この連載は、日本デザイン振興会でグッドデザイン賞などの事業や地域デザイン支援などを手がける矢島進二が、全国各地で蠢き始めた「準公共」といえるプロジェクトの現場を訪ね、その当事者へのインタビューを通して、準公共がどのようにデザインされたかを探り、まだ曖昧模糊とした準公共の輪郭を徐々に描く企画。
第6回は、2023年度グッドデザインを受賞した、岩手県の〈盛岡バスセンター〉を訪ねた。
盛岡バスセンターは、1960年から半世紀以上、市民のインフラとして親しまれていた民間施設。
建物の老朽化が進み、建て替えを計画したが、東日本大震災の影響による建設資材の高騰の影響もあり、再整備の目途が立たず2016年に閉鎖。盛岡市はバスターミナル機能を維持するため、土地を先行取得し、2022年10月に民間主導の公民連携事業として復活させた。
新バスセンターは、バスターミナル機能に加え、盛岡ならではの食を楽しむことができるフードホール、ホテル、スパなどの商業施設を一体で整備した。
お話を聞いたのは、運営を行う〈盛岡ローカルハブ〉企画部長の小笠原康則さんと、このプロジェクトのアドバイザーである〈オガール〉代表取締役の岡崎正信さん。
少子高齢化や物流の「2024年問題」など大きな課題があるなか、盛岡市が民間と一体となり、市民が希求する公共施設のスキームを再構築し、賑わいを取り戻した事例から「準公共」の役割を探る。
〈盛岡ローカルハブ〉企画部長の小笠原康則さん(右)と〈オガール〉代表取締役の岡崎正信さん(左)。
盛岡初の民間主導の公民連携事業矢島進二(以下、矢島): ここには長年、市民に親しまれていたバスターミナルがあったのですね?
小笠原康則(以下、小笠原): はい、ここは1960年に日本初のバスターミナルとして開業し、2016年までの56年間、盛岡におけるバスの発着拠点でした。
盛岡市のバスの拠点は、盛岡駅前と、市内の河南地区にあるこのバスセンターのふたつあり、駅前は主に市の北部に、バスセンターは主に南部への路線と、すみ分けされていました。両者は約2キロ離れていて、この区間が中心市街地となっており、両者を結ぶバスの便数が多いのが盛岡市の公共バス交通の特徴となっています。
小笠原さんは〈盛岡地域交流センター〉の営業企画部特命部長兼ローカルハブ事業課長も兼務している。
矢島: 旧バスセンターは、バス乗り場だけだったのですか?
小笠原: いえ、旧バスセンターにも商業テナントが多数入っていて、日常的に賑わっていました。大食堂や甘味店、理髪店などがあり、屋上にはデパートの遊園地のようなレジャー施設もあったそうです。
矢島: 昭和のレトロ感があったのでしょう。それが8年前に閉じてしまったのですね。それだけ市民に親しまれていたのであれば、閉鎖する必要はなかったのではないですか?
岡崎正信(以下、岡崎): 旧バスセンターは公共施設ではなく、完全な民間施設でした。その民間企業が、建物の老朽化に伴い再整備を計画したものの資金的に難しくなり、やむを得ず閉鎖したものと認識しています。あくまで私が知る範囲ですが、市民に親しまれていたことと、経営とは相関関係はないと思います。賑わいがあったからこそ、経営的にも成り立たせる運営をしっかりやらなくてはいけなかったのです。
岩手県紫波町で公民連携によるプロジェクトを成功させた、オガール代表取締役の岡崎さん。
小笠原: 公共交通の拠点が廃止になるということで、利便性の面から存続を希望する市民の声が大きかったです。また、まちの活性化、賑わいの喪失という点でも非常に危惧され、行政にとっても大きな課題でした。
矢島: それで、行政としても動かざるを得なくなり、閉鎖した翌年の2017年にこの土地を盛岡市が取得したのですね。市はよく判断しましたね。
岡崎: 逆に言えば、買わなかったらもっと大変な状況になっていたはずです。
建物は東棟と西棟がL字型で連結し、1階はバス乗り場、待合室、マルシェ。2階はフードホール、子育て支援センター。3階はホテル、スパ・サウナなどで構成。
矢島: バスセンターが復活するまでの経緯を簡単に教えてください。
小笠原: 盛岡市は、土地の取得後、新バスセンターの整備に向けてさまざまな調査を行い、2018年に「整備事業基本方針」を策定しました。その際に、バスセンターには賑わい機能も併設すべきということになり、私が現在所属する〈盛岡地域交流センター〉が「市の代理人」に指定され、公民連携で事業を進める方針が示されたのです。
そして、2019年に「基本計画」、2020年に「事業計画書」が策定され、それに伴い、同センターが出資し、バスセンターを整備し運営する特別目的会社〈盛岡ローカルハブ〉を設立し、2022年秋に民間主導の公民連携事業として復活したのです。
矢島: 公民連携は、当時の市長のアイデアだったのですか?
岡崎: 正確にはわかりませんが、バスの拠点としての再生は市の事業としてできるけれど、賑わいを生み出すことは市が主体では難しい、民間と一緒にやらないとうまくいかない、という自己分析をしたのだと思います。それは極めて真っ当な発想だと思います。
矢島: バスセンター以前に、盛岡で公民連携での開発事例はあったのですか?
小笠原: なかったので、盛岡初の公民連携事業になります。
公共と民間の曖昧な区分公共施設部分と民間施設部分の区分図。土地はすべて市の所有。(画像提供:盛岡ローカルハブ)
矢島: この区分が公と民の線引きですね。これは当初の計画通りですか?
岡崎: 全体の事業費は約16億円で、市の負担分(公共施設)はターミナル部分と大屋根や広場、ローカルハブの負担分(民間施設)は飲食・物販、ホテル、子育て施設などです。
本当はもう少し公共施設部分を多くしたかったのですが、盛岡市は立派だと思います。例えば、屋上広場の地上権は公共施設になるのですが、こうしたエキセントリックな権利関係を整理して実現できたことは極めて稀です。その背景には、小笠原さんの前任者の熱い情熱があったからだと思います。
矢島: 拝見するとここは民間施設なのか、公共施設なのか、明確でない印象を持ちましたが、あえてそう設計したのでしょうか?
小笠原: 建物の外観デザインも旧バスセンターのイメージに近いので、大きく変わったようには市民は捉えてないと思います。民間でやっていた旧バスセンターが行き詰まり、市が土地を買い取ったことは周知されていますので、市が何らかのかたちで関与していることは認識していると思います。
岡崎: 逆に、公民の境界線が明確にわかると、利用者にとっては居心地が悪くなるのです。それこそ、境界線に黄色いテープが敷かれていたらげんなりしますよね。
矢島: そうですね。その曖昧さが居心地の良さにもなっていると思いますし、みんなのものというパブリック性もうまくデザインされている気がしました。
公民連携事業プロデューサーである岡崎さんは、〈マザー・オガール地方創生アカデミー〉の代表など、現在数々のプロジェクトを推進している。
矢島: 小笠原さんは、計画段階からこのプロジェクトに参画していたのですか?
小笠原: 私は市役所の職員で2023年に定年退職となったのですが、再就職というかたちで、開業半年後から参加しました。計画当初からずっと関与していた市職員の前任者が、整備が完了したタイミングで市役所に戻り、代わりに私が来たかたちです。
矢島: 岡崎さんは、盛岡市と花巻市の中間に位置する紫波町で、公民連携の成功モデルといわれ年間約100万人が訪れる「オガールプロジェクト」を2007年から展開されていますが、このバスセンターではどのような立場で参画されたのですか?
岡崎: 私と盛岡市とは、直接の契約関係はありません。基本方針策定の段階で、盛岡地域交流センターの当時の副社長から、アドバイザーになってほしいと依頼されたのです。最初はお断りしたのですが、副社長の熱意にほだされお受けしました。
私がこのバスセンターをつくったと勘違いされることが多いのですが、まったく違います。私はアドバイスをしただけです。つくってリスクを背負って運営しているのは、小笠原さんの盛岡ローカルハブです。
バスセンターには6つのバス事業者が入り、地域住民だけでなく観光客らに日々活用されている。
人と地域をつなぐ“ローカルハブ”基本計画策定の段階で定めたコンセプト「人と地域をつなぐLocal Hub」。ここを拠点に、市内だけなく郊外の観光地や空港などをつなぎ、人とモノが盛岡にアクセスするインフラを目指した。(画像提供:盛岡ローカルハブ)
矢島: バスセンターのコンセプト「人と地域をつなぐLocal Hub」は、誰がどのような意味で考えたのですか?
岡崎: 私と一緒にアドバイザーとして参画した建築家で、〈ワークヴィジョンズ〉の西村浩さんらとつくった「基本計画」のなかで、このコンセプトを定めました。西村さんには、こうした事業コンセプトと建物の設計を担ってもらいました。
このコンセプトには、交通の結節点「トラフィックハブ」から、地域の魅力をつなぐ結節点「ローカルハブ」を目指すという意味を込めています。バス路線で地域をつないできた歴史を生かして、人だけでなく、農産物や海産物、観光資源などの盛岡らしさを相互につなぎ広げていきます。
新しいものにつくりかえるのではなく、もとからあった機能を拡充するコンセプトでしたので、市民にとって抵抗感はなかったと思います。
「盛岡市内の観光は、歩いて楽しむ方がたくさんいます。ここは駅から少し距離がありますが、途中にいくつも名所があるので、旅行者に説明をすると歩かれる方が多いのです」(小笠原さん)「都市計画道路の整備率は低いはずですが、盛岡市内の道路はやや狭くて、それが密度感となるのでとても好きなまちです」(岡崎さん)
矢島: バス路線の拡充はあったのですか?
岡崎: 市内路線は、運転手確保の問題もあり、全体として路線の集約などによる廃止・減便の方向が強まっています。また、長距離バスは、延伸して乗り入れた「花輪・大館行」がある一方で、東京行の高速バスは盛岡駅発着に集約され、バスセンター便は運休している状況です。しかしながら、バスの発着数よりも市民にとって大事なのは、「ここにバスセンターがある」という事実なのです。
矢島: 半世紀で培ってきた「場所性」が大事なのですね。まちの象徴だったのですものね。
岡崎: そうです。それを大切にしたいからこそ、市がこの土地を手にしたのです。
小笠原: どこかの民間会社が土地を取得し、ターミナル機能を変な内容にされてしまったら市民が困りますので、公共交通を支える意味でも、取得できるのは市しかなかったと思います。
矢島: 岡崎さんは旧バスセンターに来たことはあったのですか?
岡崎: 子どもの頃はよく来ていました。市民は、立ち食いそば屋があって、カレー屋で食べるハヤシライスがおいしくて、ガムの自販機があって……といったノスタルジックな楽しさを抱いていました。それはとても大事にしたいと思いましたので、テナントはみんなローカルの事業者に入ってもらったのです。
岡崎: いろいろ調べていたら、1960年の開業時の新聞広告が偶然出てきたのですが、見てください。
「バスセンターは盛岡市のセンターです。バスセンターはサービスセンターです。バスセンターは食のセンターです。バスセンターは広告センターです 」と、いま見てもとてもいいコンセプトが書かれているのです。バスセンターはただのバスセンターではない、と明確に書いてあります。これを現代に復活させるのが、私たちの仕事だったといえます。
矢島: この広告を見つけたのは、コンセプトをつくる前だったのですね。この内容を、現代に合致するようアップデートしたともいえますね。
公民連携成功のポイント矢島: 公民連携施設で特に気をつけている点はどこですか?
岡崎: こうした施設は予算とつくる人が決まれば、開業自体はある意味たやすいのですが、公民連携施設は、開業後の日々の運営が最も大事なのです。
小笠原: 一番大事だと思っていることは、多くの人たちの「想い」が積み重なってできた施設なので、それらを尊重しながら日々運営していくことです。人が代わると、当初の狙いや想いが伝わらないことがあるので、それをどう引き継いでいくか、そのことが重要だと思っています。
「盛岡は戦争時の空襲による被害が比較的小さく、昔の姿が各所に残っているので、風情があるんです」と小笠原さん。
岡崎: 市が絡んだ事業は人事異動が必ずつきまといますので、小笠原さんがいまおっしゃったことが、公民連携においては本当に大事だと思います。そうした意識を持てないと、徐々にブレてしまいます。
盛岡市はバスセンターのあとにも、動物公園や都市公園のPark-PFIなどで公民連携事業を一気に実施したのですが、そのあとが続かない理由のひとつに、運営する適任者が見つからないということがあります。盛岡地域交流センターは、全国的にも稀に見る優良企業だと思います。親会社の経営が安定しているから、ここも順調なのです。安定してないと右往左往しますからね。
矢島: 公民連携の成功のポイントは、人とマネージメントなのですね。
バスセンターの向かいには、2024年7月11日に新たな商業施設〈monaka〉が開業。「地域を活性化し、地元の経済を引っ張ってくれる施設になってほしいです。バスセンターは、人と地域の結節点をコンセプトに、一緒に地域を盛り上げていきたいと思っています」と小笠原さん。
岡崎: 3階の〈HOTEL MAZARIUM(ホテルマザリウム)〉の運営を当社が受託しているので、開業後も関与できていますが、アドバイザーだけで終わるほかの自治体のプロジェクトは、魂が抜けたみたいにダメになっていくことが多いですね。そうなると公民連携自体が悪い、失敗だと認識されてしまうのですが、そうではない。建物やスキームが悪いのではなく、悪いのは経営だと思います。
公民連携の経営は我慢の連続になるものなのですが、我慢できずに立ち行かないと、最後は自治体が面倒をみることになり、そうなると民間側もがんばらなくなって、プロジェクトは衰退します。よほどの自治体でないと公民連携はうまくいかないのです。
〈ホテルマザリウム〉のエントランス。名称は、いろいろな価値が混ざり合うという意味からきている。
『The New York Times』が「行くべきまち」に選出矢島: 盛岡市内は、歴史的建造物などの観光資源が集積し、国土交通省が推進する「ウォーカブル(居心地が良く歩きたくなる)」なまちでもある気がします。そうしたこともあって、2023年に『The New York Times』で、ロンドンに続く2番目に「行くべきまち」として盛岡市が選ばれたのがきっかけで、海外からの旅行者が急増しましたね。
小笠原: はい、盛岡が「歩いて回れる宝石的スポット」と高く評価されて、とてもうれしく思います。『The New York Times』効果によりインバウンドのお客様、特に欧米からの観光客が増えています。
岡崎: ホテルマザリウムは、現在『じゃらん』が行っている「泊まって良かった宿」口コミランキングで、東北のホテルで1位になっています(2024年8月現在)。今年になって週末は100%の予約が入っています。岩手県は台湾からのインバウンドが多いのですが、ほとんどは国内の観光客です。
「マザリウム」という名前には、日常と非日常、旅行者と生活者、過去と未来、さまざまなものが混ざり合うという意味で、部屋の内装もワークヴィジョンズがデザインしました。また、障害者アートのライセンス管理や商品化を手がける、盛岡発の〈ヘラルボニー〉がアートプロデュースをした部屋が8室あります。
盛岡に本社を構え、障害を特性として捉え異彩を放つアーティストを軸に事業を展開する〈ヘラルボニー〉が手がけた部屋。
ヘラルボニーがプロデュースした部屋の宿泊料のうち500円が、作家にフィーとして支払われる。
市民が参加し、つくる場所パブリックスペースも兼ねた〈Cafe Bar West38〉では、ジャズのライブ演奏も毎週末開催されている。
矢島: 市民の参加性はどうとっていますか?
小笠原: ここの壁面に並んでいるのは、盛岡の外山森林公園の白樺を伐採し、市民とワークショップをして、磨いてアートピースにしたものです。
市民の参加性を示す約50平方メートルの白樺のアートウォール。ワークショップで制作し、参加者の名前がプレートに刻まれている。
岡崎: これは西村さんのアイデアです。北海道の岩見沢駅舎(2009年グッドデザイン大賞受賞)でレンガに寄付した市民の名を刻んだのと同じ方法です。白樺の裏側には、名前と50年後の盛岡へのメッセージを書いてもらいました。この建物が役割を終えて解体されたときに初めて見えるものです。
カフェの向かいには、ジャズピアニスト秋吉敏子と親交もある、盛岡のジャズスポット〈開運橋のジョニー〉の店主がつくった〈穐吉敏子JAZZミュージアム〉もある。
小笠原: 先日は小学生と親がひと組になって、地元の木材を材料にベンチを20台つくりました。1階のロータリーや屋上広場に置いてありますが、そうした参加性のあるイベントを継続しています。夏には屋上広場でビアガーデンをやります。
屋上広場は施設貸出もしている。
矢島: 子育て支援センターやスパもありますね。
小笠原: はい、子育て支援センターは保育園に入る前の子どもを対象に、親子が自由に遊ぶことができる市の施設です。さまざまな事情で移転を繰り返していましたが、バスセンター整備のタイミングで、テナントとして入居していただくことになりました。ここはアクセスもいいので、多いときは20人くらいの親子が来ています。
スパは、ホテルの宿泊者も使いますが、地域住民の利用がとても多いです。新しくてきれいでサウナがすごく充実しているので、リピーターが増えてきています。こうして日常的に利用してくれると、施設の賑わいにもつながりますので、うれしいですね。
無料で予約なしで利用できる「子育て支援センター あそびの広場」。(写真提供:盛岡ローカルハブ)
矢島: テナントはどのように選んでいるのですか?
岡崎: コンセプトがローカルハブですので、地元の事業者に限定しています。でもそうなると運営は大変です。ナショナルチェーンであれば、システマチックに運営してくれますが、ローカルの事業者は慣れていないことも多いので、内装工事もセンター側が行うものだと思っている方がいたり……。長いおつき合いになるので、情熱ある人に入ってもらわないと大変ですね。
東棟のマルシェには、地元では知らない人はいない大人気の〈福田パン〉をはじめ、魚屋、ハンバーガーショップなどが入っている。
矢島: 最後の質問ですが、「準公共」という言葉を聞いた印象は?
小笠原: 私は初めて聞きました。公民連携と似たような言葉なのでしょうが、どういうイメージをしたらいいのか、あまりよくわかりません。
岡崎: 定義がわからないです。公共は官も見ますし、民も担っていると認識していますので。パブリックマインドは、みんなが持っているものですから。自分の家の周りのゴミは拾いますよね。これはパブリックマインドです。ガバメントではなく。
準公共と聞いて感じたのは、「官のおごり」です。公共を担っているのは官だけと思っている認識があるからだと思います。
保全された旧バスセンターで使用されていたサインの前で。
スキームをうまくデザインし、公民連携事業を実現盛岡バスセンターを取材して感じたのは、パブリック性のある施設を永続的に続けることの難しさだ。公民連携でよく言われるのは、これからの公共施設は継続性の観点から、「民間の経営ノウハウ」を導入すべきといった論点だ。
たしかに、主に税金で運営する施設は、サービスの質からも、民間ベースの視点は必要であり、事業性を確保する仕組みに切り替えないと、税収が減少していくなかで、立ち行かなくなるのは明白だ。しかし、民間の経営といっても、経営に失敗することは多々あり、単に民間と連携すれば解決することではない。
「公民連携のまちづくり」の成功モデルと言われるオガールで岡崎さんが蓄積した知見やノウハウを、盛岡バスセンターに注入したことは取材でもわかったが、旧バスセンターは民間企業の経営失敗で閉鎖となったのは事実だ。
閉鎖後に市が土地を買い取り、経営的にうまくいっていた盛岡地域交流センターが市の代理人である第三セクターとして出資もし、特別目的会社である盛岡ローカルハブを設立したスキームをデザインしたのが、盛岡バスセンターが再生できた大きな理由だろう。
おふたりは、「準公共」というワードに対しては関心を示さなかったが、「市の代理人」や「特別目的会社」といった、官と民の間にまたがるような機能が存在したこと、そして行政、事業者、テナント、設計者、地元商店街など、多くの関係者が相互の立場と役割を尊重し合い、シームレスに連携したことで実現した共有地そのものが、準公共(セミパブリック)と言えるものではないだろうか。
information
盛岡バスセンター
住所:岩手県盛岡市中ノ橋通1-9
営業時間:バス待合室6:00〜22:30 ※営業時間は各店舗で異なる
web:盛岡バスセンター
writer profile
Shinji Yajima
矢島進二
公益財団法人日本デザイン振興会常務理事。1962年東京生まれ。1991年に現職の財団に転職。グッドデザイン賞をはじめ、東京ミッドタウン・デザインハブ、地域デザイン支援など多数のデザインプロモーション業務を担当。マガジンハウスこここで福祉とデザインを、月刊誌『事業構想』で地域デザインやビジネスデザインをテーマに連載。「経営とデザイン」「地域とデザイン」などのテーマで講演やセミナーを各地で行う。日本デザイン振興会
photographer profile
Kohei Shikama
志鎌康平
1982年山形市生まれ。写真家小林紀晴氏のアシスタントを経て山形へ帰郷。2016年志鎌康平写真事務所〈六〉設立。人物、食、土地、芸能まで、日本中、世界中を駆け回りながら撮影を行う。最近は中国やラオス、ベトナムなどの少数民族を訪ね写真を撮り歩く。過去3回の山形ビエンナーレでは公式フォトグラファーを務める。移動写真館「カメラ小屋」も日本全国開催予定。 東北芸術工科大学非常勤講師。http://www.shikamakohei.com/