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子どもの主体性と好奇心を大切に。美流渡に生まれた「ぼうけん遊び場」とは?

  • 2022年5月18日
  • コロカル

撮影:佐々木育弥

ゴールデンウイーク中、子どもを見ながらイベント運営できる?

4月23日から5月8日まで開催した『みる・とーぶ展』。舞台となったのは3年前に閉校した、北海道・旧美流渡(みると)中学校。普段は人影のないこの場所に、16日間で1950名もの人が訪れた。来場者のなかで目立ったのは親子連れ。会場で一日中過ごす人や、何度も遊びに来る人も多かった。

地域のつくり手の作品を発表した『みる・とーぶ展』。

地域のつくり手の作品を発表した『みる・とーぶ展』。

『みる・とーぶ展』は地域の作家の作品発表が中心となったイベントだが、校舎の体育館と図書室で開催した「ミルトぼうけん遊び場」も人気のスポットとなった。体育館には滑り台や跳び箱などを設置し、ボール遊びもできるようにし、図書室にはビーズやボタン、工作できる道具などを置き、ものづくりを楽しめる場にしつらえた。

体育館につくった「ミルトぼうけん遊び場」。

体育館につくった「ミルトぼうけん遊び場」。

この遊び場ができた経緯は、『みる・とーぶ展』に参加したメンバーの声だった。 「ゴールデンウィーク中は子どもが家にいるので、つきっきりで売り場に立つのは難しいかもしれない」 子どもが3人いる、わが家も同じ状況。イベントの主催団体の代表を務める私は、16日間出ずっぱりとなる。さて、どうしたものかと考えていたところ、あるときパッとひらめいたことがあった。 校舎に子どもの遊び場をつくったらどうだろう? そして次の瞬間、ある友人の顔が浮かんだ。岩見沢市の農家で、プレーパークの活動を行っていた林睦子(はやし むつこ)さんだ。プレーパークはまたの名を「冒険遊び場」といって、子どもが主体となって遊ぶ場をつくる活動のこと。日本では1970年代に東京・経堂で取り組みがスタートし、現在では全国にこの取り組みが広がっている。 睦子さんは2015 年に「岩見沢プレーパーク研究会」を発足。市内の公園や森林を借りて3年ほど定期的に活動を続けた経験がある。

林睦子さん。2011年に私は東京から岩見沢市へ移住し、ほどなくして睦子さんと知り合った。(撮影:佐々木育弥)

林睦子さん。2011年に私は東京から岩見沢市へ移住し、ほどなくして睦子さんと知り合った。(撮影:佐々木育弥)

さっそく、睦子さんに「メンバーの子どもたちが遊べる場づくりに協力してもらえませんか?」と声をかけたところ快諾!(やったー!!) メンバーの子だけではなく、展覧会に来場した子どもたちも遊べる場所を一緒につくってもらえることとなった。

むっちゃん先生のいる遊び場に行きたい!

睦子さんは、子どもたちと一緒に段ボールで家や台所をつくったり、いらなくなったセーターで人形をつくったりといった、たくさんのアイデアを提案してくれた。 また、学校に残されていた、跳び箱やプール用の滑り台、柔道用の畳や箱台、お鍋や食器、楽器など、さまざまなものを集めてくれて、体を動かせるコーナーやおままごとのできるコーナーをつくってくれた。

体育館の舞台にはおままごとコーナーを設置。

体育館の舞台にはおままごとコーナーを設置。

図書室には素材を置いて、ものづくりを楽しめる場をつくってくれた。素材はほとんど寄付。睦子さんの呼びかけに応えて、糸や布、ビーズ、ボタン、木をコースターのように輪切りにしたものや、松ぼっくりなどの自然素材が集まった。

赤、青、黄色。色で分けて引き出しに入れたボタンやビーズ。

赤、青、黄色。色で分けて引き出しに入れたボタンやビーズ。

引き出しを開けるたびに歓声を上げる親子連れ。

引き出しを開けるたびに歓声を上げる親子連れ。

準備期間中からメンバーの子どもたちは、体育館や図書室で遊び始めていて、この場にすっかり魅了されたようだった。展覧会がオープンしてからも、ずっと遊び場にいて、売り場に立っている親のところにはほとんど顔を見せなかった。睦子さんは子どもたちと本気で遊んでくれていて、「むっちゃん先生」と呼ばれて慕われていた。

子どもとお人形遊びをする睦子さん。

子どもとお人形遊びをする睦子さん。

お天気のいい日は外へ! リアカーに子どもたちを乗せてお散歩。

お天気のいい日は外へ! リアカーに子どもたちを乗せてお散歩。

「一般的に、子どもと大人には境目があるように言われているけれど、私はまったくなくて。すぐに子どもの目線になれるの(笑)」 そんな睦子さんだからか、幼稚園や学校に時折、行きたくないという子どもでも「むっちゃんのいる学校(旧美流渡中学校のこと)には行きたい!」と言うようになった。親たちも心置きなく売り場やイベント運営に集中できて、大人も子どもも自分のやりたいことを存分に行うことができた。

つくり手の作品販売とともに、ピザやパスタ、コーヒーも販売した。連日大にぎわい。

つくり手の作品販売とともに、ピザやパスタ、コーヒーも販売した。連日大にぎわい。

ぼうけん遊び場にあるのは、どこにでもあるような素朴な遊具ばかり。睦子さんと私は、これだけでは来場した子どもたちが退屈してしまうのではないかと、少し不安を持っていた。しかし、蓋を開けてみると、子どもは夢中で遊び続け、さらには親もバスケットボールや卓球を楽しんでいた。 訪れた人によると「体育館を、こんな自由な遊び場として開放しているところは少ない」という声もあって、特にルールを設けずに誰もが遊べる場は“ありそうでない”ことがわかってきた。

板に車輪をつけた台車が大人気。

板に車輪をつけた台車が大人気。

心が空っぽになってしまった子ども時代を越えて

睦子さんはなぜ、プレーパーク/冒険遊び場をつくることに興味を持ったのだろう。旭川で生まれ、札幌で育ち、小学校では勉強もでき明るい子であったが、つねに“いい子”を演じているような感覚があったそうだ。父親が時折見せる不機嫌な顔が、自身の心に暗い影を落としていて、その気持ちを家族や友人に打ち明けられない苦しさを感じていたという。 「自分の感情を表に出さずに、周りに合わせるようにしていたら、いつしか心が空っぽになってしまったんだよね」

撮影:佐々木育弥

撮影:佐々木育弥

大学生になると周囲とのコミュニケーションがうまくいかず引きこもり気味となり、卒業論文を提出できずに留年。翌年になんとか論文を提出して卒業し、札幌市の職員となった。 睦子さんが配属されたのは知的障がい者の作業施設。そこでは同僚の助けもあって元気に働くことができたという。 「知的障がいのある人たちは、私のことをそのまま受け入れてくれて、そんななかに身を置くことで自分を出せるようになってきたのね」 その後も市の職員として働きつつ30歳で結婚。39歳のとき、夫が新規就農することを決意し、栗沢町(現・岩見沢市)へ移住し農家となった。 この間、睦子さんはカウンセリングを受けたり、カウンセラーになるために学んだりしながら、少しずつ子ども時代の気持ちと向き合っていったという。 そしてあるとき、もっとも自分がストレスに感じることとは、心からやりたいことをできていない状態であると気づいたそうだ。 「その頃、農業と子育てだけでは何か違うと思っていて、農作業を休んでネットサーフィンを始めたの。そうしたら『冒険遊び場』という言葉を見つけてね」 遠い記憶が呼び覚まされた。中学生の頃に、冒険遊び場の創成期の記事を雑誌で読んだことを思い出したという。 「のびのびと遊べる場に惹かれていました。子ども時代に生きづらさを感じていたからだと思う」

そこで子どもの遊び場づくりに興味を持つ市民に呼びかけ「岩見沢プレーパーク研究会」を立ち上げ、月2回のペースで市内の公園で活動をするようになった。 子どもが自発的に自由に遊ぶ場という理念を掲げ、普段だったら大人が止めるような、水遊びや泥遊び、焚き火などを子どもと一緒に行った。やがてお泊まり会を開催したり、森の中で遊んだり。3年ほど活動を継続し、次第に地域に定着していったが、心の奥底でもっと活動を極めたいという思いが募っていったという。

岩見沢プレーパーク研究会での活動。雪でも元気に遊び、焚き火でマシュマロを焼く。

岩見沢プレーパーク研究会での活動。雪でも元気に遊び、焚き火でマシュマロを焼く。

「当時、アメリカ発祥の『サドベリー・スクール』にも注目していて。サドベリーでは、学びを外から与えられるのではなくて、自分の好奇心が赴くままに、やりたいことを追求することが重視されていて、そういう場をつくりたいと思うようになっていました。そのためにはときどき公園に集まるだけではなくて、いつ行っても遊べる、常設の場が必要だと思ったの」 睦子さんは岩見沢プレーパーク研究会の代表を次世代に託し、自身のこれからの活動を模索することにした。今年の春からは、週1回、児童発達支援を行うデイサービスで勤務を始め、また、不定期で「子育て相談会」を開くなど新しいステップを踏み出していた。そんな折に、美流渡でのぼうけん遊び場づくりも重なった。

「ミルトぼうけん遊び場」で開かれた、むっちゃんの子育て相談会。睦子さんは不登校とHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド、ひといちばい繊細な子)の子育てを体験。そのとき感じたことを、子育てに悩むお父さんお母さんと共有したいと考えている。

「ミルトぼうけん遊び場」で開かれた、むっちゃんの子育て相談会。睦子さんは不登校とHSC(ハイリー・センシティブ・チャイルド、ひといちばい繊細な子)の子育てを体験。そのとき感じたことを、子育てに悩むお父さんお母さんと共有したいと考えている。

子どもたちがとことん楽しむ、大きな家のような場所になって

展覧会期間中で、幼稚園や保育園、学校がお休みだったのが10日間。参加メンバーの子どもたちは、その間、ずっとぼうけん遊び場で過ごした。毎日、とことん遊び尽くした子どもたちは、そのなかで次第に成長していって、おもちゃを譲り合ったり、お菓子を分けあったりする場面も増えた。睦子さんが常に語っていた、子どもの主体性に任せることの大切さを、わが子の様子から実感できた。

外で箱台をみんなでペイント。子どもたちは夢中!

外で箱台をみんなでペイント。子どもたちは夢中!

「『みる・とーぶ展』に参加しているメンバーの子どもたちが、みんなで遊んで、ときにはご飯も一緒に食べて。ここが子どもたちの大好きなテリトリーになっていって、まるで校舎全体が『家』のようだと感じられて。やってよかったと思いました」 『みる・とーぶ展』は、このあと7月、9月に開催予定で会期中は、いつでも子どもが遊べる体制をつくる予定。それ以外、10月までの毎月第1日曜日にも「ミルトぼうけん遊び場」を開くことになっている。一年中オープンとまではいかないが、できる限り開けておけるように工夫をしつつ、今後は屋外にも活動の範囲を広げいく計画だ。

「ミルトぼうけん遊び場」の告知チラシ

体育館の入り口には子どもたちへのメッセージが掲げられている。

遊ぼう遊ぼう遊ぼう なんでも自由にやってみようあぶない、うるさい、きたないオッケー!ギリギリせめたらワクワクするね好きなことをやったらさちょっと痛いこともあるかもねちょっとくやしいときもあるかもね泣きたくなったら泣いちゃおう腹がたったら大声だそうこまったときは話しあおうここはみんなの冒険遊び場

「これは、子どもたちに向けて書いたものだけど、本当は自分の子ども時代に向けての言葉なのかもしれない」 子どもの頃の記憶をたどれば、誰しもうまくいかない経験や整理されない思いを持っている。けれど大抵の場合は、心の奥底に追いやって気づかないふりをしているのではないか。睦子さんは、まっすぐ自分の子ども時代に向き合っている。その正直さが子どもにも伝わって「むっちゃん先生」がみんな大好きなのかもしれないと思った。

撮影:佐々木育弥

撮影:佐々木育弥

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/

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