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麺づくりと家具づくり。まったく違う“二足のわらじ”で家業を継いだ3代目

  • 2019年1月15日
  • コロカル
鎌倉から考えるローカルの未来

年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

〈邦栄堂製麺〉は鎌倉・大町エリアの外れにある。鎌倉駅からは徒歩20分程度、車を数分走らせれば、すぐに隣の逗子市に入る場所だ。

〈邦栄堂製麺〉は鎌倉・大町エリアの外れにある。鎌倉駅からは徒歩20分程度、車を数分走らせれば、すぐに隣の逗子市に入る場所だ。

二足のわらじで家業を営むクラフトマン

歴史ある鎌倉のまちには、昔ながらのスタイルで商いを営む家族経営の飲食店や老舗の商店などが点在している。しかし、時代とともに人々のライフスタイルが変化するなか、商売を変わらずに維持していくことは簡単ではないだろうし、地域に愛されながらも後継者に恵まれず、閉店や廃業に追い込まれてしまうケースも少なくない。

当たり前のようにそこにあった風景や、ひいきのお店がまちから消えてしまうことは住民にとっては寂しい限りだが、代々続いてきた商売や技術を次代につないでいくことが周囲から求められる老舗店の跡取りたちの立場になってみると、そこにはさまざまな葛藤や重圧があることは想像に難くない。

邦栄堂製麺の3代目・関 康さん。取材で訪れたときは、餃子の皮をつくっている最中だった。

邦栄堂製麺の3代目・関 康さん。取材で訪れたときは、餃子の皮をつくっている最中だった。

事業承継か? 廃業か? 代々事業を営んできた家にとって、必ず直面するであろうこの問いに対して、ユニークなかたちで答えを出しているのが、住宅地と商店街、寺社仏閣などが共存する鎌倉・大町エリアで、1953年に創業した〈邦栄堂製麺〉の3代目・関 康さんだ。

2011年に代表となり、正式に家業を継いだ関さんは、40年前の機械と昔ながらの製法で、地域の飲食店や住民に愛用される麺づくりに取り組む傍ら、学生時代に始めた家具づくりをいまも続け、“二足のわらじ”スタイルで製麺所を切り盛りしている。

変わらないことが求められる製麺と、つくり手の個性が問われる家具づくり。伝統と革新。匿名性と作家性。ライフワークと“ライス”ワーク。相反するさまざまな要素を持つふたつの仕事を行き来しながら、自然体でものづくりと向かい合うクラフトマンのもとを訪ねた。

製麺所の長男として生まれて

1953年に創業した製麺所の長男として、1978年に鎌倉で生まれた関 康さん。物心がついた頃、製麺所を切り盛りしていたのは、創業者の跡を継いだお父さんと、まだ現役バリバリだったおばあちゃん。当時の邦栄堂製麺には、日本が経済成長期の只中にあった時代ならではの活気があふれていたことを、子どもながらに感じていたと関さんは振り返る。

「当時は人口も増え続けていたし、黙っていても麺が売れるような時代だったと思うんです。いまとは違って住み込みで働いていた人たちもいたし、きっとお店に勢いがあったんだろうなと。ただ、僕自身は大晦日の年越しそばのときくらいしか手伝うことはなかったですし、親からも跡を継いでほしいとは一切言われていませんでした」

大学では文系の学部に入った関さんだが、もともとインテリアや家具が好きだったことから独学で家具づくりを習得し、〈OFF CRAFT WORKS〉という名義で照明やスツール、チェアなどを製作するようになる。卒業後も作家活動を続けながら、家業を手伝うようになった関さんは、30代半ばに差しかかった頃に邦栄堂製麺の代表となり、家業を継ぐことになった。

製麺所が稼働し始めるのは早朝6時頃。8時半頃までに麺づくりを終えて配達に向かい、工場に戻ってきてから餃子の皮づくりを始める。

製麺所が稼働し始めるのは早朝6時頃。8時半頃までに麺づくりを終えて配達に向かい、工場に戻ってきてから餃子の皮づくりを始める。

「ゆくゆくは僕が跡を継ぐということが決まっていたわけではないんです。親からは、ラーメン屋などで自家製麺がはやっているなか、決して先行きが明るい商売とは言えない製麺よりも、ほかにやりたいことがあればそちらをすればいいと言われていました。

年に3、4回東京で家具の展示会をしていた時期もあり、これだけで食べていこうと考えたこともあったのですが、並行して家の仕事も手伝えていたし、製麺も悪い仕事ではないと感じていたので、両方を続けていくことにしたんです」

製麺所の2階が家具制作のためのアトリエになっている。製麺所が休みの日や、仕事を終えたあとの時間を制作にあてることが多いという。

製麺所の2階が家具制作のためのアトリエになっている。製麺所が休みの日や、仕事を終えたあとの時間を制作にあてることが多いという。

「継ぐ」のではなく「続ける」という感覚

関さんの同級生の中には、家族経営の老舗店や代々続く家業を持つ家庭に生まれ、後継者として期待されていた友人も少なくなかったそうだが、その多くが跡を継ぐことに対してネガティブな考えを持っていたという。しかし、関さんはごく自然に、目の前にある仕事を続けていくという道を選んだ。

「3代続いてきたものをなにもやめる必要はないと思ったんです。名義上は僕が代表になってからも、しばらくは父親がメインで製麺所を回していて、僕は一従業員のような立ち位置だったし、跡を継ぐということにあまり自覚がなく、それまでやっていた家具づくりと製麺をそのまま続けているという感覚なんです」

その後、お父さんが体調を崩し、数か月職場に出られなくなったことをきっかけに、名実ともに関さんが製麺所を切り盛りするようになり、本人曰く「なし崩し的」に事業承継が行われることになったという。

対照的なふたつのものづくり

関さん自ら「完全なルーティーンワーク」と語る麺づくりは、基本的には一点物として制作される家具とは対極にあるものづくりだと言える。関さん自身、あまりにも異なる製麺の世界に当初は驚くことも多かったようだ。

「家具づくりと同じようなスタンスで、昨日より良いもの、おいしいものをつくろうと意気込んでいた時期もあったのですが、それはまったく求められていなくて、毎日変わらないものを提供することこそが大切なんですね。特に卸だけをしていた頃というのは、何か新しいことでもしようものなら、ラーメン屋のおやじさんから『昨日と違うじゃねーか!』と怒られるような世界でした(笑)」

麺づくりの基本的な工程は創業時からほぼ変わらないが、日々の天候や湿度などに応じて微調整を行っているという。

麺づくりの基本的な工程は創業時からほぼ変わらないが、日々の天候や湿度などに応じて微調整を行っているという。

対照的なふたつの世界を行き来することによって、クリエイターや職人としての独自のバランス感覚を育んでいった関さん。二足のわらじのものづくりを続けていくなかで、自然と両者の棲み分けもなされていったようだ。

「家具づくりだけで生計を立てていこうと考えていた頃は、お金になるという理由で受けていたオーダーも少なくありませんでした。でも、そうするうちに好きで始めたはずの家具づくりがどんどん自由ではなくなっていったんです。

また、家具のコンペの受賞展などに行ってみると、自分が良いと思うものをつくっている人が意外と専業の作家ではなく、会社員だったりするんですね。そのうちに、自分が目指したいのは家具製作で生計を立てることではなく、本当に良いと思えるものをつくっていくことだと考えるようになっていきました」

定番商品のスツール。現在関さんが手がける家具のほとんどは、オーダーを受けてから製作する一点物だ。

定番商品のスツール。現在関さんが手がける家具のほとんどは、オーダーを受けてから製作する一点物だ。

大きく変わったものづくりの姿勢

いまでこそ、それぞれの仕事にのびのびと取り組んでいるように見える関さんだが、製麺所にフルコミットするようになったことで、家具製作に割ける時間が少なくなったことは事実だ。そこに対する葛藤はなかったのだろうか。

「家具のほうはがんばればがんばるほど、結果が自分に返ってくるわけですが、製麺所のほうはほかの従業員に滞りなくお給料を支払うということが大切になってくるし、それがひとつのやりがいになっています。製麺の仕事の比重が大きくなったことで、みんなが喜べるためには何をするべきかということを大切に考えるようになりました」

関さんが中心に回している製麺所だが、アルバイトスタッフも入れると従業員はおよそ10人。お父さんも週1日はサポートしてくれているという。

関さんが中心に回している製麺所だが、アルバイトスタッフも入れると従業員はおよそ10人。お父さんも週1日はサポートしてくれているという。

こうした視点の変化とともに、パーソナルなものづくりである家具製作に対するスタンスも徐々に変わってきているようだ。

「若い頃は、材料やコンセプトにこだわり、少なからず作家性というものを意識したものづくりをしていました。でも、いまはより自然なかたちで続けていくということを大切にするようになったし、究極的にはほとんど手を加えないシンプルなものをつくりたいという思いが強くなっています。一方で製麺は人の体に入るものなので、責任を持って自分たちがおいしいと思うものを、手間ひまかけてつくるということを大切にしています」

いつまでも製麺所があるまちに

取材中、製麺所の店先には、中華麺や餃子の皮を買い求める地域の人たちが頻繁に訪れていた。このような直売を始めるようになったのは、関さんが代表になってからだという。さらに近年は全国への配送にも対応するなど、時代の変化に合わせた新たな取り組みも行っている。

取材中も多くの人たちが製麺所を訪れていた。最近は近隣住民だけでなく、遠方から来客も増えているという。

取材中も多くの人たちが製麺所を訪れていた。最近は近隣住民だけでなく、遠方から来客も増えているという。

「昔は鎌倉にももっと多くの製麺所がありましたが、時代とともにどんどん数が減っています。もともと僕は豆腐屋さんで豆腐を買ったりするのが好きだったのですが、最近はそれができなくなりつつある悔しさがある。だからこそ、自分たちくらいの小さな規模で、40年前の機械を使い続けながら、まちの人たちに小売りもするような商売のスタイルを残していきたいんです。

かつては、どんなまちにもひとつはあったであろう製麺所が次々となくなっている時代に、鎌倉にはまだ製麺所があるんだと思ってもらえることがシンプルにうれしいし、それが続いていくといいなと思っています」

邦栄堂製麺ではおよそ40年間、同じ機械を使い続けている。「ずっと同じ機械、製法だからこそ、発信の方法などは時代に合わせて考えていきたい」と関さん。

邦栄堂製麺ではおよそ40年間、同じ機械を使い続けている。「ずっと同じ機械、製法だからこそ、発信の方法などは時代に合わせて考えていきたい」と関さん。

こうした関さんの取り組みが功を奏し、邦栄堂製麺の近年の業績は上向いている。最近はメディアなどで取り上げられる機会もあり、遠方からの注文も増えているという。

「たくさんの方に興味を持っていただけることはとてもうれしいし、感謝しています。でも一方で、遠方から注文をいただくたびに、自分が住むまちのそばの製麺所にも目を向けてほしいなと思うんです。地域に根づき、住民に応援される製麺所が一番だと思うし、自分たちもそうありたいですね」

邦栄堂製麺の中華麺は、鎌倉市内の飲食店を中心に卸されている。製麺所から最寄りの卸先は大町2丁目にある中華料理屋〈はぶか〉。

邦栄堂製麺の中華麺は、鎌倉市内の飲食店を中心に卸されている。製麺所から最寄りの卸先は大町2丁目にある中華料理屋〈はぶか〉。

邦栄堂製麺の未来

開発によってかつての鎌倉の風景が少しずつ失われていくなか、製麺所を続けていくことは、このまちで生まれ育った関さん自身の意思表明でもある。そんな関さんに、邦栄堂製麺の未来について聞いてみた。

「自分には娘がいますが、跡を継いでほしいとは特に思っていません。製麺所は残ってほしいですが、未来のことはどうなるかわからないし、目先のことを考えるだけで精一杯。もし今後ここを続けていけなくなるときが来るとしたら、それは世の中から必要とされなくなったということ。そのときは多少の努力や悪あがきはするかもしれませんが(笑)、肩肘張って無理に続ける必要はないのかなと思っています」

邦栄堂製麺では中華麺1人前から購入できるため、近隣住民も気軽に利用している。

邦栄堂製麺では中華麺1人前から購入できるため、近隣住民も気軽に利用している。

続けていくことへの強い思いを持ちながら、あくまでもクールに未来について語るさまが、常に自然体の関さんらしい。一方、家具づくりに関しては、いつかやめるときは訪れるのだろうか。

「家具づくりを一切しなくなる日々というのは想像しにくいですね。もともと手を動かすことが好きなので、注文がなくても実家や友だちのために何かをつくっていると思います。とはいえ、自分にとって家具づくりは趣味ではありません。自分がつくったものの対価としてお金をいただくということは、ものづくりを続けていくうえでとても大切な気がしています」

他者からの評価や社会から求められる価値と冷静に向き合いながら、自分らしさを表現し続けることができる環境を築き上げてきた関さん。製麺所の3代目というややもすると重く感じられそうなその役割を、肩肘張らずにのびのびとまっとうしている彼は、家業を継ぐということの意味をあらためて考える機会を、僕らに与えてくれている。

information

邦栄堂製麺

住所:神奈川県鎌倉市大町5-6-15

TEL:0467-22-0719

営業時間:9:30〜17:00

定休日:火曜

writer profile

Yuki Harada

原田優輝

はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。

Photographer Profile

Miyu Terasawa

寺沢美遊

てらさわ・みゆ●大学在学中よりフォトグラファーとして活動。CDジャケットや雑誌広告を中心に幅広く撮影。最近実家が鎌倉に引っ越したことにより、家の屋上で鎌倉花火大会を見るのが毎年の恒例行事になりつつある。

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