます。人との出会いと美味しいものにいざなわれ、西へ東へ全国行脚。
photographer profile
Kiyoshi Nishioka
西岡潔
にしおか・きよし●大阪生まれ、東京を経て奈良県東吉野村に移住しはや10年目、合同会社〈オフィスキャンプ〉に所属。フォトグラファーにとどまらず、アーティスト、キュレーター、スタジオギャラリー作り、地域課題などに挑戦を続けています。