提供:山田健太郎
富樫雅行建築設計事務所 Vol.6函館市で設計事務所を営みながら、建築施工や不動産賃貸、ポップアップスペースの運営など、幅広い手法で地域に関わる〈富樫雅行建築設計事務所〉の富樫雅行さんによる連載です。
今回は、朽ちかけた土蔵をハーフセルフビルドでリノベーションし、自宅兼ギャラリーとして地域に開いていくお話をお届けします。
提供:山田健太郎
“土蔵で暮らす”という冒険今回の主人公は、世界を旅して山登りしながら、その土地の人々の写真を撮りためている山田健太郎さん。普段は公務員でもあります。そんな山田さんに出会ったのは、前回ご紹介した〈SMALL TOWN HOSTEL〉のDIYサポーターにご夫婦で参加いただいたのがキッカケでした。
その頃から、山田さん夫妻は函館市西部地区に引っ越したいと賃貸物件で古民家などを検討されていましたが、〈箱バル不動産〉の蒲生寛之(がもう ひろゆき)くんの案内でこの土蔵と出合い、ダイナミックな梁(はり)にひと目惚れしてしまった山田さんは、蔵に暮らすという冒険に挑むことになります。
スモールタウンホステルのDIYサポーターとして参加する山田さん夫婦(左手前)。
朽ちかけた明治の土蔵この土蔵は〈常盤坂の家〉(vol.1)の坂を降りて1ブロック先の弁天町というエリアにあります。
この物件と出合ったのは、〈港の庵〉(vol.2)をともに運営するメンバーである和田一明さんのワインショップをリノベーションした際に、「斜め向かいにある蔵も空き家になっているから、誰か活用してくれれば」と話していて、所有者の方を箱バル不動産にご紹介いただいたのがキッカケでした。
当初は古民家や賃貸なども探していた山田さんですが、この土蔵に出合ってこれまでの選択肢はすべて取り払われました。
弁天町エリア。左端の建物が〈港の庵〉の運営メンバーである和田さんのご自宅のガレージをリノベした〈ワインショップ・丸又・和田商店〉。その前には路面電車が走り、この先は終点の「函館ドック前」。右端の長屋の奥隣が山田さんの土蔵になる。
この土蔵は明治40年に建てられました。間口は2間半(約4.5メートル)で奥行き8間(約14.5メートル)、20坪の2階建てで、床面積は合計40坪の大きな土蔵です。当初は蔵の左側に母屋があり、海産商であったといわれています。終戦後には古物商となり、平成5年まではパチンコ屋が営まれていましたが、そのあとに母屋が解体され、土蔵だけが残されました。
ビフォーの外観。 土壁の大半は崩れ、サイディングという外壁材に覆われていた。
土蔵の状態はよいとはいえず、外壁は崩れて朽ちかけていました。そもそも蔵は住居用にはつくられていないので、水道もガスもない真っ暗な状態であり、いろんな課題が立ちはだかります。
ところが、山田さんを見ているとその先のワクワク感のほうが優っているように感じられました。なによりも「2階の大きな梁を眺めながら暮らしたい」というのが山田さん夫妻の1番の願いであり、暮らしに薪ストーブを添えるのが理想でした。
必要なのは、最小限の明かりをとって風の流れをつくること。玄関や収納以外はすべて2階に集約し、仕切りを最小限にしたワンルームに近い空間を目指します。
1階の入り口付近のビフォー。 この階段は取り払い、別のかたちで再利用する。左に置いてある漬物石も外構のアプローチで再利用した。
1階のビフォー。この場所がギャラリーとなる。右端の壁のベニヤ板を剥がすと、昔の入口だったであろう壁の大きな穴が出てきた。
2階のビフォー。のちに寝室になる部分。真ん中の手すりで囲われた床板が外れるようになっており、その上に滑車をつけて荷物を上げ下ろししていたようだ。
2階のビフォー。将来の居間からキッチンや洗面方向を見ている。手前の柱の部分には床の段差があった。壁にトタンが貼られているところは、漆喰壁が崩落しているところ。
ご夫婦ふたりでは広すぎるくらいの物件に出合ったことで、この場所で山田さんならではの空間を生み出すことになります。
家の機能を2階に上げることで生まれた1階の大きなスペースに、山田さんがこれまでの旅で撮り溜めてきた写真を飾る私設のギャラリーをつくることになりました。
アジアを中心に世界を旅し、子どもたちの笑顔を撮影してきた山田さんは、これまで何度か写真展を開いてきました。無邪気な子どもたちの笑顔が無数に散りばめられた空間にいると、みんなの笑い声やその場の空気を感じられるようで、幸せな気分でいっぱいになります。
高齢化が進んで子どもの笑い声が少なくなってきたこの地域にて、山田さんの写真が見られるだけで賑わいが増していくのではないかと思いました。
2017年までに山田さんが旅してきた場所にピンがされた地図。
土蔵の売買契約が完了し、2018年の1月末から工事を開始。その頃は1年で1番寒さが厳しい時期でした。最初の2か月だけは大工さんに屋根や外壁などをお願いして、残りはDIYで工事を進めます。9月頭に開催される函館の大イベント〈バル街〉までの完成を目指そうと、約7か月間かけて極寒のなかで工事に取り組みました。
2018年は例年よりも雪が多かった。休日や仕事が早く終わった日の夜に現場に通い、DIY工事を進めた。
DIYの可能性を広げるためにこの案件から、私の設計事務所でDIY主体の施工をサポートする新たな挑戦を始めました。専門的な工事はプロの方に依頼しながら、施主がDIYで工事する範囲をできるだけ広げられるようにサポートするための仕組みです。
まずは工務店や施工会社を通さずに、大工さんや左官屋さん、建材屋さんや材木屋さん、電気屋さんといった家づくりの各業種さんと施主を結びつけるサポートをします。そして専門的な工事管理や材料の調達、段取り調整などは当社が管理します。そうすることで、細かいDIYの調整やコスト管理などを明確にし、工事の進捗に合わせてDIYでの作業がやりやすくなります。
外部工事では、天窓を取りつけ、屋根を葺き替えます。母屋とつながっていたであろう大きな開口部分は住居部分の玄関として再利用するために新たなポーチを増設。外壁の窓を開口し、DIYによる外壁塗り替えも行います。
内部工事は、階段の位置を変更するために新たに2階の床をくり抜きました。1階にも新たに高床を組んで、住居部分の玄関から2階への動線を整理。道路側にある蔵の扉はギャラリーの入り口としました。
間取りビフォー&アフター。
開口部の土蔵の解体。開口はそう大きくないが、すごい量の土になる。
トタンを剥がすと土壁は崩れ去っていた。
土蔵の断熱に関しては、外からスッポリと断熱材で覆ってしまうのが1番いいのですが、予算面も考えるとその選択肢は難しく、既存のサイディングもまだ使える状態でした。そこで内側からの断熱方法を考えます。
コスト的にも内側からスッポリと柱や漆喰を覆って断熱できたらいいのですが、そうすると立派な柱や梁などが覆われて見えなくなってしまいます。そこで今回は薄くても気密性が高く、弱った漆喰への付着性もあるウレタンの断熱材を約50ミリ吹いて、柱や梁が隠れないようにしました。
断熱で包まれた2階の空間。既存漆喰にウレタンを吹きつけた様子。
雪解けしたあと、天窓を取りつける嶋崎正雄さん。嶋崎さんの本職は板金屋さんで、同じ町内で〈大黒笑事〉という骨董屋さんもやりつつ、前回の〈大三坂ビルヂング〉でも〈small town market〉でチンドン屋さんもやってくれている。
工事が始まると山田さんも大忙しです。解体やそのゴミ捨て、柱や土台へ柿渋塗りをしたり、ビス打ちを手伝ったり。大工さんによる工事が終わると、外壁を洗ってサイディングの研磨をしてペンキ塗りをし、雨の日は内部の天井や壁の漆喰塗りをするルーティーンでした。
外壁の足場の2段目にいるのは山田さんのお父さん。工事の初めからずーっと二人三脚でお手伝いに来てくれた。山田さんの同期やお友だちもお手伝いに加わった。(写真提供:山田健太郎)
2階に設置した大きな蔵戸は、近所のレンガ倉庫をボルダリングジムにリノベした〈HOMIE〉さんから引き継いだもの。その横の壁には、そのレンガ倉庫をオマージュしてレンガタイルをDIYで貼った。
外のアプローチには割れた大谷石をDIYで敷き詰めた。厚沢部町の〈鈴木木材〉さんで破格で購入させてもらった。
箱バル不動産でともに参加していたDIYサポーターの仲間がお手伝いに来てくれた。
〈spAce ICHIGoICHIe〉の誕生へなんとかかんとか工事が完了。1階の私設ギャラリーはいろんな活動の場になるように、一期一会が生まれるようにと〈spAce ICHIGoICHIe〉と名づけられました。
オープン時には、山田さんが釧路勤務時代にお世話になったという阿寒町の森のお菓子屋さん〈パティスリージャンレイ〉さんに出店いただき、2階の住居部分もオープンハウスを開催。無事にバル街でお披露目することができました。1日で約300人の来場があり、お菓子も完売となりました。
阿寒町から駆けつけてくれた〈パティスリージャンレイ〉とその仲間のみなさん。両側に山田さんご夫婦と私と子どもたち。
バル街で開かれた〈spAce ICHIGoICHIe〉の様子。
完成した玄関のアプローチ。割れた石を飛び石のように配置した。左には薪棚も完成。
玄関の引き戸は五稜郭近くの古民家で使われていた戸を再利用させていただいた。真っ赤なランドセルをポスト替わりに使用する山田さんのセンス!
玄関と奥の大きな収納スペース。写真右は〈港の庵〉の近くの古民家で使われていたものを引き継いだ下駄箱。
新しい階段の奥に見える、もともと使われていた急な階段はオープンな靴棚として利用した。
階段を上ったところがキッチンとダイニング。その奥にリビング、さらに奥に寝室へと続く。洗面から寝室まで約14メートルのワンルーム空間。(写真提供:山田健太郎)
寝室からリビング、ダイニング、洗面方向を見る。南東側の天窓と、北西側の上げ下げ窓を各4つのエリアに配置している。(写真提供:山田健太郎)
階段を上がった手すり壁(手すりの役割を果たしている壁のこと)は、骨董好きな山田さんが集めたガラスのショーケースと古材で組んだ。壁の向こうはお風呂やトイレ。レンガの壁の上はオープンになっており、脱衣側とも空間はつながっている。
洗面、トイレ、お風呂がまとまった水回り空間にも天窓から光が降り注ぐ。
その後、2階のキッチンには山田さんが薪ストーブ屋さんでひと目惚れしたキッチンストーブを導入しました。工事の直前にこのストーブに出合ってしまい、対面キッチンから業務用のI型キッチンへとプランを変更して導入することになりました。
2階の床は、かつて荷物を上げるために脱着式となっていた。それがこのストーブを2階に上げるときに再び活躍した。
薪ストーブ屋の〈ファイヤピット〉でひと目惚れしたストーブ。バル街のあと、いよいよ火入式。手前左のダイニングテーブルは、元町の白百合幼稚園から引き継いだもの。その脚には山田さんが集めていたアイテム(木彫りおじさんやジャンベという太鼓など)を利用。天板はモールテックスという特殊な左官材を使いDIYで仕上げた。
暮らしの余白から生まれた、小さなパブリックスペースバル街でのオープンを終えてから、大規模停電があったり、翌月第一子の女の子を授かったりと、いろんなできごとがあった山田家。12月には当社でリノベーションを担当した登録有形文化財〈函館YWCA〉で不要になったグランドピアノを引き継ぐことになりました。
こうして新たに音楽の要素が加わり、可能性が広がった〈ICHIGoICHIe〉。その後、あらゆるライブを開催していくことになり、ジャズピアニストの海野雅威(うんの ただたか)さんの新作『Get My Mojo Back』発売記念ツアーの初日もこの場所で行われました。海野さんとはCDのジャケットに山田さんの写真が使われてから、ご縁がずっと続いているそうです。
1階のギャラリーにグランドピアノが設置されて、写真とともに音を奏でる空間へとバージョンアップ。親指ピアノのサカキマンゴーさんのライブや、圭帆&THE HOLY GROUND with Phokaのライブなども開催している。
2020年9月にニューヨークの地下鉄でヘイトクライムの暴行で腕や肩に重傷を負ったジャズピアニストの海野雅威さん。海野さんとの縁は、アルバム『DANRO』(海野さんと吉田豊さんのデュオ作品)のCDジャケットに山田さんの写真が使われてから続いているそう。写真は新作『Get My Mojo Back』発売記念ツアーの様子。外には近所のパン屋〈tombolo〉が来たり、地域の人がお手伝いに来たりとみんなに支えられて、すっかりまちに馴染む存在になってきた。
来場者のみんなが海野雅威さんと山田さんとの物語を共有しながら、ひとときの夜を堪能した。(写真提供:山田健太郎)
港町の土蔵をリノベーションして暮らし、そこから生まれた余白スペースを自分なりのカタチで地域に開いていく取り組み。蔵の扉の向こうに広がるギャラリーはまだまだ続く山田さんの旅をもの語り、そしてそれは地域へ開いた小さなパブリックスペースのような存在になっています。
この場所を見ていると、玄関先の小さなスペースからでも、ひとりひとりができる取り組みが地域に増えていけば、まだまだまちもおもしろくなるんじゃないかと期待がもてます。〈spAce ICHIGoICHIe〉から多くの一期一会が生まれ、地域コミュニティにも波及していくのが今後も楽しみです。
次回は「ホワイトハウス」と呼ばれた平家を半2世帯にセルフリノベーションし、コンテナのフォトスタジオも併設させたお話です。
information
spAce ICHIGoICHIe スペース イチゴイチエ
住所:北海道函館市弁天町16-2
Web:spAce ICHIGoICHIe
富樫雅行
Masayuki Togashi
とがし・まさゆき
1980年愛媛県新居浜市生まれ。2011年古民家リノベを記録したブログ『拝啓 常盤坂の家を買いました。』を開設。〈港の庵〉〈日和坂の家〉〈大三坂ビルヂング〉で函館市都市景観賞。仲間と〈箱バル不動産〉を立ち上げ「函館移住計画」を開催し、まちやど〈SMALL TOWN HOSTEL HAKODATE〉を開業。〈カルチャーセンター臥牛館〉を引き継ぎ、文化複合施設として再生。まちの古民家を再生する町工場〈RE:MACHI&CO〉を開設。さらに向かいの古建築も引き継ぎ、複合施設〈街角NEWCULTURE〉として再生中。地域のリノベを請け負う建築家。http://togashimasayuki.info
credit
編集:中島彩