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建築×デザイン 宮本圭さんと太田伸幸さんに聞く〈KANEMATSU〉と歩んだ10年の軌跡

  • 2019年2月8日
  • コロカル
PEOPLE GET READY TO NAGANO vol.2

本州のほぼ中央に位置する長野市は、東京から電車で約1.5時間。車窓の風景は木々の彩りへと移り変わる。このまちの魅力は、そんな自然と隣り合わせの風土や食と美。だけど、そればかりじゃない。

善光寺の門前町として、四方から訪れる旅人を迎え入れ、疲れを癒してきた歴史がある。

いつの時代も、旅立つ人、旅の途中にいる人、そして彼らを受け入れる人たちが交差する長野市は、次なる旅路をつなぐプラットホームだ。

そんな長野市で、自分の想いを込めた「場」を営み、この土地ならではのカルチャーを培う人たちがいる。彼らと交わす言葉から、これからの「ACT LOCAL」を考える。

建築家・宮本圭さん×デザイナー・太田伸幸さんの視点

2010年前後からいまに至るまでに、長野市善光寺門前界隈では、100軒を超える空き家が新たなあかりを灯すようになった。

「そのはじまりは?」「なぜ?」「何がどうして?」という疑問に、「なるほど!」と膝を打つ明快な答えがほしいところではあるが、実にさまざまな要素が入り組んでいて、本当のところ、よくわからない。

ただ、連載の第1弾で紹介した写真家の清水隆史さんらが、1990年頃から、長野市のカルチャーを記録したり、音楽や演劇などを通じて、数多の表現が交差する場を営んだりと、草の根的に活動を続けてきた〈ネオンホール〉や〈ナノグラフィカ〉の影響は大きい。

しかし、これまでの長野を紐解くうえで、2010年頃からいまに至るまでに、あるひとつの場所がきっかけで、個性豊かな場がたくさん生まれていったことを、記録せずにはいられない。

2009年11月に開かれた〈KANEMATSU〉だ。

元紙問屋・ビニール工場「カネマツ」

約40年以上の間、シャッターを閉ざしたまま、使われなくなっていた元紙問屋・ビニール工場「カネマツ」。

建築家やデザイナー、編集者などからなる7人組のユニット〈ボンクラ〉が、50平米ほどの鉄骨の倉庫をセルフリノベーションし、建築設計事務所やデザインオフィス、編集室やフリースペースなどがひとつになった〈KANEMATSU〉としてオープンさせた場。

〈KANEMATSU〉の共有スペース

〈KANEMATSU〉の共有スペース。東西に広がるこの場所では、数々のイベントや企画展などが開かれてきた。

本業と並行してイベントや地域活動を始め、この場を開いたことで、それまで清水隆史さんらが続けてきた「活動」に加えて、建築やデザインのアプローチから、新たなプロジェクトや事業が立ち上がった。

さらには、不動産仲介のしくみが生まれ、空き家リノベーションの動きを加速化させたのである。

KANEMATSUを始動させた7人

KANEMATSUを始動させた7人。右から、羽鳥栄子さん(アトリエハトリ一級建築士事務所・代表)、山口美緒さん(編集室いとぐち代表)、一級建築士・山岸映司さん、太田伸幸さん、宮本圭さん、古後理栄さん(株式会社CREEKS代表)、広瀬毅さん(広瀬毅 建築設計室代表)。(写真提供:ボンクラ)

KANEMATSUという表現は、新たな営みを生む前例のひとつとなり、いくつもの場と人をつなげ、このまちに個性が灯るきっかけとなった。

しかし、はじまりは、すべて偶然だった。

連載第2弾となる今回は、KANEMATSUの狼煙を上げた建築家・宮本圭さんと、デザイナー・太田伸幸さんの出会いや、これまでの活動を振り返るインタビューを紹介。ふたりの視点から、2010年代の長野を紐解き、「ACT LOCAL」のヒントを探る。

門前界隈の灯火を大きくした〈KANEMATSU〉のプロジェクト

建築家・宮本圭さんとデザイナー・太田伸幸さん

自身のデザイン事務所に来た宮本圭さんに会うなり、太田伸幸さんはこんな会話を始める。

「いまちょうど、ある空間のサインデザインを手がけていて、提案するために、いろんな建築の考え方を勉強してるんですよ」

すると宮本さんは、隣にある自身の設計事務所に戻って、数冊の本を片手に帰ってくる。

「これと、これはね、僕が建築を考えるうえで、かなり参考にしていて。デザインの考え方にも、通じるところがある気がしますよ。よかったら読んでみて」

穏やかに、そんなやりとりをするふたりは、2009年にKANEMATSUを立ち上げた発起人だ。

当時を振り返り、デザイン事務所〈KICHI_inc.〉代表の太田さんはこう話す。

太田伸幸さん

「KANEMATSUを始める前って、こんな風に異業種の人と情報交換をしたり、チームとして何かを一緒に築いたりしてみたいなって、ぼんやり思っていたんですよ。仕事って、ひとりでやってるとだんだん視野が狭くなってしまうこともあるから、自分の意図とは反して、偶発的に、自分の世界にはない知識や視点に触れる機会が必要だと思っていたんです。そういう時間をKANEMATSUで過ごせたことは、貴重でしたね」

こう話す太田さんに、KANEMATSUの始動を持ちかけた〈シーンデザイン建築設計事務所〉代表の宮本さんは、始めた当時を振り返る。

宮本圭さん

「僕の場合、2006年に建築設計事務所を立ち上げて、自宅で建築設計をやっていたんです。誰にも会わないのに、スーツを着て1日家にいる。しばらくそんな生活で。でも、だんだん誰かに会いたいと思うようになってきちゃって(笑)。だから、長野の中心市街地に事務所を開けたらと思って、物件を探していたんです。

そんなときに、中心市街地の物件情報をよく知る、経験豊富な〈平和土地建物株式会社〉の萩野大也さんに、カネマツを紹介されました。最初は、これは大きすぎて、自分ひとりじゃ手に負えないなあと思っていました。だけど、その数か月前に、太田さんとたまたま出会っていて、一緒にこの場所を使って活動を始めてみない? と持ちかけたら盛り上がって、“ふたりならなんとか、始められるかも”と思ったんです。

そしてまたその数日後に、初期メンバーとなる7人が偶然に集まる呑み会があって、意気投合。KANEMATSUがスタートしました。どこで誰と会って何が起きるかって、本当にわからないものですね(笑)」

KANEMATSUスタート前の様子

KANEMATSUスタート前の様子。使われなくなっていた古い建物を磨くことで、新たな何かが始まっていく。(写真提供:ボンクラ)

引き継がれてきたカネマツの記憶×画期的なしくみ

長野市中心市街地に、設計事務所を持ちたいと考えていた宮本さん。異業種との関わりを求めていた太田さん。ふたりの目的も、世代やステージも、全部が全部同じではなかったが、そこにはあるひとつの共通する想いがあった。それは、善光寺門前界隈への親しみ。

宮本さんは言う。

「小さい頃から、駄菓子屋やスポーツ用品店に来たり、お祭りで遊びに来たりしていたから、このまちに親しみがあるんです。なんとなく憧れていたというかね。このまちなら、まるで使われなくなっていたカネマツも、ちょっと磨けば、何かが起きるんじゃないかなと思っていたんです。

たくさんのお金をかけて、建築的にいろんな手を加えることをしなくても、この建物の佇まいと歴史を引き継いで、あかりを灯しただけで、人が集まり、新しい生業が生まれるんじゃないかなと思えたんです」

2009年からKANEMATSUの活動や事業が始まったことで、長野市善光寺門前界隈には、建築とデザインの視点が加わった。特に、ボンクラならではのカネマツの引き継ぎ方は、その後の建築リノベーションに、大きな影響を与える画期的なしくみだったと言える。

KANEMATSUでのイベントの様子

まちに対する建物の役割を引き継ぐために、季節行事やお祭りに参加することもKANEMATSUの契約に組み入れた。(写真提供:ボンクラ)

「大家さんが修繕やインフラの整備をすることが通例とされている賃貸契約ですが、カネマツの場合は、僕たちが負担することにしました。その代わり家賃を抑えてもらい、修繕や運営、テナント誘致などを僕たちが手がけることで、この建物自体の体力をつけていくことにしたんです。建物の使い道を方向づけて、人に使ってもらえるように声をかけて、自由に修繕できるようにしたかったので。

それが実現できたら、建物全体の家賃も引き上げてもらっていいという足かせを設けて、この建物自体が維持できる運営体制をつくることを、積極的に自分たちに課したんです」

改修の様子

こう話す宮本さんに続けて、太田さんも。

「開いて、知ってもらって、無理なく維持していくしくみをつくったんです。でも、それなりにきれいに掃除して、電気をつけただけ(笑)。あとは、いろんな人に出会いたかったから、毎日さまざまなアイデアを出して、実行して、イベントやプロジェクトを立ち上げていました。

そうすると、だんだんいろんな人が足を運んでくれるようになったり、“この建物の鉄骨、おれがつくったんだぜ”と、うれしそうに昔の思い出を話してくれる地元の人が現れたりもして。建物にはそういう記憶や思い出があるから、カネマツという場の名前も佇まいも変えずに、上書きすることなく、引き継いでいくことにしてよかったですね」

平成の御柱行列図大絵馬プロジェクト

2011年に〈KANEMATSU〉で企画した「平成の御柱行列図大絵馬プロジェクト」報告会の様子。近くにある武井神社で24年に一度執り行われる、御柱祭の様子を描いた絵馬が、歴代にわたり奉納されてきたが、近年は制作が途絶えていた。そのため、宮本さんらの声がけで現代版の絵馬づくりがスタート。アーティストが〈KANEMATSU〉で制作を続け、その過程を一般の人にも公開した。(写真提供:ボンクラ)

2009年KANEMATSUから、2014年〈SHINKOJI〉へ。建築リノベーションの動きを俯瞰しながら

KANEMATSU

こうして、カネマツをKANEMATSUとして開いたことで、カフェや建築設計事務所、編集室や古本屋など、個性豊かな営みが育まれるようになった。

そんななかでも、2010年に、不動産仲介業を営む〈株式会社 マイルーム〉代表の倉石智典さんが登場したことは、空き家リノベーションの動きを加速させる。

宮本さんや太田さんの活動を知った倉石さんが、KANEMATSUにオフィスを構え、遊休不動産を中心とした不動産仲介業をスタートさせた。

均一の賃貸条件を提示しづらい遊休不動産を独自に調査し、それぞれの建物の佇まいを生かした仲介を手がけたことで、多様な価値観を持つ人たちが、それぞれの個性をかたちにした場を開くきっかけが生まれたのである。

こうした活動の広がりを振り返り、太田さんは言う。

太田伸幸さん

「善光寺門前界隈の変化に、倉石さんの事業がもたらしたものは大きかったと思いますね。倉石さんが自転車でまちを回って、どこからともなく空き家を発見して、仲介して、という流れがきちんとしくみ化されて、お店や暮らしを始めたい人たちの入口になっていきましたからね」

そして、それまでは編集室・喫茶〈ナノグラフィカ〉が中心となって企画していた「空き家探検ワークショップ」が、〈門前空き家見学会〉として、正式に不動産の仲介をできる態勢が整い、遊休不動産を改修した新たなスペースや店舗が、まちにあかりを灯すようになる。

こうした経緯を振り返り、建築的な視点から宮本さんはこう話す。

宮本圭さん

「条件が多様で複雑な遊休不動産を仲介するという時間と労力のかかる大変なことをやってきて、倉石さんは大きな成果を生みましたよね。それに、彼の事業とナノグラフィカが進めてきた活動が偶然に重なったことも、まちの変化の起点になったのではないでしょうか。一度あかりが消えた建物に再びあかりが灯るようになり、このまちは魅力的なまち並みになっていきましたからね」

そんななかで、倉石さんが突然、元文具卸倉庫の一部を買い取ったことで、宮本さんと太田さんも、新たなプロジェクトを始動させることになる。

2014年に誕生したリノベーション・プロジェクト〈SHINKOJI〉だ。

SHINKOJI

善光寺中央通りから東に入る小路にある4棟の建物をリノベーションするプロジェクト。イラストレーターやフローリスト、帽子作家のアトリエ、そして、宮本さんと太田さんと倉石さんの事務所なども開いた新たな場。北側の建物は、シェアハウス、シェアオフィス、フリースペースや食堂、ケータリングを手がける会社のキッチンなどを備えている。

こうしたさまざまな生業が生まれたことで、長野市善光寺門前界隈には、地域振興の視察やメディアの注目も増え、リノベーションを切り口に脚光を浴び始めた。

まちのトーンを汲みながら、引き継がれていく建物の記憶

さまざまな営みがひとつの場に集まったKANEMATSUとSHINKOJI。そこから、火種が新たな個性に火をつけて、まちの至るところに、さまざまなあかりが灯るようになった。

建築的な知見、デザイン的な視点、不動産仲介というしくみは、このまちに多様な生業を生むきっかけとして、重要な役割を持っていたと言える。

一方で、リノベーションという切り口だけで取り上げられることに、宮本さんは違和感も感じていたと言う。

宮本圭さん

「時代性のなかで、地域活性化や古民家再生ということが注目されていましたが、このまちのおもしろさは、そういった、課題解決に向かって一致団結するみたいなことではない何かがあったからだと思っていて。もしも課題解決が先行していたら、トップダウンの組織や、ひとつのゴールみたいなものが自ずと生まれていたかもしれないですよね。

そうではなくて、このまちをなんかいいなあと思う人がいたり、まちの中で交わした言葉や誰かとの出会いで、このまちを好きになって、営みをはじめる人がいたり、いろんな人が心地よくいられることを享受し合うみたいなトーンが、このまちにあったように思います」

引き継がれてきたこのまちのトーンを汲みながら、空き家にあかりを灯す人がいれば、あかりに魅力を感じて営みを始める人もいる。また、その営みに心地よさを感じて、訪れる人たちもいる。

そんな風に、このまちのトーンをどこかに残しながら、場所ごと、人ごとに、いろんな思い出が生まれてきたのは、古い建物やまち並みの佇まいが大切に引き継がれてきたからなのでは、と太田さんは言う。

「もしも、新しい建物ばかりで現代的になりすぎたり、文化財ばかりで重厚になりすぎたりしていたら、それはそれで違ったまちの変化を生んでいたと思うんです。でも、ここ十数年の門前界隈のまち並みの変化は、土地に馴染みながら、古い建物が引き継がれて、新しい場が生まれてきましたよね。

そんな過程の根本には、古い建物の外壁をツルツルに上塗りしたら、“あれ? なんか違うね?”と感じるトーンみたいなものが、このまちの人たちの意識の中に、あり続けたからだと思うんです。そういう意識を保ちながら、建物の個性を引き継いできたことが、まちの魅力になっていったのだと思います。

そういう点で考えてみると、KANEMATSUの“佇まいを残しつつ、しくみを生む塩梅”が、ひとつの事例としてよかったのかもしれないなあと思っていて。僕らが若かったから多くの資本を投入できなかっただけでもあるけど、カネマツのトーンを残しつつ、僕らがいたことそれだけで、新しいしくみや人との出合いが生まれていくんだなと思いましたね。

ただこれからは、自分自身が年齢を重ねて、デザインというものにより高い意識を向けるようになってきたから、もっと洗練したアプローチで何かができるといいなあと思っています。ここからは、それぞれの人がそれぞれの場所で個性を伸ばしていくことで、もっとおもしろいまちになっていくのかなと思います」

宮本圭さん

最後に宮本さんが、KANEMATSUやSHINKOJIを経てきた約十年を振り返り、こう語る。

「一度消えたあかりに火を灯すだけで、いろんなことが起きるんだなと思いました。使われなくなった古い建物に、もう一度役割を与えるということは、“その建物がまちと共有してきた時間を肯定すること”なんじゃないかなと思うようになりましたね。

更地にして、何かを“なかったこと”にしてゼロから始めるまちづくりというのも、時には必要なのかもしれませんが、“いろんなものを背負い込んで、なお、前向きなまち”に、魅力を感じます。」

建築家・宮本圭さんとデザイナー・太田伸幸さん

ローカルを築いていくのは、そのまちの記憶を引き継ぎながら、新たな表現をしていくことなのかもしれない。

その表現は、何かを真似したようなものではなく、自分自身がそのまちのトーンをどう感じるかによって変わってくるのだろう。

きっと、あなたがこのまちを訪れて交わす言葉や、まち並みにフォーカスして映し出した1枚の写真も、いつか誰かに引き継がれていく記憶になるのではないだろうか。

information

KANEMATSU 

住所:長野県長野市長野東町 207-1

Web:http://bonnecura.naganoblog.jp/

information

SHINKOJIプロジェクト 東町ベース

住所:長野県長野市東町146-3 東町ベース

information

株式会社シーンデザイン建築設計事務所 

住所:長野県長野市東町146-3 東町ベース2F

Web:http://scenedesign.jp/

information

KICHI,inc. 

住所:長野県長野市東町146-3 東町ベース2F

Web:http://kichi-inc.com/

profile

KEI MIYAMOTO 宮本圭

一級建築士、〈株式会社シーンデザイン建築設計事務所〉代表取締役。1970年長野市出身。工学院大学・工学部建築学科を卒業後、同大学院工学研究科建築学修了を経て、〈宮本忠長建築設計事務所〉入社。2006年に独立。

profile

NOBUYUKI OTA 太田伸幸

アートディレクター、グラフィックデザイナー、〈KICHI_inc.〉代表取締役。1981年上田市旧丸子町出身。美容師アシスタント、建築業、デザインプロダクションを経て、2008年に個人事務所〈manz-design〉を設立。2014年にKICHI_inc.を設立。長野ADC会員。

writer profile

Takashi Kobayashi

小林隆史

こばやし・たかし●編集・執筆・企画〈general.PR〉代表。1989年長野県生まれ。信州大学教育学部卒業後、中学校教諭を経て渡米。帰国後にアパレルスタッフを務めた後、general.PRをスタート。長野、東京、山梨を拠点に、伝える仕事に携わる。2011〜2017年は旧金物店を改修した居住空間〈シンカイ〉に暮らしながら、さまざまな企画を行う。

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