能登半島地震から半年が経った2024年7月1日。被害が大きく、復旧作業が遅れる能登半島の先端、珠洲市に、客室は7部屋だけという小さなホテル〈notonowa〉がオープンしました。運営の中心となっているのは、能登に住み初めてちょうど1年になる移住者です。
〈notonowa〉があるのは珠洲市の海沿い。内浦である飯田湾を臨む、少しだけ高い場所に立っています。道路を挟んで、若い稲が風に揺れる田んぼ、そして穏やかな海が広がる見晴らしのいい場所です。冬の空気が澄んだ日には東側に立山連峰も見えます。
裏に回るといっそう建物の歴史が感じられます。
〈notonowa〉の建物はかつてモーテルとして使われていました。L地形の建物の裏に回ると、1階部分が駐車スペース、2階部分が客室だとわかり、独特のスタイルに少しドキッとします。
入り口も駐車スペース側にひっそりとあり、フロントはなくタブレット端末でチェックイン。非対面式の採用は省人化だけでなく、建物の歴史を匂わせる目的もあるのだとか。
角部屋の「珠」。窓からの景色は最高!
7部屋ある客室は、それぞれ能登や珠洲にまつわる名前がついています。部屋のリノベーション案には金沢美術工芸大学の学生たちが参加。「このホテルが地域に馴染むためには?」と問いかけてアイデアを出してもらいました。
「珠」という名前の部屋は、珠洲が持つ洗練されたシンプルさとナチュラルな姿を見せることがテーマ。一見白い壁紙も、右と左では模様が異なり、一方は波の模様が採用されています。カーテンを開けると穏やかな海が見渡せる部屋にぴったりです。また、一部の家具はこの場所で以前から使われていたものも活用しています。
建物1階ではカフェ〈惚惚(ほれぼれ)〉も営業を開始しました。カレーや季節に応じたスープ、チャイなどスパイスを利用したメニューに加えて地域の人たちが、集まる場所にしたいとお酒も用意。車での移動が当たり前の地域なので飲酒後は空いている客室に宿泊可能です。
珠洲の人たちが共有する恩送りの文化に触れて改装工事前の様子。(notonowa提供)
建物は、モーテルの営業を終えてからずいぶん経っていて廃墟同然でした。リノベーション計画が持ち上がったのは、2023年の春のことです。そのとき建物のオーナーから声がかかったのが現在ホテル運営を担当し、カフェの〈惚惚〉を経営する畠山陸さんです。
現在27歳の畠山さん。20歳前後から出身地の札幌でゲストハウス立ち上げに関わったりイベントでのカフェ出店をしたりしてきました。
その一方で、webのプログラミングやデザインの技術を身につけて複数の地方拠点と東京を行き来。いわゆるノマド暮らしを実践していました。
ストレスで体調を崩した経験から、人間らしい生き方って?と考えていた頃移住で珠洲に住む知人から「君が探しているものはここにあるかもしれない」と誘われ、初めて珠洲を訪れたのが2022年の夏です。
「最初は1週間ほどの滞在でしたが、珠洲の人たちはとてもよくしてくれました。いろいろ手配をしてくれたり、人を紹介してくれたり、野菜をたくさんくれたり。お世話になったお返しがしたいというと、『自分ではなくて子や孫の世代や、次に珠洲に来る人にしてくれたらいい』。ほとんどの人にそう言われました」
畠山陸さん。ホテルとカフェ運営の傍で珠洲の発信にも意欲的。
土地の人たちが持つ、代々に渡って助け合い続ける文化は、本州に比べると歴史が浅い札幌で育った畠山さんにとってそれまで触れたことがなかったもの。
金銭的な利益追求一辺倒とは異なる暮らしぶりに惹かれ繰り返し訪れるうちに伝統ある祭りや工芸品の魅力にも気づきました。知り合いも増えてリノベーションホテルの計画に参加しないかという声もかかったのです。
2023年5月の地震がきっかけで移住へ。2024年1月被災当事者に最初は「協力する」といった軽い気持ちだった畠山さん。奥能登に移住し、ホテルのリノベーションに積極的に参加することを決意させたのは、2023年5月5日に能登で起きた最大震度6強の地震でした。その地震でも珠洲市内では全壊と半壊を合わせて300余りの住宅への被害がありました。
畠山さんは、お世話になった人たちが困っていることに居ても立ってもいられずそれまでのノマド生活から珠洲に土着した暮らしをしたいと東京での仕事を整理。隣の能登町に仮住まいを始めたのが2023年7月でした。
眺望を生かすため窓は大きく作り替えました。
〈notonowa〉は2024年3月のオープンを目指して準備が進んでいました。耐震工事や新しく作った大きな窓などの工事が終わったのが2023年末。
その頃畠山さんも能登町から〈notonowa〉に近い場所へと引っ越しました。そして年が明けた元日に最大震度7強の能登半島地震に襲われます。地震がきっかけとなって移住したばかりの土地で、今度は被災の当事者になってしまいます。
「その時点で近所の人たちに、まだ引越しの挨拶をしていなかったんですよ」
地震発生後の畠山さん宅。(畠山さん提供)
畠山さんが住む家は半壊するも、さまざまなつながりやSNSなどの発信で、自宅に災害ボランティアなど何人もの人が出入りすることになりました。
「最近あの家にいる若いお兄さんは何者だ?」
地震が起きたばかりで不安で不便な時間を過ごしていた近所の人たちが警戒するのは無理もありません。
そんな状況下で、畠山さんはフットワークのよさを発揮。何時間もかかる金沢と奥能登を何度も往復し往路は二次避難する高齢者を乗せ、復路は物資を運びました。避難所にいる高齢の方のためにはお弁当を代わりに取りに行き、珠洲の飲食店店主らに請われて炊き出しボランティアにも参加。今、自分にできることをと行動するうちに、珠洲の貴重な20代として地元の人たちから信頼されていきました。
復旧が進まない中、ホテルは予定の5か月遅れでオープン元日の地震で全6000世帯のうち、4割ほどの住宅が全壊したとみられている珠洲市ですが、耐震工事が終わっていた〈notonowa〉の建物は大きな被害を免れました。今、新しいことを始めるのは地元の活力につながると2月下旬に〈notonowa〉はオープン準備再開が決まります。当初の予定からは5か月遅れとなった7月1日にオープンに漕ぎ着けました。6月にはプレオープンを行って、内覧会や地元の人たちに無料試泊をしてもらうなど、モーテルが生まれ変わったことを理解してもらう活動も行いました。
地震発生時に組まれていた足場が崩れた後が外観に残っています。
新しい事業がスタートする一方で能登半島の道は至るところに亀裂や一時的な補修でできた段差があり珠洲市内は小中学生が歩く通学路の脇にも倒壊家屋がたくさん。海沿いの水田では津波が運んだゴミを片付けた後に稲を育てています。
〈notonowa〉は、当面復興事業に携わる人が宿泊する予定ですが、一般の人も遠慮せずに能登を訪れてもらいたいと畠山さんと考えています。
「珠洲で見てもらいたいものは暮らしです。百姓文化があるので、田んぼの他に電気工事もしているなど、複数の仕事をする人もたくさんいます。それはマルチワークや副業と同じ。冬の出稼ぎも2拠点生活みたいなもので祭りはウェルビーイングです」
穏やかな海では初心者のSUPにピッタリだとか!
畠山さんは珠洲の人たちに居場所をもらったと考えています。今後は、共同で事業を進める人たちと〈notonowa〉の他にも別棟の新設や古民家活用も計画。珠洲や奥能登を初めて訪れる人や、これからの珠洲を作る人にこれまでこの土地から受け取ったことを返していくのかもしれません。
information
notonowa(ノトノワ)
住所:石川県珠洲市上戸町南方121-15
tel:なし
客室数:7室
1泊料金:1人5000円から
Web:notonowa公式サイト
information
惚惚(ほれぼれ)
住所:notonowaと同じ
連絡先:mail
営業時間:11:30〜15:00 18:30〜21:00
定休日:月・火
Web:惚惚公式インスタグラム
*価格はすべて税込です。
writer profile
Saori Nozaki
野崎さおり
のざき・さおり●富山県生まれ、転勤族育ち。非正規雇用の会社員などを経てライターになり、人見知りを克服。とにかくよく食べる。趣味の現代アート鑑賞のため各地を旅するうちに、郷土料理好きに。