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料理家・細川亜衣が熊本への移住で見つけた“特別なもの”とは?

  • 2021年10月13日
  • コロカル
人も植物も動物も、同じ立場で生きている

結婚を機に、生まれ育った東京から熊本へと移住し、住まいのある泰勝寺を拠点に料理教室や料理会などを行っている料理家の細川亜衣さん。

泰勝寺は、肥後国熊本藩主・細川家の菩提寺として江戸時代初期に創建された寺院で、今はお寺としての機能はなく、「泰勝寺跡」として知られる。細川さんが暮らしている家は、その泰勝寺の元僧坊。料理教室などを行っているアトリエ〈taishoji〉は、寺の待ち合い所だった建物で住まいは2013年に、〈taishoji〉の厨房と食堂は16年に、古い建物を生かしながら改装した。

〈taishoji〉の食堂から見た庭

〈taishoji〉の食堂からも庭の緑が見通せる。

熊本に暮らして12年。料理を通してこの地の魅力を県内外に発信する活動も行ってきた細川さんだが、「移住するまで、熊本のことは何も知らず、暮らしながらこの場所のことを知り、惹かれていった」のだという。細川さんが最初に好きになったのは、ここ泰勝寺の自然だ。

「引っ越してきて一番感動したのは、庭でとれるものの豊かさでした」

庭のスダチは移住してすぐ植えたもの。

夏の終わりに収穫の時期を迎えるスダチ。移住してすぐ庭の一角に植えた果樹のひとつ。

庭の緑は、深く、濃い。瑞々しい苔の新芽から桜の老木まで、いくつもの命と時間が折り重なり、その深く濃い緑のグラデーションをつくっている。自宅の周りには、昔からある梅の木や栗の木、住み始めてから植えたスモモやスダチなど、たくさんの果樹があり、季節ごとに実をつける。

雨上がりの泰勝寺の敷地内

泰勝寺の敷地内。雨のあとには、緑が一層濃く感じる。

「梅雨入り前は梅、梅雨が明けたらスモモやブルーベリー……庭なので、人工的なものではあるのですが、若葉が芽吹き、花が咲き実をつけ、枯れてまた芽吹くという自然のサイクルに励まされることもあります」

豊かな実りを享受し、庭で長い時間を過ごすうち、細川さんのなかに人も植物も、そして動物も、この場所を借りて生きている同じ立場の存在なんだ、という意識が強く芽生えたという。

庭の果樹になっている木の実

2021年5月からスタートした動画配信(有料)での料理教室〈camellia taishoji〉から。〈taishoji〉の美しい四季と実りの豊かさが伝わってくる。動画配信は熊本になかなか足を運べない人にも届けたいという思いから始めた。

庭に落ちている栗を拾う細川さん

すももアイスティーをつくる様子

 

「庭の木々は、私よりもずっと長生きで、その長さに比べれば、私はほんのいっとき、ここにいさせてもらっているだけなんですよね。庭には、猪や猿や野ウサギもいたりして、そのへんを歩いている動物に会うと、お互い、この土地を借りて暮らしていることに変わりはないんだよな、と思うんです。みんなが同じ立場で共存している。そういう気持ちを抱かせてくれることが、ここを心地よいと思う一番の理由かもしれません」

料理の在り方を変えた、食材への絶対的な信頼

細川さんが、熊本を知り、惹かれていくきっかけに、移住して間もない時期に携わったふたつの仕事がある。

細川さんのポートレート

ひとつは、熊本朝日放送のテレビ番組『くまもと5ツ星』のなかの、「つながるひとさら〜細川亜衣の食日記」というコーナー。毎月、熊本県内のさまざまな食の生産者たちを訪ね、現場で直に受け取った食材をおいしくいただく「ひとさら」を考え、紹介した。

もうひとつは、雑誌『九州の食卓』で行っていた連載で、熊本のみならず、九州各県の郷土料理のつくり手たちを訪ね、土地ごとに古くから伝わる食文化の一端を学んだ。

「そのふたつの仕事が、私にとって、すごくいい経験になりました。知り合った生産者のなかには、今でもお世話になっている方々がいて、〈taishoji〉で企画したマーケットに食材をご提供いただいたり、そこからいろいろなつながりが生まれました」

庭で採れたスモモの蜜を入れた紅茶

取材時に淹れてくれたお茶は、熊本のお隣り、宮崎県の五ヶ瀬町で農薬や化学肥料を一切使わずに育てられた紅茶、〈宮﨑茶房〉の〈やまなみ〉。庭で採れたスモモの蜜を入れ、ほんのりと甘く。

仕事柄、国内外、さまざまな場所を訪れてきた細川さんだが、今ではどの国のどの場所と比べても、熊本の食材のおいしさは抜群だと胸をはる。

「野菜、果物、乳製品、お肉、お魚、お米……本当に何でもとれるし、豊かな水も含め、すばらしい“食の資源”が熊本にはある。ここにきて、料理というものの在り方が、自分のなかでガラリと変わりました」

メキシコの手焼きタイルを貼った厨房の一角

厨房の一角。袖壁に貼ったタイルは自宅の台所にも使ったメキシコの手焼きタイル。

大学卒業後、20代前半から30代後半まで、日本とイタリアを行き来しながら東京でイタリア料理の教室をしていた細川さん。当時から、季節の食材を大切に扱ってきたけれど、熊本にきて「より素材に耳を傾けるようになった」という。

「素材を見て、つくるものを決める。つくるものを先に決めて食材を買うことはまずありません。素材と向き合い、観察し、料理のイメージが湧いてくるのをじっと待つ。今は食材への絶対的な信頼があるから事前にあれこれ考えたりしておかなくても、結果はほぼ、必ずよくなる」

プロセスよりも、料理の先にある喜びを求めて

細川さんは2021年に『旅と料理』『料理集 定番』など、いくつもの本を出した。〈taishoji料理教室〉のレシピを掲載した『taishoji cookbook』もそのなかのひとつ。1冊目は16年と17年に、2冊目は18年に行った料理教室の全レシピが瑞々しい料理写真とともに紹介されている。

本を2冊同時に発行

2冊同時に発行した『taishoji cookbook 1・2』。

『taishoji cookbook 1』

『taishoji cookbook 1』から。秋を感じる「四角豆のえごまあえ」と「さばのごほうみそ焼き」。

細川さんの、その「食材への絶対的な信頼」に裏打ちされた、季節ごとの美しい料理の数々。2冊あわせて150品以上の料理のほとんどが、熊本県産の食材から生まれていることに、あらためて驚かされる。

「東京で暮らしているときは、食材を見て、これをおいしくするのはどうしたらいいだろう、と“素材を料理に変えるプロセス”について、常に思考を巡らせていました。今は、そこがなくなったというか、もともとがおいしいから、もう私は何も考えなくていい(笑)」

赤なすのマリネを盛り付ける

動画配信での料理教室〈camellia taishoji〉から。食材の色や質感の美しさに思わず見とれる。細川さんが料理に抱いている鮮やかな感覚が伝わってくる。

黄色いトマトにパプリカのソースをかける

じっくり煮込んでいるのは牛肉のシチュー

 

考えるとしたら、その素材をどこで、誰と食べたいか。

「家でふだんの食事として食べるのか、友だちを呼んで庭で食べるのか。プロセスではなく、シーンとか時間みたいなものを、より大切に考えるようになりました」

素材があって、料理があって、細川さんは今、料理の先にある喜びを見つめている。

自宅の庭で食事をとることも多い

雨上がりの自宅の庭。軒下や庭先で食事をとることも多い。

そこにあるものが特別なものだと気づく目

ローカルの価値や可能性を考えるとき、大切なのは、「そこにあるものが特別なものだと気づく目」だと細川さんは言う。

庭の緑が美しい

食材を買いにふだんよく行くのは、地産地消の生産者直売店〈you+youくまもと農畜産物市場〉。有機栽培や無農薬栽培の野菜も、東京に比べればずっと安く、新鮮な状態で手に入れることができる。東京から来た友人知人に紹介すると、とても喜び、同じ野菜でも、東京で買うものとはまったく“別のもの”だと感嘆の声をあげるという。

ゆっくりと考えながら話す細川さん

それほどおいしい食材がすぐ近くで手に入るのだから、地元の飲食店や子どもたちの学校給食、ここで暮らしている人たちの「日常」にもっと生かせないだろうか、という思いが、細川さんのなかにはずっとある。

〈taishoji〉へと続くアプローチ

木々の緑に導かれるような〈taishoji〉へのアプローチ。

「熊本は海も山もある多様な土地で、夏の暑さも冬の寒さも厳しいけれど、その厳しさの中で育まれた食材のおいしさは“特別”です。でも、生まれたときからここにいる人たちにとっては、それが“当たり前”だから、特別なことだとは、なかなか気づかないのかもしれません。私は外から来た人間だからこそ、わかることもある。何かのきっかけさえあれば、ずっとここで暮らしてきた人たちにも見えてくるものだと思うので、そのきっかけがもっとあると、いいなと思います」

ローカルを拠点に豊かに暮らしていくヒント

細川さんが移住した当時に比べると、地方に新たな暮らしの場を見つけようとする人たちは確実に増えた。コロナ禍で働き方が変わり、選択の幅が広がったことでこれから移住したいと考えている人も、たくさんいる。ローカルを拠点に豊かに暮らしていくヒントって、なんだろう——。

アトリエで作業する細川さん

「移住したいという気持ちを持っていらっしゃる方ってみなさんそれぞれに大事にしていること、大事にしたいことがあると思うんです。何かしらの信念があって、大きく環境を変えようと思うわけですから。その大事にしたいことの“芯の部分”を見失わずにいること。移住した先にも、きっと、同じ思いを抱いている人たちがいるはずなので、その人たちと、少しずつでも、無理なくつながっていくこと」

ガラス作家、横山秀樹さんの器

食堂の棚には福岡県飯塚市に工房のあるガラス作家、横山秀樹さんの器が並ぶ。横山さんとは熊本に来てから親しくなり、アトリエで展示会を行うこともある。

細川さんの場合は、それが料理だったけれど、子育てでもいいし、庭仕事でもいい。何かを軸に、新しいコミュニティとのつながりをつくることが、結果的にその人を助けてくれることになる、と実感を込めて言う。

「実は私自身、人づき合いとか、そういうことが得意ではなくて、この土地に来てしばらくは、友だちも全然いなかったし、今でも多くはないんですけど(笑)、でもだんだん、地元で頼れる人もできて、今では、そういう人たちあっての自分だと思う。無理せずに自分が心地よいと思える人間関係を見つけていければ、どこに行っても、みんなそれぞれ、いい場所だと思います」

丁寧に受け継がれている自宅の外観

自宅の外観。昭和期に行われた増築部分も含め、古い建物を受け継ぎ、改装を経て今に至る。

四季を体験して初めてわかるその土地の気候風土をはじめ、あまり自分にとっては好ましくない面も「受け入れる」ことが暮らしていくことだとも語る。その言葉にはまた別の実感があって、ずっしりと重い。

「やっぱり、暮らしてみないと、よさも悪さもわからないものです。熊本の夏の暑さは、今でも本当に苦手で、何もする気になれない(笑)。でも、そのなかにも楽しみがあったり、過ごし方の工夫があったり。そういうことが、暮らしの豊かさにつながっていくのだと思います」

Creator Profile

Ai Hosokawa 細川亜衣

●1972年生まれ。大学卒業後にイタリアに渡り、帰国後、東京で料理教室を主宰。2009年から熊本在住。〈taishoji〉にて、料理教室や料理会のほか、工芸やアートなど各分野の展示会を行う。料理だけではなく、文章も写真も自ら手がけた『料理集・定番』など、著書多数。

Web:taishoji

information

camellia taishoji 

Web:camellia taishoji

writer profile

Tami Okano

岡野 民

おかの・たみ●編集者、ライター。北海道生まれ。北海道と東京育ち。建築やインテリア、暮らしまわりのデザインを主に扱う。ライフワークは住宅取材。家と住み手の物語をたどること。酒が飲めない代わりに、世界各国のお茶でひと息つくのが日々の潤い。

photographer profile

Yoshikazu Shiraki

白木 世志一

しらき・よしかず●商業スチルカメラマン。大学で写真を学んだ後、ローカル雑誌の編集を経て、2007年よりフリーランス、現在に至る。熊本県熊本市育ち。https://yoshikazushiraki.com/

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