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雑司が谷の「御会式」にもうひとつのOeshikiが出会う。ツアーパフォーマンス『BEAT』

  • 2019年10月8日
  • コロカル
〈Oeshiki Project〉から見る東京のローカルの未来 vol.3

雑司が谷に江戸時代から伝わる伝統行事「御会式(おえしき)」を軸に展開するアートプロジェクト〈Oeshiki Project〉。その背景やプロセスを、劇作家であり、このプロジェクトのディレクターである石神夏希さんが紹介していきます。

「御会式を見たことがない」からのスタート

「まずは今年の御会式に参加して、全部を見てください。そのうえで、一緒にやれるかどうか、話しましょう」

ちょうど1年前に、御会式を取り仕切っている「御会式連合会」の人から投げかけられた言葉だ。厳しくも聞こえるけれど、門前払いされなくて本当によかった。うれしさと「本当にできるのだろうか」という不安を抱えて、雑司が谷から池袋駅まで歩いた。

〈Oeshiki Project〉のはじまりは、簡単ではなかった。雑司が谷の「御会式」は、そもそもは仏教の行事。宗教行事に、公共的な文化事業が関わること自体に、なかなか理解は得られなかった。慎重になるのも理解できる。

御会式は江戸庶民の祭り。秋の風物詩であり、季語にもなっている。(写真:鈴木竜一朗)

御会式は江戸庶民の祭り。秋の風物詩であり、季語にもなっている。(写真:鈴木竜一朗)

だが御会式は同時に、この地域に受け継がれてきた文化であり、無形民俗文化財としても認められている。その保持者は、地域住民からなる組織・御会式連合会、つまりお寺ではなく、地域に暮らす人々自身だ。

地元21講社からなる御会式連合会のみなさん。(写真:鈴木竜一朗)

地元21講社からなる御会式連合会のみなさん。(写真:鈴木竜一朗)

2018年9月。紆余曲折の末、ようやく連合会の会合に参加させてもらった。すでにお寺の賛同は得ていたが、事前に連合会へ挨拶に行った実行委員会の担当者は、「なぜ協力しなきゃいけないんだ」「御会式への愛が感じられない」と追及されたらしい。

鬼子母神さんに祈ってから臨みましたが、ガチガチに緊張しました……。(写真:鈴木竜一朗)

鬼子母神さんに祈ってから臨みましたが、ガチガチに緊張しました……。(写真:鈴木竜一朗)

この日、私は連合会に初めて参加して、「御会式をテーマとしたパフォーマンス作品をつくりたい。来週には、雑司が谷の近所に引っ越してきます」と伝えた。

雑司が谷の猫も素知らぬ顔。

雑司が谷の猫も素知らぬ顔。

地域の人たちから返ってきたのは、胡散臭いものを見る眼差しと、冒頭の言葉だった。企画が立ち上がってから、10か月が過ぎていた。東アジア文化都市の開幕まで、あと半年。

「農村的かつ都市的」なコミュニティ

私はそれまで一度も、御会式に参加したことがなかった。中学以降は地元の祭りにも参加していなかったので、地域の伝統行事がどのように運営されているのか、わからない。仕組みもしきたりも知らない。

初めて連合会に参加した数日後に「すすき刈り」という地域活動があると知り、まずは参加させてもらうことにした。

雑司が谷の「すすきみみずく」。(写真:鈴木竜一朗)

雑司が谷の「すすきみみずく」。(写真:鈴木竜一朗)

雑司が谷には「すすきみみずく」という郷土玩具がある。江戸時代から伝わる、すすきの穂でつくられたおもちゃで、御会式の日にも売られている。

御会式の日は、鬼子母神堂の境内に屋台が出る。(写真:鈴木竜一朗)

御会式の日は、鬼子母神堂の境内に屋台が出る。(写真:鈴木竜一朗)

だが2010年に最後の職人さんが廃業し、文化が絶えかけた。そこで〈すすきみみずく保存会〉という地域住民の組織が発足し、地元小学校の児童や希望者に、つくり方を教えている。そのために、数万本のすすきが必要なのだ。

少なくともこの1車両、全部がすすき刈りのボランティア。

少なくともこの1車両、全部がすすき刈りのボランティア。

土曜の朝6時30分、集合地点の池袋駅に向かうと、すでに数十名ものボランティアの人々が集まっていた。きっぷと朝食代の500円を渡され、特急レッドアロー号で秩父へ。

秩父のすすき野原に到着。何もせず立っているだけで暑い。

秩父のすすき野原に到着。何もせず立っているだけで暑い。

現地に着くと軍手やハサミも用意されていて、残暑厳しい9月の日差しの下、ひたすらすすきを刈りまくる。「このすすきはだめですよね?」「そのすすきいいね!」といった会話を通じて、だんだんと距離が縮まってくる。お昼にはお弁当が支給され、山の上に集まって食べた。

穂の開き具合や色合いを見て、すすきみみずくに合うすすきを選んで刈っていく。

穂の開き具合や色合いを見て、すすきみみずくに合うすすきを選んで刈っていく。

語弊があるかもしれないが、私はこのすすき刈りが「農村的かつ都市的」な雑司が谷を体現していると思った。

昔の農村では、地域みんなで稲の刈り入れをしたり、屋根の茅葺きをしたという。でも現代の都市には水田もないし、サラリーマンも多い。個人商店があっても、日々の買い物はスーパーかコンビニ。一緒に苦労し、助け合う場面がほとんどない。

すすき刈りの様子。

すすき刈りの様子。

すすきだって、刈らなきゃ食っていけない話じゃない。それなのに平日働いている人たちが週末に、特急で2時間かけてすすきを刈りに行こう! というボランティア活動に、これだけ集まるのがすごい。東京に、こんな地域コミュニティがあったとは。

一方で、特急の席が決まっていて、道具も貸してくれるから、初めてでも参加しやすい。朝食代やお弁当も出る。誰にでも公平に居場所と役割が用意されている点は、さすが人口流出入の激しい池袋と言うべきか。昼間人口と夜間人口の差も大きいので、地域との関わり方もさまざまなのだろう。

すすき刈りが終われば秋。いよいよ御会式も本番。

すすき刈りが終われば秋。いよいよ御会式も本番。

すすきみみずくも大事だけれど、それ以上に、このすすき刈りが重要なんじゃないか、と思った。たぶん、すすき刈りボランティアを含めて「雑司が谷の文化」なのだ。

老若男女が全力で万灯づくり

こうした雑司が谷の地域力は、御会式の万灯づくりでも発揮されていた。

万灯を飾る紙の花づくりでは、婦人会の女性たちのテキパキとした仕事ぶり、明確な役割分担、丁寧な指導に驚いた。初参加者には、ケガ予防で指にバンドエイドまで貼ってくれ、昼食も用意してくれる。

花づくりは、手先の器用なお母さんたちが担う。万灯は花の美しさが命なので、きっちり指導される。

花づくりは、手先の器用なお母さんたちが担う。万灯は花の美しさが命なので、きっちり指導される。

その間、男性たちは保管のための小屋づくり、万灯の組み立てなど、力仕事を担当する。聞けば、同じ中学の先輩後輩だったり、小さいときから一緒に太鼓を叩いていた仲だったりする。

万灯は組み立て式。だいたい御会式の1〜2周間前に組み立てる。

万灯は組み立て式。だいたい御会式の1〜2周間前に組み立てる。

御会式を立ち上げる共同作業が、地域の人たちの体に染み込んでいる。その一方で「1年に1度しかやらないから、ここどうするか忘れちゃった」なんていう場面もあって、ほっこりした。

「地域住民」だって、いろいろ

御会式には「遠征」と呼ばれる、別の地域の御会式に出かける習慣がある。私も「予習」として参加させてもらった。最初は、大田区の池上本門寺。見学のつもりでカメラを提げていったら、法被と太鼓を渡され、叩き方も教えてくれた。

日蓮聖人入滅(逝去)の地である池上本門寺の御会式は、雑司が谷の御会式と並び東京三大御会式のひとつ。

日蓮聖人入滅(逝去)の地である池上本門寺の御会式は、雑司が谷の御会式と並び東京三大御会式のひとつ。

このとき太鼓を教えてくれたのが、雑司が谷でホームレス支援などを行う福祉施設の人たちだった。10年ほど前に「地域にサポートいただいているから」というトップの考えから、20〜30代の職員たちが地域活動に参加するようになったという。

福祉施設職員のみなさん。すすき刈りはもちろん、盆踊りの警備など、あらゆる地域活動で活躍する。

福祉施設職員のみなさん。すすき刈りはもちろん、盆踊りの警備など、あらゆる地域活動で活躍する。

運転や警備など、裏方や力仕事を率先して担うと同時に、人懐こいキャラクターで、地域の人たちから(少々荒っぽいほど)かわいがられている。彼らは、雑司が谷に住んでいるわけじゃない。でも、御会式コミュニティに欠かせない一員になっている。

御会式の縁の下の力持ちとして、欠かせない存在。(写真:鈴木竜一朗)

御会式の縁の下の力持ちとして、欠かせない存在。(写真:鈴木竜一朗)

連合会の中心には、幼稚園から幼馴染とか、地元の中学で一番強かった伝説のワルとか(強面だけどやさしい)がいる一方で、地方出身の人たちも、雑司が谷に住んでいない人もいる。このあたりのごちゃ混ぜ具合が、御会式コミュニティの風通しの良さだと思う。

初めての御会式

2018年10月。装束を揃え、太鼓の叩き方も(なんとか)覚え、御会式の本番を迎えた。お堂ではまだ明るいうちからお坊さんがお経を唱えていたが、木鉦の打ち方もお経を読むスピードも、ものすごく速くて驚いた。

鬼子母神堂本堂。木鉦を激しく打ち鳴らし、超早口でお経を読むお坊さん。(写真:鈴木竜一朗)

鬼子母神堂本堂。木鉦を激しく打ち鳴らし、超早口でお経を読むお坊さん。(写真:鈴木竜一朗)

案内してくれた別のお坊さんが「日蓮宗はお経をたくさん読まなければいけないから、“ビート”がすごく速いんです」と説明してくれたのがおもしろかった。

鬼子母神堂境内も参道も夜店で大賑わい。(写真:鈴木竜一朗)

鬼子母神堂境内も参道も夜店で大賑わい。(写真:鈴木竜一朗)

日暮れとともに、夜店に温かい色が灯っていく。射的や金魚つりに熱中する子どもたち。おいしそうな匂いの煙に目を細める大人たち。いよいよ万灯に光が入ると、真新しい紙花がほんのり桃色に照らし出されて、初々しい。

万灯の紙花は桜。日蓮上人が亡くなったときに季節外れの桜が咲いたという伝説から。(写真:鈴木竜一朗)

万灯の紙花は桜。日蓮上人が亡くなったときに季節外れの桜が咲いたという伝説から。(写真:鈴木竜一朗)

初めての御会式は、激しい太鼓の音にまちも自分も揺さぶられ続けて、夢の中のようだった。バチを握る右手にマメができて血が出ていたのに、終わるまで気がつかなかったほどだ。3日間、目が覚めたときから眠りにつくまで、頭の中で太鼓が鳴り響いていた。

フライパン禁止令、昭和最後の伝説

御会式の間は毎晩、連合会の人たちと地元の居酒屋で、夜更けまで飲んだ。雑司が谷生まれ育ちのTさんに、御会式が楽しいと告げると、うれしそうに「みんながこんなに夢中になっちゃうのは、あの太鼓のせいだと思うんだよ。そんなビートを発明しちゃったんだから、日蓮さんって、すげえよなあ」と笑った。たぶん、つくったのは日蓮さんじゃないと思うけど。

御会式の太鼓の打ち方は、江戸時代の農民や職人といった、市井の人たちの間から自然発生的に生まれてきたようだ。

御会式の太鼓の起源ははっきりしないが、江戸時代、太鼓に合わせて若者が歌い踊る「題目和讃」が流行したらしい。(写真:鈴木竜一朗)

御会式の太鼓の起源ははっきりしないが、江戸時代、太鼓に合わせて若者が歌い踊る「題目和讃」が流行したらしい。(写真:鈴木竜一朗)

天保の改革、明治維新、第二次世界大戦など、御会式が衰退したり途絶えたりしたこともある。だがそのたびに、お寺と地域の人たちが復興してきた。

戦後は物不足で太鼓がなく、代わりにフライパンを叩いていた。そのうちフライパンのほうが流行ってしまい、お寺が「フライパン禁止令」を出す事態に発展したらしい。フライパンの御会式、聞いてみたかった。

御会式の太鼓のリズムは情熱的で明るく、どこかユーモラス。(写真:鈴木竜一朗)

御会式の太鼓のリズムは情熱的で明るく、どこかユーモラス。(写真:鈴木竜一朗)

連合会の人たちが、語り草にしている話がある。戦後の復活以来、休みなく行われてきた御会式だが、昭和天皇がご病気だった昭和63年に「自粛」になったのだそうだ。

鬼子母神堂の団扇太鼓。日蓮宗では読経と共に打ち鳴らす。(写真:鈴木竜一朗)

鬼子母神堂の団扇太鼓。日蓮宗では読経と共に打ち鳴らす。(写真:鈴木竜一朗)

だが我慢できなかった人が、こっそり家の中で太鼓を叩いたところ、ほかの家からも太鼓が聞こえてきた。だんだんと音は広がり、結局みんな集まってきてしまった、という。雑司が谷の御会式を、よく象徴しているエピソードだと思う。

一緒に作品をつくりたい

御会式が終わって約2か月後。連合会の会合で、御会式の太鼓をモチーフに、音楽家と共にまちを巡って体験する『BEAT』というツアーパフォーマンスを提案した。提案は受け入れられ、ツアーの最後に、私たちのパフォーマンスごと、御会式に合流できることになった。

筆者が初めて参加した、平成最後の御会式。(写真:鈴木竜一朗)

筆者が初めて参加した、平成最後の御会式。(写真:鈴木竜一朗)

作家として「どんなことがやりたいのか」を伝えてから、連合会との関係性が変わっていった気がする。以前からみなさん親切だったが、「こいつはいったい、何するつもりなんだ?」という一線があったと思う。そんな距離感が、少しずつ消えていった。

冗談と笑いの絶えない御会式連合会の会合。この日はたまたま法被着用。(写真:鈴木竜一朗)

冗談と笑いの絶えない御会式連合会の会合。この日はたまたま法被着用。(写真:鈴木竜一朗)

もちろん、厳しい意見ももらった。でも協力するからこそ言うんだ、という気持ちが伝わってきて、ありがたかった。最近になって「仲間として、一緒にがんばりましょう」と言ってもらえたときは、素直にうれしかった。

多国籍・多文化の人々と「共に歩く」こと

雑司が谷には、農村的と言いたくなるほど密な地域コミュニティがあって、だけど同時に、よそから来た人間にも開かれている。その御会式もまた、居住地や信仰を問わない。だけど、豊島区の人口の約1割を占める外国籍の人は、あまり参加していないように見える。

もしも外国の人たちが御会式に参加したいと言ったら、どうですか? と尋ねると、連合会のある人は「気が合って、日本語がしゃべれれば、大歓迎だよ」と答えた。言語の壁があると、独特のしきたりや安全面の説明ができない、というのが、その理由だ。

LIFUL HOME’S総研『寛容社会』(2017)。外国人にとって暮らしやすい社会は日本人も暮らしやすい寛容な社会であるという仮説に基づいて日本社会の「寛容度調査」を行った。

LIFUL HOME’S総研『寛容社会』(2017)。外国人にとって暮らしやすい社会は日本人も暮らしやすい寛容な社会であるという仮説に基づいて日本社会の「寛容度調査」を行った。

数年前に、在留外国人に対する日本社会の「寛容度」を測る調査に携わった。そのなかで「日本人が外国人に守ってほしいこと」の第1位は「集団で騒がない」、第3位が「夜遅くに大きな音を出さない」。ちなみに御会式は集団で練り歩き、夜中まで太鼓を打ち鳴らす。

もうひとつ興味深いのは、異国から来た隣人に対して寛容度が低い日本の人たちには「自分が地域社会の一員だと認められている実感が低い」という傾向があったことだ。

雑司が谷のゴミ収集場には、中国語で伝えたかったと思しき看板が。ちなみに前述の調査結果の第2位は「ゴミ出しのルールを守る」。

雑司が谷のゴミ収集場には、中国語で伝えたかったと思しき看板が。ちなみに前述の調査結果の第2位は「ゴミ出しのルールを守る」。

御会式の根幹にあるのは「同悲」の心だという。同じ悲しみを分かち合い、一緒に歩くことだと。だけどいま、私たちが直面しているのは、「隣の人の悲しみがわからない」という悲しみじゃないだろうか。

わかり合えない悲しみを認めながら、それでも一緒に歩くこと。たまたま隣り合った人と、一緒に生きていくこと。「地域」って、そういう意味なのかもしれない。

万灯は「闇夜に明かりを灯すこと」、知恵を持つこと、知ることを意味する。(写真:鈴木竜一朗)

万灯は「闇夜に明かりを灯すこと」、知恵を持つこと、知ることを意味する。(写真:鈴木竜一朗)

音楽ディレクターの清宮陵一さんが、「雑司が谷の人たちに、これまでとは違う太鼓の音を聞かせたいね」と言った。その言葉がすごくしっくり来て、『BEAT』では池袋駅の北西側で、もうひとつのOeshikiを立ち上げることにした。駅を挟んで雑司が谷の反対側、さまざまな国籍を持つ人々が行き交う、対照的なエリアだ。

Oeshiki Projectツアーパフォーマンス『BEAT』は令話元年の御会式当日に上演される。

Oeshiki Projectツアーパフォーマンス『BEAT』は令話元年の御会式当日に上演される。

それは、街角で待ち合わせたパフォーマーと観客の、小さな太鼓のセッションから始まる。パフォーマーは東京で暮らす、数十名のトランスナショナルな(国境を超えて生きる)人たちだ。国籍も言語も、もしかしたら体に染み込んだビートも、さまざまな人たち。

せわしない池袋のまちで、あちこちから太鼓の音が聞こえてくる。パフォーマーと観客はだんだんと集まり、中規模のセッションへと成長する(昭和最後の御会式みたいに)。

『BEAT』は観客も一緒に太鼓を叩いて歩く参加型のパフォーマンス。(写真:鈴木竜一朗)

『BEAT』は観客も一緒に太鼓を叩いて歩く参加型のパフォーマンス。(写真:鈴木竜一朗)

最後には100本以上の太鼓で、全員でひとつの音楽をつくる。御会式とは違う、さまざまな文化や気持ちが入り混じった太鼓のビート。そして池袋のまちなかを行進する。作曲は、世界中の民俗音楽にも造詣の深い、〈LITTLE CREATURES〉の青柳拓次さん。

もうひとつのOeshikiは、最後に雑司が谷の御会式に合流して、一緒に太鼓を打ち鳴らす。そのとき聞こえる音は、たとえ同じリズムでも、いつもの御会式とは違う音になるんじゃないか。少なくとも雑司が谷の人たちは、その音の違いに気がつくはずだ。

「もうひとつのOeshiki」と御会式が、雑司が谷で出会う。(写真:鈴木竜一朗)

「もうひとつのOeshiki」と御会式が、雑司が谷で出会う。(写真:鈴木竜一朗)

それは、未来の御会式の音かもしれない。言葉も文化も(当時にしてみれば外国くらい)違う人たちが集まった、世界一の過密都市・江戸で生まれた頃の、原初の御会式の音かもしれない。

ちょっとロマンチックすぎるだろうか。でも、そんな太鼓の音を聞いてみたい。そして誰よりも、雑司が谷の人たちの耳に届けたいのだ。

information

東アジア文化都市2019豊島〈Oeshiki Project〉 ツアーパフォーマンス『BEAT』

会期:2019年10月16日(水)〜18日(金)18時開演

作:石神夏希、シャオクゥ × ツゥハン

音楽ディレクター:清宮陵一

ドラマトゥルク:安東嵩史

空間資源活用ディレクター:嶋田洋平

作曲:青柳拓次

衣装:矢内原充志

リサーチ・制作:ペピン結構設計ほか

協力:威光山法明寺、御会式連合会ほか

https://www.beat-oeshiki.jp

writer profile

Natsuki Ishigami

石神夏希

いしがみ・なつき●東京都生まれ、神奈川県育ち。劇作家。〈ペピン結構設計〉を中心に活動。近年は国内各地や海外に滞在し、都市やコミュニティを素材とした演劇やアートプロジェクトを手がける。『Sensuous City[官能都市]』(HOME'S総研, 2015)等調査研究、NPO法人〈場所と物語〉代表、遊休不動産を活用したクリエイティブ拠点〈The CAVE〉設立など、空間や都市にまつわるさまざまなプロジェクトに関わっている。「東アジア文化都市2019豊島」舞台芸術部門事業ディレクター。

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