北海道も夏本番。強い日差しが照りつけるなかで、庭や畑に出ていたら、真っ黒に日焼けしてしまった。今年は春からポットに種をまいて野菜やハーブの苗をたくさんつくった。それを仕事場として借りている一軒家の庭と、近所の閉校した中学校の敷地にある花壇と畑に、せっせと植えた。それらがいま大きく成長して収穫に追われている。
仕事場の庭。右は梅干し用に育てているウラベニシソ。左下の赤い実はナンバン。草があふれているので見えにくいが、こうやってところどころに苗を植えている。
仕事場の庭は、5年前に借りた当時、ほとんど何も育たなかった。もらってきたキュウリやナスの苗を植えたり、小松菜やほうれん草の種をまいたりしたが、バッタに食べられたりして、跡形もなく消えてしまっていた。それが最近、スクスクと育つようになっていて環境が明らかに変化していると感じられる。庭の変化は私にとって驚きの連続。その過程を本にまとめておきたいと考えた。
小道以外の部分はびっしり草が生えている。写真だとよくわからないけれど、それぞれの植物がすみ分けをしながら生きている。
書き始めたのは7月中旬のこと。A4サイズのコピー用紙を半分に切って、そこに下書きせずにいきなり文章を鉛筆で書いていった。書き間違ったら消しゴムで消しつつ、見開きごとに仕上げていった。まとめやオチなどはあまり気にせず、書きたいと思ったことを紙にできるだけ出してみようと思った。
原稿。書き直したいと思ったら、消しゴムで消すか、紙を切って貼るか、していった。
この連載の原稿のようにパソコンを使って書く場合は、何度も修正して文章を整えていくが、文字を手で書くときは、多少読みにくい言い回しでも、勢いで書いたほうがいい気がしている。表紙を含めて32ページの原稿を1週間くらいで書き上げた。それをスキャナーでデータ化し、パソコンで色をつけ、8月初めに印刷に出した。
刷り上がった本。A6サイズで32ページ。
バラの芽を見つけたことから庭との関わりが始まったタイトルは『家の庭』とした。見開きごとにトピックを立てており、書き出すと以下のようになる。
目次
はじめに 庭との出会い
春から夏へ
耕さないと育たない?
雑草を抜かなかったらどうなるの?
もしや庭の遷移が進んでいるのかも
ハーブや野菜も少しずつ育つようになって
肥やしは人の足音か?
見ることが大切
1年目 -- 6年目 庭の変化
あらたな庭をつくって思うこと
草に負けない ゆずりあってる
庭の中に私もある
つみワラはあたたかい
本書に登場した植物たち
表紙を開いて最初のページには、庭との出会いについて書いた。窓の外はただの草むら(雑草?)のように思っていたが、あるときバラの芽がにょきっと現れていることに気づき、それからじっくりと土の様子を観察するようになった。
この本では、庭を見るなかで感じた、いくつかの疑問について書いている。野菜などを育てるときは、まず土を耕すことが基本となっているけれど、耕さなかったらどうなるのだろうと思い、何年か試してみた体験。また、庭では雑草とされてしまう植物(イネ科の牧草や外来種であるセイタカアワダチソウなど)を、あえて抜かずに観察してみた記録などだ。
こんなふうに、ほとんど手を入れていないが、4年目くらいになると、植物の様子がだんだんと変わっていった。1年目にはたくさん生えていたイネ科の牧草やセイタカアワダチソウ、アカツメクサはグンと少なくなって、スゲや紫色の花が咲く野菊が増えた。そして、不思議なことに、いままで育ったなかった野菜やハーブの苗もスクスク育つようになってきた。
これは私にとって最大の疑問だった。庭に生えた植物は冬に枯れ、土の上に年々堆積しており、それが栄養分となり土壌が豊かになっていったのだろうと想像している。しかし、この仕事場の庭は私が借りる以前、何年もの間、住む人はおらず、そのときだって草が堆積していたはずだ。なのに、これまでは土が固く多様な植物が育っていなかったのはなぜなのだろうか?
もし仮に私が、土を耕したり、肥料をあげたり、草を抜いたりしていれば、その効果があったと思えるが、そうではない。私がやったことは3つ。庭のなかを歩くための小道をつくったこと。ほんの少し野菜やハーブの苗を植え、周りの草をハサミでカットしていること。野菜やハーブを少し収穫していること。あとはただじっと見守っているだけ。
この疑問にヒントをくれたのは、北海道のせたな町で、肥料や農薬を使わずにお米や大豆を育てている秀明ナチュラルファーム北海道の富樫一仁さんだった。富樫さんは自然に寄り添う農法で家畜や野菜を育てている〈やまの会〉の代表で、これまでたびたび、取材をさせてもらっていた。あるとき、私が住む美流渡を訪ねてくれたことがあり、そのときに畑の話になった。富樫さんが今たどり着いた地点とは、「畑に手をかけることよりも、ただ見ることが大切なのではないか」だという。
「見る」という、目に見えない愛情が肥料になるのではないかと教えてくれた。これが真実なのかは確かめようがないかもしれないが、植物だってやさしい言葉をかけることでよく成長するといわれているので、見ることだって大切なんじゃないかと私は思う。
空き地に咲いていたカンゾウを移植。なかなか花をつけなかったが、今年は大輪を咲かせた。
これまで、自分自身の本のレーベルとして「森の出版社ミチクル」から、『山を買う』などさまざまなイラストエッセイを出してきた。そのときどきで、いちばん興味のある内容を本にまとめてきたが、なかでも今回の庭については、なかなかうまく人に伝えられなかった内容に踏み込むことができた。
苗を植えようとするとき、「土を耕さないと育たないよ」とか「雑草をとらないと草に負けるよ」とか、ご近所さんがいろいろとアドバイスをしてくれることがある。また、草だらけの庭をただの雑草地帯だと思って、植物を踏みにじって入ってくる人がときどきいる。
こうした状況に出くわすとき、私は黙っている。私にとっては草だらけであることのほうが自然に思えるので、耕したり、雑草をとったりしなくてもいいように思えてしまうが、相手にそれは伝わらない。そして、庭と過ごして日々味わっている、豊かで幸せなひとときについてもしゃべってみたいと思うのだが、こちらもわかってもらえる感じがしない。そこに一抹の寂しさを感じていたので、この本が間をつなぐような役割になってくれたらと願っている。みなさんも、もしよかったら、お手にとってもらえたらうれしいです。
『家の庭』 絵と文 來嶋路子 500円
森の出版社ミチクル michikururu@gmail.com
送料180円〜でお送りします。
writer profile
Michiko Kurushima
來嶋路子
くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、『みづゑ』編集長、『美術手帖』副編集長など歴任。2011年に東日本大震災をきっかけに暮らしの拠点を北海道へ移しリモートワークを行う。2015年に独立。〈森の出版社ミチクル〉を立ち上げローカルな本づくりを模索中。岩見沢市の美流渡とその周辺地区の地域活動〈みる・とーぶプロジェクト〉の代表も務める。https://www.instagram.com/michikokurushima/
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