静岡県掛川市の山間での暮らしを始めて4年目、料理人の夫と陶芸家の妻による、ごはん屋さんと陶芸工房〈したたむ〉。
完全予約制のランチ営業のみで、Instagramで1か月分の予約を開始するとすぐに埋まってしまい、キャンセル待ちができるほどの人気店です。車でしか行けない山奥にあり、決して利便性のいい立地ではないものの、ここまでの人気店に成長したのはなぜなのか、本連載を通してひも解いていきます。
料理人の夫・奥田夏樹(おくだ なつき)さんは、もともと横浜でMac用のアプリを開発するプログラマーとして働いていました。初回となる今回は、飲食業とは縁がなかった奥田さんが、飲食店を開こうと考えたきっかけや、お店を出すための土地探しについて振り返ります。
勢いのあるIT業界に身を置いているなか、抱いていたモヤモヤスティーブ・ジョブズ氏が初代iPhoneを発表した2007年、私は横浜みなとみらいにあるオフィスで、プログラマーとしてMac用のアプリ開発をしていました。今まで想像していなかったiPhoneのタッチインターフェイスによる操作性に未来を感じ、新たな時代が始まるワクワク感と、それに関わる仕事ができる喜びとで胸が躍ったのを覚えています。
最先端の技術を使って仕事ができる誇りと、勢いのあるIT業界に身を置く華々しさ、そしてなによりプログラムをつくることが楽しかったのですが、一方で過酷な労働環境があることは実体験として感じていました。
「AI技術の進歩でいずれなくなる仕事」としてプログラマー職も挙がっていたこと、テクノロジーの進歩によって便利になりすぎる未来へのえもいわれぬ恐怖、そして2011年の東日本大震災の発生により、ワークライフバランスや自然に近い暮らしなどへの興味を持ち、この先ずっとは、この仕事を続けることはないなと、漠然と心にモヤモヤを抱いていました。
この頃の私は、朝から深夜までずーっとMacのモニターにかじりついたままカチャカチャとキーボードを叩き続ける毎日。休みの日も家でMacBookを開き、暇さえあれば仕事、仕事、仕事。このような生き方が、はたして良い生き方なのかと考え始め、妻との話し合いにより、一緒にいる時間を増やせるような仕事をしよう、という流れから転職を検討し始めました。
キーワードは“食”と“器”。夫婦ふたりでできる仕事は?世田谷に住んでいた頃の写真。
転職することへの不安がないわけではありませんでしたが、抱えていた心のモヤモヤも影響して割とあっさりと決意が決まり、どんな仕事をするかいろいろと考えました。
なんでも手づくりする母親の影響で“食”への興味が昔からあったこと、またひとり暮らしで自炊をしたり、友人にご飯を振る舞ったりと、料理するのが好きだったこと。そして妻がつくる器がとても好きだったこと。このふたつの“食”と“器”というキーワードを拾い上げ、それらを線で結んだ先に「妻の器を使ったご飯屋さん」が見えてきました。
35歳、経験ゼロから飲食業界へ飛び込む……と、ご飯屋さんをやることを決めたのですが、飲食業は素人が思いつきで生業にできるほど甘くないことはわかっていました。兎にも角にも経験値だと。そうと決まれば1日でも早く、1日でも長く経験を積まねばなりません。年齢は35歳。経験もまったくない。この業界でスタートを切るにはかなり遅いと感じ、焦りがありました。とはいえ、まったく知らないお店でいきなり働き始めたら、仕事がわからずできなさすぎて、自分より若いヤツに怒られまくって挫折するかもしれない。
そこで頼ったのが旧来の友人です。イベントで久しぶりに会った友人が働く飲食店で、ちょうど求人をしていることがわかりました。「友人がいればめちゃくちゃに怒られることはないだろう」という、不適当なモチベーションでそのお店で働くこととなります。それが、渋谷にあるビストロ〈pipal〉でした。
渋谷の宇多川町にあるビストロ〈pipal〉。
左から、〈pipal〉のオーナー鈴木亮介さん、私、当時の同僚だった遠瀬迪さん。
おそらく仕事ができない私に、ほかのスタッフはイライラしたことだと思います。しかし、友人がいてくれたおかげか、みなやさしく仕事や、飲食業のいろはを教えてくれました。またこのお店は、既製品ではなくすべて手づくりにこだわるお店でした。なんでも自分でつくれること、またそういうものにバリューがつくことをここで学びます。
フレンチをベースにした手づくりの料理を提供していました。
よちよち歩きながらも、あたたかい諸先輩方に支えられながら飲食業のスタートを切ることができたのと同時に、独立までのカウントダウンが始まりました。
働きながら、自分はどんなお店をやりたいのかを模索し始めました。そこでまず考えたのは自分が好きなことがいいだろう、と。私たち夫婦は日本酒が好きで、和食も好きでした。これは和食の勉強がいるな。そう考えた私は、〈pipal〉から日本料理のお店へ勉強の場を移し、そこで和食の世界を学んでいくこととなりました。
引っ越しまでのカウントダウンがスタート「自分のお店は和食でいこうかな」というざっくりとした方向性が見えつつあった頃、住んでいた家の1回目の更新が終わり、あと2年弱で再び更新というタイミング。ちょうど妻が営む陶芸教室の更新も同じ2年後と重なることがわかりました。そこで、次回のタイミングで更新せずに新天地へ引っ越すのが、費用も無駄にならなくていいだろうと判断。引っ越しまでのカウントダウンが始まったのでした。これまでも物件探しはネットでしていましたが、いよいよ本腰を入れて探すことに。
物件探しの条件は3つ家の必須条件として決めたのは、「住居、飲食店、陶芸工房の3つがあること」「予算が500万円くらいで収まること」そして「雪が降らない場所」の3つでした。
私たちふたりでやりたいことができるよう「住居、飲食店、陶芸工房」はマスト。「500万円」というラインは、お互いが余裕を持って出せるMaxの金額を250万円として、借金せずに手に入れようと算出した金額でした。
そして「雪が降らない場所」というのは、ふたりとも雪国出身じゃないこともありますが、陶芸の仕事は水と粘土を使うため、雪が降る環境ではかなりの重労働となるからです。場合によっては、せっかくつくった器を乾かしているタイミングで氷点下になり、すべて割れてしまってイチからやり直し、みたいなことがあるので、雪が降らない場所というのも大事な条件でした。
さらに、キーワードに挙がっていたのは「古民家」でした。私たちが目指していた暮らしのかたちが、古い家をリノベーションして自分たち好みにして利用することだったからです。不動産というのは築年数が経てば経つほど価値が落ちていくのが通説。一般的には価値がないとされたものでも、私たちがリノベーションすることにより新たな価値を生み出せると思いました。
静岡県の古民家。
そして予算的にも古い家を安く手に入れてリノベーションしていくほうが新築で家を建てるよりコストが抑えられるメリットもあります。そこで、「古民家」を条件に加えました。
これら条件により、まず東京より以北は候補から消え、千葉、東京、神奈川と首都圏から順に西の方へ探していくことになります。
シロアリに、水回りの劣化。なかなかマッチする物件が見つからない不動産会社のサイトや空き家バンクといったネット検索をしながら、休日のたびに気になる土地へ足を運び、地元の不動産屋に飛び込んで物件を案内してもらったり、有楽町にある〈ふるさと回帰支援センター〉へ行き、地域おこし協力隊とつなげてもらって直接相談し、各地の不動産に出る前の空き家を案内してもらったりと、あらゆる方法で物件を探しました。
休日のたびに、気になる土地を旅しながら物件を探しました。
候補となる物件は意外とたくさんあったのですが、予算より高かったり、空き家になるタイミングが合わなかったりすることもありました。安い物件ほど、基礎となる柱がシロアリにやられていたり、水回りの工事が必要だったりと、手に入れてからのリフォーム代が家本体を上回る金額になってしまうなど、さまざまな理由でマッチする物件が見つかりませんでした。
静岡市の物件。母屋のほかにお茶工場があり、ここでお店をやろうかと話していましたが、引き渡しのタイミングが合わず諦めることに。
また、特に地方では、空き物件はたくさんあるものの、「○○さんのところは家を売らなきゃいけないくらい経済的に困っているみたいよ」みたいな噂になることをおそれて、使っていない家をそのままにしておくパターンや、よそ者を入れることを嫌がるような閉鎖的な空気から売ったり貸したりしないということが結構あるようでした。
このようなことから、ピタリとマッチングする物件は、引っ越しのタイムリミットである更新日の半年前まで見つかることはありませんでした。「もう1回更新しないとダメかな」と諦めかけた頃、ある知人から「現在は居住者がいるけれど、売りに出す予定の古民家物件があり、よさそうなので見に来ないか」という連絡をもらったのです。
運命の物件との出合いその場所は静岡県掛川市。住所を見て驚きました。なんと妻の実家から車で10分かからないくらいの距離で、しかも住んでいる方のご主人は陶芸家だったというのです。
Googleマップでその住所に飛んでみると、赤いピンが立ったのは、周りになにもない森のなかでした。地図を少しズームアウトしてみると、まちからはそんなに離れておらず、アクセスはそこまで悪くなさそうに見えました。
近くに川が流れていて、周りになにもないことがわかります。
「これは実際に見てみたい」と、すぐに連絡をくれた知人づてにアポイントをとることに。
この知人、じつは浜松に建築の設計事務所を構えており、のちに〈したたむ〉の設計とデザインを行ってくれた方なのです。必死で物件を探していたタイミングだったこともあり、「浜松界隈でいい物件情報があったら教えてほしい!」とお願いをしたところ、連絡をくださったのでした。
田舎のおばあちゃんの家のような佇まい車は普段走ることのないクネクネとカーブが続く山道を登っていました。
「この先に家が本当にあるのだろうか」
不安な気持ちを隠しながら、不動産屋さんの車の後部座席から窓の外を流れていく景色を見ていました。
20分ほど経った頃、車が停まりました。車から降りると、まず初めに感じたのは東京とはまったく違う、森の木々がはき出したであろう濃い空気。それからすぐ横を流れる小川の音、その周辺に響き渡る鳥たちの鳴き声が耳に届きます。苔むした地面、深い森、視界のほとんどが緑色で覆い尽くされていました。
ところどころ苔の生えた、落ち葉だらけのアプローチとなる坂を登っていくとその先に物件はありました。第一印象としては「田舎のおばあちゃんの家」。正直なところ、ここでご飯屋さんをやるイメージは湧きませんでした。家の周りを囲むようにうっそうと茂る竹やぶが、まちから遠い、人里離れた山へきているのだなという気持ちにさせます。見渡す限り木々しかなく、民家はひとつも見えません。しかしながら、四方を木々に囲まれているせいか、どこか安心する感覚がありました。
物件へ入ってみると、大きな大黒柱が家は玄関を入るとすぐ右手に汲み取り式のトイレがあり、正面の廊下突き当たりにキッチン。玄関を上がった左手に田の字のかたちに4部屋ありました。説明では築200年以上経っているとのこと。
まず初めに目に飛び込んできたのが、黒くて巨大な大黒柱と、それに支えられるように組まれた立派な梁。
「かっこいい!」と思わず声を出してしまうほど、それらは存在感があったのです。部屋にあがらせてもらい、各部屋を見せてもらいましたが、それらの印象は、外観を見たときと同じ、田舎のおばあちゃんの家。
このあと母屋の横に建つ、陶芸工房を見せていただくことに。こちらはよくある陶芸工房といった感じで、すぐに作業が始められそうな感じがしました。
これ以上にない好条件の物件。さてどうする?母屋のほかに陶芸工房もあり、母屋の田の字型にある部屋の半分を店舗、もう半分を居住スペースとすれば、「住居、飲食店、陶芸工房の3つがある」条件はクリア。物件価格も想定していた「500万円」の予算内に収まり、静岡県は雪が降らず温暖な地なので、「雪が降らない場所」もクリア。そして、圧巻の大黒柱や梁を持つ「古民家」でもあります。
当初掲げた条件をすべて満たした物件がそこにありました。なおかつプラスポイントとして、直前まで住まわれていたため、大きな改修工事は不要、水回りも問題なくそのまますぐに住める状態という、低価格の古民家ではかなり珍しい好条件です。
使い込まれたキッチン。
お店を始めるのには内装、外装のリフォームは必要ですが、やりようによってはすてきなお店になるポテンシャルも感じます。それに加え、妻の実家が近いとなると……
「不動産はご縁」という言葉の通り、この地に呼ばれている気がします。さぁどうする……!?
information
したたむ
住所:静岡県掛川市初馬4394
TEL: 0537-25-6263
営業時間:12:00〜14:30
定休日:水〜金曜
Web:したたむ
したたむ
料理人の夫・奥田夏樹と陶芸家の妻・吉永哲子によるご飯屋と陶芸工房。完全予約制でランチのみ営業中。予約はInstagramより。https://www.instagram.com/_sitatamu_/
credit
編集:栗本千尋