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アートの世界では、逆に絵が描けない我々が「障害者」なのかもしれない

  • 2022年9月13日
  • コロカル

連載4回目となる今回は、岩手と東京の二拠点で「異彩を、放て。」というミッションのもと、福祉を起点に新たな文化をつくりだす福祉実験ユニット〈ヘラルボニー〉代表の松田崇弥さん&松田文登さんにお話を伺った。前後編の2回に分けた前編をお届けする。(※後編「自然とアートは似ているのか?」はこちら)

 「障害」の概念やイメージを変えていく 

山井梨沙(以下、山井): おふたりとお会いするのはこれが初めてですが、実は結構同じシンポジウムなどにゲストやパネラーとして呼ばれることも多いんですよね。やっとお会いできてうれしいです。

松田崇弥&松田文登(以下、崇弥、文登): こちらこそ書籍も読ませて頂いたりしていて、ずっとお会いしたかったので、今回の対談をとても楽しみにしていました。

山井: まずはヘラルボニーさんの活動について、改めてお話を伺えますか?

文登: 簡単に説明しますと、障害のある方のアートデータを管理し、それを軸にさまざまなモノやコト、場所に落とし込むような事業を中心に展開しています。そのデータを使用したプロジェクトの利益の一部を福祉施設さんに直接バックしていくようなモデルをつくり、現在は北海道から沖縄まで、全国37の社会福祉施設や個人の作家とアートのライセンス契約を結んでいます。「障害」を話題にすると途端に重苦しい話になりがちですけど、障害の有無に関わらず、ひとりひとりが本当の意味で尊重される、そういう風に社会の意識を変えていけるような活動をしています。世界中にいわゆる「障害者」が10億人、日本だと936万人が障害者手帳を持っていて、そのうち知的障害の方は109万人ほどいらっしゃるんです。障害のある方は福祉施設でいわゆる受産品と呼ばれるようなクラフトや食品などをつくっている方が多くて、もちろん絵を描いている方もいらっしゃるのですが、月額の平均賃金は16000円くらい。一概には言えないですが、やっぱりそれは妥当な額ではないと思うし、僕たちの活動によって、まずは一緒に仕事をしているアーティストからそういったところを根本的に変えていけたらと思っています。

 

 

崇弥: 僕たちは岩手県出身。岩手県花巻市にある福祉施設〈るんびにい美術館〉をきっかけに会社が始まったこともあり、自分たちのアイデンティティやスタンスを忘れたくないという気持ちが強くて、本社は岩手県に置き、東京との二拠点で会社を運営しています。今では、全国のギャラリーで「障害者アート」の展示がされるようになってきましたけど、アートに興味のない人にも観てもらえるように、例えば駅舎や電車ごとラッピングしたり、工事現場の仮囲いにアートを掲示するなど、パブリックな場所にアートを落とし込んでいくことで、障害の概念やイメージが変わっていけばいいなと思っています。あとは自社ブランドとして〈HERALBONY〉というアートライフスタイルブランドを展開しています。支援や貢献の文脈ではなくて、デザインが好きだからとか、直感的に欲しいから買うという行動につながるように、商品の品質にもこだわり、百貨店を中心にポップアップショップで販売しています。あとは地ビールのメーカーや食品会社など、さまざまな企業とコラボレーションもさせていただいています。作家さんたちによりお金の流れを生んでいけるような仕組みをもっと広げていきたいですね。

 

今年プロデュースした〈ハイアット セントリック 銀座 東京〉というホテルの客室。(写真提供:HERALBONY)

今年プロデュースした〈ハイアット セントリック 銀座 東京〉というホテルの客室。(写真提供:HERALBONY)

釜石線のアートラッピング車両。(写真提供:HERALBONY)

釜石線のアートラッピング車両。(写真提供:HERALBONY)

ヘラルボニー・ヘラルボニー

山井: おふたりがヘラルボニーを始めたきっかけとして、自閉症のお兄さんの存在が大きかったとメディアなどで拝見したんですけど、〈ヘラルボニー〉という社名は、そのお兄さんが考えた言葉なんですよね? とても不思議で、とてもいい言葉だと思います。

文登: 四つ上の兄が先天性の知的障害と自閉症があり、小さい頃から兄のことを可哀想とか言われたり揶揄されたりすることがよくあったんです。私たち双子のなかではそういう概念はないんですけど、社会側からみると「障害者」という枠組みに入った途端に可哀想って決めつけられることって何故なんだろうという違和感を感じていて。昔、障害のある方が福祉施設で頑張ってつくったものが道の駅で500円ほどで売られているのを見たときに、「正直これ、一体誰が買うんだろう?」って思ったんです。買い手は親御さんや、施設の職員さんばかりですし、とても事業として続けられる金額ではありません。そんなとき、るんびにい美術館で観たアートに感動して、そういう価値観を変えていくために自分たちにも何かできることがあるはずだと思ったのが、立ち上げのきっかけになりました。

崇弥: 社会人2年目だったので、25歳頃のことです。当時、私は企画会社で働き、文登はゼネコンで働いていたんですけど、最初の1年間くらいは副業としてブランドを運営していて、会社にしてから3年半くらいになります。ブランドを始めた当初は、アートも「障害」というフィルターが入った途端に支援的な文脈が中心で、今でもまだその感覚はあると感じているのですが、そういう価値観を変えていきたいんです。

 

文登: 「ヘラルボニー」は、兄が7歳のときに使っていた自由帳に書いてあった言葉で、20歳くらいのときに発見しました。そのノートのなかにやたらと登場するんです。兄はアーティストではないんですけど、自由帳の使い方とか結構おもしろくて、必ず右下にふたつ並んで「ヘラルボニー」という言葉が決まったフォントでレイアウトされているんですよ。

山井: 何か意味はあるんですか?

崇弥: 本人に聞いたら「わかんない!」って言われました(笑)。母親にも聞いたんですけど、やはりわからなくて、ネットの検索結果もゼロ件。私はずっとおもしろい言葉だなと思い続けていたのですが、会社名にしようと思って兄や母に相談したら「ダサい」とか「響きが悪い」とか、散々な評価でしたね(笑)。

そもそも、「障害」ってなんだ?

山井: ほかの文字もなんだか規則性があっておもしろいですよね。もはやひとつのフォントというか。

崇弥: そうですね、本人としては文字ではなく記号として捉えているのかもしれないですね。たぶん、障害があるからこその世界が存在すると思っているのですが、その部分を支援的な文脈ではなく、純粋なるアートとして発信していきたいんです。

山井: 「障害」という言葉は、その時々の社会の基準に合わないというだけのことかもしれない。それこそゴッホしかり猛烈な才能を持った古今東西のアーティストって何かしらの問題を抱えていたからこそ、ああいう作品をつくれたのではないかと思うんですけど、おふたりは「障害」という言葉についてどういう考えをお持ちですか?

文登: 例えばうちの兄は一生懸命勉強を頑張っても自分たちと同じような成果を出せるわけではありません。今我々が暮らしているこの世界においてはそういう意味では劣っていると見なされる場合もあるので、「障害」と区分されてしまうこともしょうがないのかもしれません。ただ、劣っている部分だけでなく秀でた部分も、いわゆる「健常者」とされる我々の視点を変えれば大いにあるのではないかと思うんです。それを「個性」というのは、個人的には少し違和感があるのですが、うまく言えないですけど、もしかしたら「障害」というのは「違い」のことなのかなと思います。違うから排除するとなりがちだった過去から学ぶのではなく、「違うからこそおもしろいよね」というふうに社会が変わっていくことができればよいなと思っています。

すでに障害という言葉は時代にマッチしていない

崇弥: 先日、高校生に講演をする機会があったのですが、「私は『障害』という言葉自体が差別用語だと思うんですけど、松田さんはどう思いますか?」と質問をされたんです。自分にとっては生まれたときから「障害」という言葉が当たり前のものとして存在していたのだけれど、若い世代に関してはもうその言葉自体を差別用語として捉える視点もあるんだなと思いました。自分は「障害」という言葉を、差別用語というよりは社会モデルとして捉えています。例えば段差があって車椅子でそこに行けないのは段差があることが問題でその段差を取り除けばいい。目が悪ければ眼鏡をかければいいとか、そういう社会モデルとしての「障害」の捉え方の話をしたのですが、なんだか自分でもスッキリしない説明になっているなと思いました。彼らが言うように、もしかしたらもう「障害」という言葉そのものがマッチしていないのかもしれないですよね。 それこそこれも差別用語ですが、100年前くらいに知的障害のある方は「白痴」と呼ばれていて、そこから精神が弱っている人たちという意味で「精神薄弱」に代わり、「障害」という言葉が使われるようになったのは30年くらい前のこと。言葉自体もよりマイルドな「障害」に変わってきた歴史のなかで、やっぱり違和感を感じる部分もある。2歳になった娘の運動会で、障害物競争をやっていたんです。「危ない、避けろ!」みたいな感じで障害物を避ける競技で、それを見たときに「障害物」と「障害者」がほぼ同じ感じで使われているように思って、娘に対してもそういう概念が伝わったら嫌だなって思いました。「障害」という言葉自体が時代のニーズにマッチしていない可能性は、十二分にあると思います。

山井: 私たちが小学生の頃って、特殊学級とかある学校があったじゃないですか? うちの小学校はそれがなくて、普通にクラスに自閉症とかダウン症の子が学年に3人位いたんですよ。みんなすごくやさしいけど、初めて見たときはなんかちょっと怖いなって思ってしまった。結局みんな、自分の知らないものは怖いじゃないですか。接していくようになると、同じ気持ちが通じ合う同じ人であるっていうことに気づくんだけれど、関わっていないから、関わろうとしないから、恐怖心を抱くのかなと思うんです。今日この盛岡にあるヘラルボニーさんの自社ギャラリーに来て作品に囲まれていると、作者である彼らは資本主義経済のなかで社会的に「障害者」と呼ばれているけど、アートの世界であれば逆に絵が描けない我々が「障害者」なのかもしれないって思えてくる。何かができないから「障害」とか、何かができるから「健常」とか、そういう区別について否応なく改めて考えさせられますよね。

 

(後編へ続く)

profile

Takaya Matsuda 松田崇弥

代表取締役社長。小山薫堂が率いる企画会社〈オレンジ・アンド・パートナーズ〉、プランナーを経て独立。4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、双子の松田文登と共に〈ヘラルボニー〉を設立。異彩を、放て。をミッションに掲げる福祉実験ユニットを通じて、福祉領域のアップデートに挑む。ヘラルボニーのクリエイティブを統括。東京都在住。双子の弟。世界を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。

Web:へラルボニー

profile

Fumito Matsuda 松田文登

代表取締役副社長。ゼネコン会社で被災地の再建に従事、その後、双子の弟、松田崇弥と共に〈へラルボニー〉を設立。4歳上の兄・翔太が小学校時代に記していた謎の言葉「ヘラルボニー」を社名に、福祉領域のアップデートに挑む。ヘラルボニーの営業を統括。岩手在住。双子の兄。世界を変える30歳未満の30人「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN」受賞。

Web:へラルボニー

profile

LISA YAMAI 山井梨沙

株式会社スノーピーク代表取締役社長執行役員。1987年新潟県生まれ。祖父は同社創業者の山井幸雄、父は代表取締役会長の山井太。文化ファッション大学院大学で服作り、洋服文化を専攻し、ドメスティックブランドで約1年間勤務。2012年に採用試験を受けスノーピークに入社し、アパレル事業を立ち上げる。その後同事業本部長、企画開発本部長、代表取締役副社長を経て、2020年3月より現職。著書に、『FIELDWORK―野生と共生―』や『経営は、焚き火のように Snow Peak飛躍の源泉』がある。

Web:スノーピーク

writer profile

Kei Sato

佐藤 啓(射的)

ライフスタイル誌『ecocolo』などの編集長を務めた後、心身ともに疲れ果てフリーランスの編集者/ライターに。田舎で昼寝すること、スキップすることで心癒される、初老の小さなおっさんです。現在は岩手と東京の二拠点で活動する株式会社 祭り法人 射的の取締役棟梁ならびに世界スキップ連盟会長として、場所を選ばずスキップ中。世界スキップ連盟祭り法人 射的編集アシスタント:佐藤稔子

photographer profile

Masaru Tatsuki

田附勝

1974年、富山県生まれ。全国のデコトラとトラックドライバーを撮影し『DECOTORA』を2007年に発表。2012年に『東北』で第37回木村伊兵衛写真賞を受賞した。そのほか『その血はまだ赤いのか』、『KURAGARI』、『「おわり。」』、『魚人』などがある。社会で見過ごされてしまうものに突き動かされ、写真のテーマとして撮影を続けている。2020年3月新しい写真集『KAKERA』を発表。

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