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鎌倉で愛される絶品広島風お好み焼き。その復活劇の舞台裏

  • 2018年11月2日
  • コロカル

鎌倉から考えるローカルの未来

長い歴史と独自の文化を持ち、豊かな自然にも恵まれた日本を代表する観光地・鎌倉。
年間2000万人を超える観光客から、鎌倉生まれ鎌倉育ちの地元民、そして、この土地や人の魅力に惹かれ、移り住んできた人たちが交差するこのまちにじっくり目を向けてみると、ほかのどこにもないユニークなコミュニティや暮らしのカタチが見えてくる。

東京と鎌倉を行き来しながら働き、暮らす人、移動販売からスタートし、自らのお店を構えるに至った飲食店のオーナー、都市生活から田舎暮らしへの中継地点として、この地に居を移す人etc……。

その暮らし方、働き方は千差万別でも、彼らに共通するのは、いまある暮らしや仕事をより豊かなものにするために、あるいは、持続可能なライフスタイルやコミュニティを実現するために、自分たちなりの模索を続ける、貪欲でありマイペースな姿勢だ。

そんな鎌倉の人たちのしなやかなライフスタイル、ワークスタイルにフォーカスし、これからの地域との関わり方を考えるためのヒントを探していく。

8年前に閉店した老舗お好み焼き屋〈かたつむり〉跡地から望む材木座の海辺の風景。

8年前に閉店した老舗お好み焼き屋〈かたつむり〉跡地から望む材木座の海辺の風景。

8年ぶりに復活したお好み焼き屋

夏になると海水浴客で溢れかえる鎌倉には、3つの海水浴場がある。今回のストーリーの舞台となる材木座は、そのうちのひとつ、材木座海水浴場を擁する、穏やかな海辺のまちだ。

かつて、この材木座海水浴場を望む国道134号線沿いに、家族経営のお好み焼き屋があった。〈かたつむり〉という店名を持つこの広島風お好み焼き屋は、30年近くにわたって地元の人たちの憩いの場として、また、マリンスポーツを親しむ人たちのランドマークとして、まちに愛され続けてきた場所だった。

材木座のまちで27年間にわたって営業し、8年前に閉店したかたつむり。かつての常連客が新店オープン後に持ってきてくれたというこの写真は、現店舗に飾られている。

材木座のまちで27年間にわたって営業し、8年前に閉店したかたつむり。かつての常連客が新店オープン後に持ってきてくれたというこの写真は、現店舗に飾られている。

惜しまれながらも2010年に閉店したかたつむりだったが、なんと今年の春、同じ材木座の地に8年ぶりの復活オープンを果たした。長年この地に暮らす人たちにとって喜ばしいこのニュースの立役者となったのは、当時のかたつむりで学生時代にアルバイトとして働き、その後も閉店までお店をサポートしてきた鎌倉育ちの椿山 尚さんだ。

彼女がかたつむりの元オーナーから看板を受け継ぐかたちで、海辺から少し離れた材木座の住宅街に、新生〈かたつむり〉をオープンさせたのだ。

8年間温め続けた思いをかたちにした椿山さんにとって、そして、鎌倉のまちにとって、かたつむりとはどんなお店だったのか。復活開店に至るまでには、どんな経緯があったのか。店内のターコイズブルーが鮮やかな新店かたつむりにうかがった。

海から少し離れた材木座の住宅街にオープンした新生かたつむり。

海から少し離れた材木座の住宅街にオープンした新生かたつむり。

広島出身のファミリーによって開店

1980年、材木座海水浴場の目の前にオープンしたかたつむりは、「鎌倉でもおいしいお好み焼きを食べたい」という広島出身の元オーナーの思いから生まれたお店だ。

オーナーの“ママさん”と、ふたりの娘さんの3人で運営されていたかたつむりで、椿山さんが働くようになったのは、彼女が18歳の頃。ママさんのお孫さんが、椿山さんの弟と同級生だったことが縁で、アルバイトをするようになったそうだ。

「本当に美人ぞろいのファミリーで、それぞれにファンがついていた」と椿山さんが振り返るかたつむりは、飲食店がまだ数えるほどしかなかった当時の材木座において、近隣住民が集まれる貴重なお店として誰しもが知る存在だったという。

「当時は珍しかった水色の建物だったかたつむりは、海側から見るときのポイントとして、サーファーやヨットの人たちにもよく知られていました。また、この辺で生まれ育った子どもたちは、ここで人生初のお好み焼きを食べるケースも少なくなかったので、お好み焼きと言えば広島風、という人も結構いるはずです(笑)。

長くあったお店だったので、それこそ子どもの頃にここで初めてお好み焼きを食べた人が、大人になってまた来店するというようなこともありました」

かつてのかたつむりで使われていたメニューなどの案内書。これも当時の常連客が保管してあったものだという。(写真提供:かたつむり)

かつてのかたつむりで使われていたメニューなどの案内書。これも当時の常連客が保管してあったものだという。(写真提供:かたつむり)

アルバイトを通じて巡り合った天職

大学4年間アルバイトを続けた椿山さんにとってかたつむりという場所は、自らを地元とつなぐ、新しい接点になっていたようだ。

「鉄板を挟んでお客さんと向き合うなかで、大人のおじさま、おばさまなど、それまでのコミュニティでは関わることがなかった人たちから、本当にいろいろなことを教えていただきました(笑)。大学を卒業してからも、会社に内緒で手伝いに行くこともありましたし、出産してからも、ママさんの旦那さんに子どもを見てもらっている間にお好み焼きを焼いたりしていました」

学生時代にアルバイトとして働いていた当時の椿山さん。社会人になってからも、夏の花火大会の日には必ずヘルプに入っていたそうだ。(写真提供:かたつむり)

学生時代にアルバイトとして働いていた当時の椿山さん。社会人になってからも、夏の花火大会の日には必ずヘルプに入っていたそうだ。(写真提供:かたつむり)

かたつむりには歴代のアルバイトが数多くいたが、その中でも焼き手を任された数少ないスタッフのひとりだったという。

「とにかく焼くことが好きだったんです。鉄板の温度は約300度なのですが、その熱量がしっくり来るんです(笑)。何時間焼き続けても疲れないし、むしろ楽しくて元気になれる。私にヘラを持たせたら無敵! みたいな感覚がありました(笑)」

かたつむりの鉄板は、メーカーに熱源の数や位置などを細かく指定した特注品。日によって調子の良し悪しがある鉄板は、椿山さんいわく「じゃじゃ馬」。

かたつむりの鉄板は、メーカーに熱源の数や位置などを細かく指定した特注品。日によって調子の良し悪しがある鉄板は、椿山さんいわく「じゃじゃ馬」。

天職とも言える仕事と出合い、およそ15年にわたって関わり続けてきたかたつむりに、思いもしなかった閉店の時が訪れる。広島にいた親族の介護が、閉店の理由だったという。

「とにかくショックでしたね。お好み焼きを焼ける場所がなくなってしまうことはもちろんですが、中学生の頃から友だちと遊ぶときの集合場所になっていたし、まちのシンボル的な場所でしたから。あまりにも悲しすぎて、その界隈にはまったく近寄れなくなってしまいました」

温め続けた長年の思い

実は、閉店時に椿山さんは、鉄板などの譲渡とともに、お好み焼き屋を開くことをママさんから勧められている。当時まだ子育ての真っ最中だったため、その提案を受け入れることはできなかったが、このときに椿山さんはひとつの決心をする。いつか必ず、かたつむりを自らの手で復活させる、と。

「その思いは、8年前の閉店以来途切れることはありませんでした。当時のかたつむりは、鎌倉のほかにもいくつか支店があり、次はハワイ店を出すなんていう話も出ていて、それなら私が行きますと言っていたんです(笑)。その頃から、独立して新しくお店を開くというよりも、みんなと一緒にやりたいという思いがありました」

長年思いを温めてきた椿山さんは、2016年の夏に、子どもが生まれてから初めてとなるひとり旅をした。広島、岡山周辺を旅し、現地でお好み焼き屋にも立ち寄るなかで、いよいよ、かたつむり復活に向けて本格的に動き出すことを決心する。そして、資金のめどがついた段階で、あらためてオーナー夫妻にその思いを伝えた。

「相当な覚悟と決心でご挨拶に行ったのですが、最初にお伝えしたパパさんは、拍子抜けするくらい簡単に快諾してくれました(笑)。ママさんにはいつか必ずやりますという宣言を前々からしていたのですが、あらためてお昼ごはんを食べながらお話をしたときに、尚ちゃんなら絶対大丈夫だから、がんばってと逆に励ましていただきました」

オープン前の最終確認のためにお店に駆けつけてくれた元オーナー母娘の住井さん。(写真提供:かたつむり)

オープン前の最終確認のためにお店に駆けつけてくれた元オーナー母娘の住井さん。(写真提供:かたつむり)

同級生たちの協力で、8年ぶりの復活

しかし、物件探しは難航した。材木座から鎌倉全域にまでエリアを広げて探したものの、最適な物件が見つからない日々が1年ほど続いた。

そんな折、いつものそば屋に朝ごはんを食べに立ち寄った際、お店で働く友人から、材木座に空き物件が出るという話を耳にする。その足で訪ねた物件が、現在のかたつむりとなったのだ。しかも、そのオーナーは以前のかたつむりのお客さんだったことが後に判明した。

「本当にラッキーだったと思います。そこからは、かたつむりでお好み焼きを焼いてあげたこともある友だちから、私が働いていたことすら知らなかった友人たちまで、小・中・高の同級生たちに手伝ってもらいながら、お店をつくっていきました」

多くの同級生たちの力なども借り、お店づくりは極力DIYで行った。(写真提供:かたつむり)

多くの同級生たちの力なども借り、お店づくりは極力DIYで行った。(写真提供:かたつむり)

新しいかたつむりの店内の壁は、鮮やかなブルーで塗ることにした。ここには、新たな船出を迎える椿山さんの意思が反映されている。

「以前のかたつむりの建物の色を意識していますが、当時の色とはまったく違うブルーなんです。ママさんたちからも、『尚ちゃんのお店だから自由につくりなさい』と言われていたのですが、自分がお店をするならこの色だと決めていたし、これからは『私の場所にようこそ』というスタンスでいいのかなと」

かたつむりのDNAを引き継ぎながら、文字通り椿山さんの“自分色”に染めたかたつむりが、8年の時を経て、晴れて材木座に復活した。

自分が好きな色を見ながら働きたいと、ターコイズブルーに塗り上げた店内の壁。(写真提供:かたつむり)

自分が好きな色を見ながら働きたいと、ターコイズブルーに塗り上げた店内の壁。(写真提供:かたつむり)

愛憎入り交じる鎌倉への思い

新生かたつむりのメニューやレシピは、旧店舗から完全に継承されている。

「以前のお店を知るお客さんには、当然味を比較されると思っていましたし、そこにはかなりプレッシャーがありました。ママさんに味の確認をしてもらい、これなら大丈夫と言ってもらっても、正直まだ怖かったです。今後新しくメニューを開発するにしても、それは当時のお客さんに認めてもらってからだと思っています」

復活オープン以来、仕込みから焼きまで基本的にはすべての作業を椿山さんひとりで行っている。

復活オープン以来、仕込みから焼きまで基本的にはすべての作業を椿山さんひとりで行っている。

ママさんの協力や椿山さんの努力の甲斐あってか、かつての常連客たちは、当時と変わらない味に昔を懐かしんでいるようだ。また、以前のお店を知らない比較的新しい世代の住民たちにとっても、かたつむりの再オープンは、まちの記憶に思いを馳せる機会になっている。

「かつてのお店のそばに越してこられた方で、近隣の人たちから、ここにおいしいお好み焼き屋があったという話をずっと聞かされていたというお客さんもいらっしゃいました。また、最近材木座に増えているゲストハウスの紹介で来てくださる観光のお客さんも多く、なかには、生まれて初めてお好み焼きを食べるという外国の方もいらっしゃいます」

いつかお店に飾りたいという飛行船のオブジェ。本当はより大きなものを手に入れ、それをお店のシンボルにしたいのだとか。

いつかお店に飾りたいという飛行船のオブジェ。本当はより大きなものを手に入れ、それをお店のシンボルにしたいのだとか。

地域に根を張る飲食店には、まちにおける定点観測所のような側面がある。8年という空白期間を経て、まちが大きく変わりつつあることを、再びお店に立つことで日々実感している椿山さんは、自らが育った鎌倉のまちに対して、いまどのような思いを抱いているのだろうか。

「子どもの頃から暮らしていた鎌倉というのは、いい思い出だけでなく、つらいこと、嫌なこともたくさんあった場所なんですね。最近は新しい人たちも増え、まちは大きく変わってきていますが、私が育ってきた鎌倉は狭く、閉鎖的な場所だったし、正直、ここから離れたいと思うこともありました。

それなのに、とにかくお好み焼きを焼きたいという一心で、このお店を復活させてしまった(笑)。ある意味覚悟を決めて、このまちに根を張っていこうと決めたわけですが、それからは鎌倉がそんなに嫌ではなくなってきました」

現在のかたつむりの向かいには、旧鎌倉エリアに唯一残る銭湯〈清水湯〉がある。銭湯との“ハシゴ”でかたつむりを訪れるお客さんも多い。

現在のかたつむりの向かいには、旧鎌倉エリアに唯一残る銭湯〈清水湯〉がある。銭湯との“ハシゴ”でかたつむりを訪れるお客さんも多い。

まちの記憶をつなぐ、個人の思い

新旧の住民たちが交錯するかたつむりは、現在の鎌倉というまちの縮図と言えるのかもしれない。まちの風景が大きく変わるなか、かたつむりには、かつてとは異なる新たな役割、新たなコミュニティが生まれつつあるのだろう。

「このお店を復活させてもらったのは、ママさんの意思を継いだり、まちの人たちの要望に応えたいからではなく、お好み焼きを焼きたいという自分の欲望のため。だから、これは美談でもなんでもないんです(笑)。

でも、かたつむりが復活したことを喜んでもらえるなら、こんなにうれしいことはないですし、ここに来てくれる人たちのことは、本当に大切にしていきたい。お客さん同士がこの場所で出会っていくのを楽しく眺めながら、お好み焼きを焼いていることが私にとっての幸せです。もし何十年か先に、このお店をたたむという日が来たときに、次にやりたいという人が出てきてくれたら、それはとてもうれしいことですね」

椿山さん自らの欲求に忠実に従った結果、実現したかたつむりの復活は、元オーナーや当時のお店を知るまちの人たち、さらに、新規住民や観光客にまで幸せを届けることになっているはずだ。

老舗復活への義務感などからではなく、あくまでも個人の思いの強さから生まれたアクションが、結果として、まちの記憶を継承し、新たなつながりを生んでいく。そんなかたつむりの復活劇に、まちの未来が垣間見えた気がした。

新生かたつむりののれんを手がけたイラストレーター、平尾 香さんの直筆によるうちわ。

新生かたつむりののれんを手がけたイラストレーター、平尾 香さんの直筆によるうちわ。

information

かたつむり

住所:神奈川県鎌倉市材木座3-1-10

TEL:0467-95-1156

営業時間:12:00〜15:00(14:30 L.O.)、17:30〜20:30(20:00 L.O.)

定休日:水曜、第1・第3木曜

https://www.かたつむり.com

writer profile

Yuki Harada

原田優輝

はらだ・ゆうき●編集者/ライター。千葉県生まれ、神奈川県育ち。『DAZED&CONFUSED JAPAN』『TOKION』編集部、『PUBLIC-IMAGE.ORG』編集長などを経て、2012年よりインタビューサイト『Qonversations』を運営。2016年には、活動拠点である鎌倉とさまざまな地域をつなぐインターローカル・プロジェクト『◯◯と鎌倉』をスタート。

photographer profile

Ryosuke Kikuchi

菊池良助

きくち・りょうすけ●栃木県出身。写真ひとつぼ展入選後、雑誌『STUDIO VOICE』編集部との縁で、INFASパブリケーションズ社内カメラマンを経てフリーランス。雑誌広告を中心に、ジャンル問わず広範囲で撮影中。鎌倉には20代極貧期に友人の家に転がり込んだのが始まり。フリーランス初期には都内に住んだものの鎌倉シックに陥って出戻り。都内との往来生活も通算8年目に。鎌倉の表現者のコレクティブ「全然禅」のメンバー。http://d.hatena.ne.jp/rufuto2007/

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