長崎市内の緩やかな坂道に面した場所に築100年以上の日本家屋を再生したオーベルジュが誕生しました。古い床板や建具の一部、欄間などを残しながら、モダンファニチャーの代表作やアート作品を設置した建物では宿泊はもちろん、長崎の厳選した食材を使うイタリアンが地元を代表する焼き物、波佐見焼のお皿でいただけます。
建物の前には長崎らしい石畳。
長崎は、江戸時代の鎖国政策下において唯一、国際貿易が許され日本と中国、主にオランダやポルトガルなど、ヨーロッパの文化が融合した和華蘭文化が発展。独自の食文化にもつながりました。
〈陶々亭〉の建物は1908(明治41)年、貿易商の住まいとして建てられ、戦後間もない1949(昭和24)年から〈中華料亭 陶々亭〉として営業していました。
料亭では大勢で取り分ける卓袱中華を提供。宴会だけでなく結婚式や両家顔合わせといった晴れの日にも利用されてきた地元の人たちにとって、思い出の多い店でした。
しかし店を切り盛りしてきた料理長と女将夫婦の高齢化により、2020(令和2)年、惜しまれながらも約70年続いた料亭としての営業を終了することに。現代では再現が非常に困難と言われる、文化財的価値の高い日本家屋が失われかねない状況でした。
アプローチで目をひく木彫のダルマ。改修工事中に発見されたそうで、今も陶々亭を見守り続けています。
そんなときに子どもの頃から建物に親しんできたオーナーの、文化財として建物を保存していくのではなく、今まで中華料亭として地元の皆様に愛され親しまれてきたように、これからも利用していただきながら愛され続ける「陶々亭」として後世へと遺していきたい、という想いで、貴重な日本家屋がオーベルジュとして生かされることにつながりました。
レストランと主屋の入り口。「陶々亭」の文字は料亭時代のものを踏襲。
築から100年以上も経過した建物は、建設当時の図面が残っているはずもありません。オープンの準備には2年半以上もの時間が必要でした。工事は古民家のリノベーションに精通している、地元長崎の建設会社〈浜松建設〉が担当し、リノベーションの監修、インテリア、グラフィックは富山と東京に拠点を持つ〈51%(五割一分)〉が担当しました。
謎も残る建物が3つの客室とダイニングスペースに客室は「主屋」「離れ」「蔵」の3室で、3組限定の宿となっています。
主屋の寝室。
明るい主屋は、建築当時につくられた急な階段を上った2階にあります。以前は最大50人ほどが複数の円卓を囲む宴会場として使われていました。
主屋のリビングスペースと縁側。
手すりが付いている縁側や、その足元の床板は当時のもの。特に、長年の汚れが蓄積していた杉を使った縁側の床は、オーベルジュのスタッフが、床が傷まぬよう洗浄剤代わりの米ぬかと水、タオルとブラシだけで何か月もかけて磨き上げてよみがえらせました。
離れの1階にあるリビングスペース。
2階の床を取り除き、新たに階段を設置して、メゾネットの部屋になりました。
離れ2階の寝室。
階段を新たに設置したというのは、最初は1階と2階は繋がっていなかったためです。その理由は、離れの2階が芸妓や仲居が化粧や着付けをする支度部屋で、1階は調理場の板前たちが使った部屋だったため繋がっていない方が理にかなっていたようです。
蔵には、レンガの壁や丸窓が残されました。
蔵は、敷地の奥にありその名の通り元は蔵として利用されていました。やはりメゾネットタイプで、壁のレンガと、なぜか階段の途中にある丸窓も建築当時のものを残しました。
蔵のバスルームはヒノキの浴槽を採用。
蔵は3部屋のなかでいちばん小さいものの、唯一、ヒノキの浴槽を採用していることから部屋に入った瞬間からアロマオイルが焚かれているかのようないい香りが漂います。
新たに板張りになったダイニングルームは古い欄間や天井を生かしています。
〈レストラン HAJIME〉として、宿泊客以外も迎え入れるダイニングルームは床間もある空間で、畳を板張りに変更しました。天井高はそのままで照明を埋め込み、明るくモダンな印象に。
個室に設置された円卓は料亭時代を思わせるシンボリックな存在です。
畳敷の個室は、料亭時代に使われた円卓が中央に配され、その上で1950年台にデンマークのデザイナー、ポール・へニングセンがデザインした照明〈PH アーティチョーク〉が違和感なく室内を照らしています。
ダイニングルームの床間にはハタノワタルの軸が掛けられています。
どの部屋にもアート作品が置かれ、歴史を感じる空間に現代的な要素が加えられているのも見どころのひとつです。
今回のリノベーションでは、建築当時の窓や壁、床などを古いまま残しただけでなく、建物内に泥だらけで残されていた古材を洗浄して造作家具の一部に転用。歴史ある建物をそのまま残した箇所と新たにつくられたり加えられたりした部分や新品の家具や作品をつなぐように存在しています。
山と海に囲まれた食材の豊かさをオーセンティックなイタリア料理にコース料理には必ず旬の海の幸が取り入れられます。
食事が魅力でもあるオーベルジュのレストラン〈HAJIME〉のディナーでは、地元食材を使ったオーセンティックなイタリア料理が提供されます。
イタリアン歴25年のシェフ、高坂二木(たかさかにき)さんはイタリアのナポリで修業後、主に大阪で腕を振るってきました。新たに長崎のオーベルジュの厨房を指揮することになり地元の人が思う以上に長崎の食材が豊かであることに気づきました。
東シナ海に面する長崎は2022(令和4)年の都道府県別漁業産出額*が北海道に次いで2位。フグやハモが全国屈指の出荷量を誇り、イセエビも名物であることは、あまり知られていません。
(*農林水産省の統計より)
ある日の12000円のコース。
農産物は温暖な気候が育てるレモンやミカンなどの柑橘類、無農薬で育てられる野菜、自然あふれる環境やこだわりの飼料で肥育される羊や牛、鶏や卵と愛情をかけて農産物を育てる生産者との出会いもありました。
コースで提供される料理は魚のカルパッチョや、こだわりの卵を使った自家製麵のパスタなど、イタリアの家庭料理を長崎の食材と融合させた料理が並びます。
高阪シェフ。長崎市内で唯一の薪釜で、丁寧にピッツァを焼き上げます。
山に囲まれた港町、長崎は修行で訪れた南イタリアに似ていることから長崎がイタリアにあったなら、こんな料理が生まれていただろうと想像しながら料理を考えているとシェフは話します。
〈陶々亭〉では、イタリア製のピザ窯で焼くピッツァも名物。500℃の薪窯で焼き上げるピッツァは香ばしく、誰もが好きな味です。
料理は長崎を代表する陶磁器、波佐見焼に盛り付けられて提供されることも食事から長崎を知る要素になっています。
長崎の暮らしに溶け込んだ特別さを受け継ぎ、今を知る宿グループ会社ブルーキャブのラッピングタクシーで長崎空港からの送迎オプションも利用可能。ラッピングのイラストは、アーティスト長場雄が手がけました。
〈陶々亭〉から程近い唐人屋敷跡に長崎新地中華街、少し離れた大浦外国人居留地や出島とかつて国際貿易の拠点だったころの遺産が大切に残されている長崎。
一方で〈陶々亭〉と同じような歴史ある料亭が閉店して、建て替えられてしまった場所もあります。
敷地内は古くからの緑が多く残ります
〈レストラン HAJIME〉には〈中華料亭 陶々亭〉に思い出のある人も食事に訪れて変わらない部分や新しくなった部分を見比べて懐かしみながら食事を楽しんでいます。
有名な観光地だけではない長崎を知る、少し特別な旅にふさわしい宿です。
information
陶々亭(とうとうてい)
住所:長崎県長崎市十人町9-41
TEL:095-801-1626
客室数:3室
1泊料金:1名2食付49000円〜
Web:陶々亭公式サイト
information
レストラン HAJIME (はじめ)
住所:陶々亭と同じ
TEL:陶々亭と同じ
営業時間:11:30〜15:00(14:00L.O.)・17:30〜21:00(最終受付19:00)
定休日:火・水曜
※ランチ、ディナーともに予約制・ディナーの利用は13才以上に限る
*価格はすべて税込です。
writer profile
Saori Nozaki
野崎さおり
のざき・さおり●富山県生まれ、転勤族育ち。非正規雇用の会社員などを経てライターになり、人見知りを克服。とにかくよく食べる。趣味の現代アート鑑賞のため各地を旅するうちに、郷土料理好きに。