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アーティストが開く地域の可能性。夕張でプロジェクトを行う永岡大輔さんと山口一樹さんの挑戦とは

  • 2019年9月13日
  • コロカル

画像提供:ニュー浴場プロジェクト

そこに住む人々の記憶を掘り起こそうとする試み

わたしの住む岩見沢の美流渡(みると)地区は、もともと炭鉱があった場所だ。炭鉱で働いた人たちが住んでいた炭鉱住宅がいまでも残っているし、活況を呈した当時の様子を知る住民もいる。東京で暮らしていた頃は、炭鉱は過去にあったどこか遠い出来事のように感じていたのだが、ここに住んでいると、まちの個性をつくった重要なものであると、強く実感するようになった。

そんななかで、産炭地として全国に知られる夕張で、独自のプロジェクトを行っているふたりがゲストとなったアーティストトークに参加した。

8月末、アーティスト・イン・レジデンス事業を行う〈さっぽろ天神山アートスタジオ〉で、「アーティストがみた北海道と炭鉱・夕張とはなにか。」をテーマとし、アーティストの永岡大輔さんと、写真家でありキュレーターでもある山口一樹さんが、これまで行ってきた活動について語ってくれた。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

イベントの告知画像。左が永岡大輔さん。右が山口一樹さん。

まず活動を語ったのは山口さんだ。3年半前から夕張に移住し、現在は市の職員として働きつつ、本を出版したりイベントを企画したりなど多彩な活動を展開している。

山口さんが夕張を初めて訪ねたのは6年前。当時、新潟大学の学生だった山口さんは、北海道をめぐるなかで夕張駅で野宿をしようとしたことがあった。そのとき地元の人が「うちにとめてあげるよ」と言ってくれて、初めて炭鉱住宅に泊まり、銭湯につかる体験をした。

「激アツのお風呂に近所のみなさんが順々に入っていって、なんなんだろうこれはと。とてつもないコミュニティの力を感じました」

その後2年間夕張に通い、地域おこし協力隊としてこの地で暮らすこととなった。児童館のない夕張で、子どもの居場所づくりなどの活動を行いつつ、同時並行で歴史を掘り起こす取り組みも続けていった。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは富山県出身。北海道を初めて訪れたのは高校時代。東川町で行われた〈写真甲子園〉というプロジェクトに参加したことがきっかけ。以来、このイベントでボランティアをするようになり、夕張にも足を運んだそう。

山口さんは2冊の本の制作に携わった。1冊は『ヤマを伝える』。元炭鉱マンで画家の宮城七郎さんが描いた、炭鉱の労働と暮らしの絵をはじめ、当時の記憶をたどる写真と解説文で構成されたものだ。

「その時代、その場所を生きた人にしか出せない空気感や感覚、想いがあると感じました。いま夕張には、みんなが共通して大事にできるようなものってそんなにないように感じていたので、共通の財産をつくりたいと思いました」

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

夕張市清水沢地区を中心として地域活動を行う一般社団法人〈清水沢プロジェクト〉が幹事となって運営されている〈夕張の記憶ミュージアム実行委員会〉によって刊行された冊子『ヤマを伝える』。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

当時の状況を知るからこその味わいを感じる宮城さんの絵に、夕張出身の高塚光栄さんが解説文をつけた。また、同じく夕張出身の渡津澄夫さんの写真も載せた。

もう1冊が、今年の3月に刊行した『暮らしと創造』という本だ。夕張に長く住み、手芸や短歌、絵といったものづくりを楽しんできた6名にスポットをあて、その作品やポートレートを収録したもの。

「夕張に来たときから、財政破たんをしたまちで暮らす人たちの豊かさとはいったいなんだろうと考えてきました。ひとりひとりをフィーチャーしていくと、自分の目の前で大事にしてつくったものの延長線上にこのまちがある。そんなことを実感して、そこから本が生まれていきました」

このほか山口さんは、9月に地域で戦争体験をした人に話を聞いて、その記憶と手記を紹介するような展覧会も企画していた。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

A4サイズ、オールカラー、168ページ。写真家でもある山口さんが、夕張に住む人々を独自の視点で切り取った写真集。清水沢プロジェクトのホームページで購入可能。

アーティスト・イン・レジデンスで夕張に滞在

山口さんとはまた違うスタンスで、夕張に関わっているのが永岡さんだ。永岡さんは、7年前に東京都と夕張市の自治体連携のモデル事業として行われた「アーティスト・イン・夕張」というプログラムで、約1か月間の滞在制作を行った。このとき永岡さんは、朗読体験を通じて人々をつなげる〈Re-constellation〉というプロジェクトを各地で行っており、夕張でも住民に取材をして、そこから制作の糸口をつかんでいこうとした。

永岡さん(中央)の夕張の第一印象は、出身地の山形の風景に近いということだった。いわゆる北海道の広大な田畑があるイメージとは異なり、夕張は山が多い地域だった。

永岡さん(中央)の夕張の第一印象は、出身地の山形の風景に近いということだった。いわゆる北海道の広大な田畑があるイメージとは異なり、夕張は山が多い地域だった。

「あなたの読んだ本について記憶に残っていることがあれば教えてくださいと、たくさんの人に呼びかけをしました。しかし、ちょうどお盆の時期で、誰も協力してくれませんでした。親戚が夏に帰ってきてくれる、その準備で大忙しだと。断られてばかりで激しくヘコみましたが、夕張の人たちは、こうやって誰かを待っている、離れて暮らす家族をずっと待っているんだということに心を揺さぶられました」

このとき永岡さんを含め4名のアーティストが夕張に滞在した。永岡さんらは、最初の滞在の発表を、翌年の冬に開催された〈ゆうばり国際ファンタスティック映画祭〉で行った。

しかし、作品制作を応援してくれた清水沢の人たちは高齢者も多く、映画祭までわざわざ足を運ぶことが難しいという事情を知り、地元の共同浴場で、滞在制作を行ったアーティストらの映像作品を上映する小さな映像祭も、同時期に開くことにしたという。

清水沢にある宮前浴場が映画祭の会場となった。「清水沢宮前町映像祭」と名づけた。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

清水沢にある宮前浴場が映像祭の会場となった。「清水沢宮前町映像祭」と名づけた。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

脱衣所に映像作品を設置。2013年に開催した。(写真提供:ニュー浴場プロジェクト)

脱衣所に映像作品を設置。2013年に開催した。(写真提供:ニュー浴場プロジェクト)

2年目の夏の滞在で永岡さんは、朗読プロジェクトをさらに発展させ、小屋をつくって、そこで住民が朗読体験を語るという空間の制作も行った。つくった空間は、無限大の記号の形をしたテント小屋。木枠の骨組みに、住民の古着をつなぎ合わせた布をかけた。また内部には住民から集めた本を設置した。

作品制作の核心に潜むものを浮かび上がらせたのは、最初の滞在で近所のおばあさんが語ったひと言だった。

「『あんたたち、昨日飲んですごくさわいでいたでしょう?』と言われて、これは怒られるなと思ったんですが、おばあさんは『すごくうれしかった』と語ってくれました」

制作の拠点だった場所は、ふだんはひと気がなく、そこに毎日のように電気がついて、誰かが出入りし、にぎやかな様子をずっと見ていた近隣のおばあさんは、感謝の気持ちを永岡さんに語ってくれたのだった。

建てられたテント小屋は「カンテリヒト」と名づけられた。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

建てられたテント小屋は「カンテリヒト」と名づけられた。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

住民に協力してもらい朗読のパーティを開催した。カンテリヒトパーティ 2013年8月8日(木)清水沢宮前町連絡所跡(画像提供:Tokyo Arts and Space)

住民に協力してもらい朗読のパーティを開催した。カンテリヒトパーティ 2013年8月8日(木)清水沢宮前町連絡所跡(画像提供:Tokyo Arts and Space)

「国のエネルギー政策が石炭から石油に変わるという出来事があり、その渦中に夕張があった。夕張とエネルギーは切っても切り離せないと滞在しているあいだ、ずっと考えていました。僕は、生活に欠かせない便利なもの、経済的な価値としてエネルギーを考えていたんだけど、電気がつくことによって人の気持ちが明るくなるような、人間的なエネルギーというのもあるんだなと、このとき教えてもらいました」

テント小屋を無限大の記号の形にしたのは、エネルギーの問題は、人間が火を発見したときからずっと考え続けなければならないものと感じていたから、と永岡さん。「そこに人間の気持ちや心みたいなものが一緒に並走していけばいいな」という想いも込めていたのだそうだ。

こうした滞在を続けるうちに、永岡さんは「心を残して東京に帰っているところがあって、ことあるごとに夕張に戻りたい」と思うようになっていったそう。

「アーティスト・イン・夕張」で制作を行ったもうひとりのアーティスト、松本力さんも同じ気持ちを持っていた。ふたりは夕張でチームとして活動をすることもあり、2年間の滞在プログラムが終了したあとも夕張との関係を続けていった。

そして、ふたりは公的助成を受けなくてもいつでも戻れるように、寝泊まりできる場所をつくろうと、2016年に〈ニュー浴場プロジェクト〉をスタートさせた。

一般社団法人〈らぷらす〉の「ゆうばり共生型ファーム(旧夕張小学校)」の2階の元図画工作教室で〈ニュー浴場プロジェクト〉を行うことにした。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

一般社団法人〈らぷらす〉の「ゆうばり共生型ファーム(旧夕張小学校)」の2階の元図画工作教室で〈ニュー浴場プロジェクト〉を行うことにした。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

共同浴場が夕張のコミュニケーションの場として非常に重要な役割を担っていると実感したふたりは、浴場があり、人が泊まれて、滞在制作もできる場をつくろうと考えたのだった。

このプロジェクトは7か月間行われ、いったん休止していたが、今年また再始動することとなった。今回のトークイベントのあと、永岡さんは夕張に向かい、松本さんと合流して、このプロジェクトを今後いかに進めていくのかについて、地元の方たちと話をする場を計画中だと語ってくれた。

ニュー浴場プロジェクトの永岡大輔さんによるイメージ画。

ニュー浴場プロジェクトの永岡大輔さんによるイメージ画。

閉山によって過疎化するまちが秘める可能性

山口さん、永岡さんの話は、いま美流渡地区で地域プロジェクトを行っているわたしにとって、どちらも共感できるものだった。

山口さんのように、地域に暮らす人々の歴史を掘り起こし、記録に残していくというのは、とても重要なことだ。過疎化とともにわたしたちの住む地区でも、これまで培われてきたものが急激になくなっていく様子を日々目の当たりにしている。炭鉱の歴史を物語る建物であったり、地域の祭りであったり。

ちょうど地域の仲間で、明治から昭和時代の写真を集めようとする動きを始めたところでもあり、歴史と人々の思い出を残す手だてについて、大いに参考になった。

また、永岡さんのようにアーティストが継続的に地域に関わっていくことで、財政破たんをした夕張というイメージとは別の輝きがそこにあることが、明らかになっていくような気持ちがした。永岡さんはトークの最後に「夕張は可能性に満ちている」と語ってくれたのだった。

「僕は主要な産業がないということが、逆に可能性に満ちていると思っているんです。つまり内側に住む人間は内側で“探さないといけない”。通常の生き方であれば、就職するための情報誌から働き口を得たりするのかもしれませんが、それはすでにあるものの中から選び取っていくという、単なる選択でしかありません。

ここでは自分から積極的に生き方をつくっていかないといけない。とてもクリエイティブに生きなければならないということで、僕は新しい可能性があると思っています」

「おもちゃやゆうばりプロジェクト」と題し、夕張で飛行機好きの少年と原寸大のゼロ戦を制作しようとした松本力さん。2019年9月5日、3年ぶりに夕張を訪ね、永岡さんとともに「ニュー浴場プロジェクト さよなら“これはゼロ戦ではない”」というイベントを行った。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

「おもちゃやゆうばりプロジェクト」と題し、夕張で飛行機好きの少年と原寸大のゼロ戦を制作しようとした松本力さん。2019年9月5日、3年ぶりに夕張を訪ね、永岡さんとともに「ニュー浴場プロジェクト さよなら“これはゼロ戦ではない”」というイベントを行った。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

永岡さんは、ニュー浴場プロジェクトとともに、自分の作品制作も夕張で始動させようとしているという。暮らしを根幹からクリエイティブにつくっていかなければならない場だからこそ、自分の作品制作も成り立つのではないかと考えているのだそうだ。

そして、わたしがもっとも印象的だったのは、山口さんと永岡さんは、夕張を単なる暮らす場所であったり、滞在制作する場所として捉えていないことだった。

山口さんは「夕張とそこに住む人たちを愛してしまった」と語り、永岡さんは「まるで自分のふるさとであり、帰る場所」と語っていて、ふたりにとって住みやすさという尺度とは違う“気持ち”が動かされる場所なのだろう。

美流渡から夕張は道道38号線でつながっていて、わずか30分の距離。夕張の炭鉱労働者たちが、休日に美流渡の温泉につかりにきていたという話もある。地理的に近いこともあり、今回の話は美流渡地区での活動を客観的に捉えるよい機会にもつながった。

炭鉱とは「負の遺産」とも呼ばれ、過疎化が進むまちにポジティブなイメージはないのかもしれないが、山口さんや永岡さんのように愛情をもった眼差しで土地に入り込んでいくことで、きっと新しい魅力が掘り起こされるのだろうと思った。

今後も夕張で起こるプロジェクトを応援しながら、わたしたちの地区についても考えていきたい。

9月5日のイベントでは、ゼロ戦を燃やして空に返し、プロジェクトの再始動を決意。松本さんと一緒にゼロ戦を制作した子どもたちは、すでに高校3年。それぞれの旅立ちのときを迎えていた。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

9月5日のイベントでは、ゼロ戦を燃やして空に返し、プロジェクトの再始動を決意。松本さんと一緒にゼロ戦を制作した子どもたちは、すでに高校3年。それぞれの旅立ちのときを迎えていた。(画像提供:ニュー浴場プロジェクト)

writer profile

Michiko Kurushima

來嶋路子

くるしま・みちこ●東京都出身。1994年に美術出版社で働き始め、2001年『みづゑ』の新装刊立ち上げに携わり、編集長となる。2008年『美術手帖』副編集長。2011年に暮らしの拠点を北海道に移す。以後、書籍の編集長として美術出版社に籍をおきつつ在宅勤務というかたちで仕事を続ける。2015年にフリーランスとなり、アートやデザインの本づくりを行う〈ミチクル編集工房〉をつくる。現在、東京と北海道を行き来しながら編集の仕事をしつつ、エコビレッジをつくるという目標に向かって奔走中。ときどき畑仕事も。http://michikuru.com/

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