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地域一丸となり始まったひつじをめぐる冒険!? 耕作放棄地の新たな活用へ

  • 2017年12月27日
  • コロカル

一関市萩荘地区。なかでも中山間地域に位置し、昔から棚田での稲作を中心とした農業を営んできた34戸の農家が暮らす下大桑集落。現在では、ほぼすべての農家の跡取りたちは兼業農家として二足のわらじを履きながら、親が守ってきた農地の継承に向け、休みなく汗を流している。しかし、採算に見合わなければ跡継ぎは減り、耕作放棄地は増えていく一方だった。そこで、下大桑集落では、耕作放棄地を羊の飼育地にあてるという新たな試みを始めたのだ。

もともと棚田が広がっていた耕作放棄地に生い茂った雑草を食む羊たち。

増える、耕作放棄地

「今までは、中山間地域の農地保全のために出ていた国の交付金を利用して草刈りをしていたんです」

しかし、その草刈りをする農家の高齢化が進みひとり、ふたりと脱落していく。頼みの若い人は兼業で忙しい。

「どうにか解決できねぇもんか、しかも少しでも所得の向上につながるようないい知恵はねぇもんか、と集まるたびにタメ息ばかりでした。ある時、知人の紹介で羊飼育を見学し目から鱗。さっそく、雑草がボウボウに伸びていた耕作放棄地で羊を飼育してみんべ! という話になったんです」

そう教えてくれたのは〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉で事務局長を務める桂田勝浩さん。実際、農地をほったらかしていると、土が固まって地質が悪くなり、さらに生い茂った雑草が隣接する耕作地にも悪影響を与えてしまうのだそうだ。羊は、生い茂った雑草をおいしく食べ、糞をし、適度に歩き回って土をほどよく管理してくれるのだ。

桂田さんの自宅にある納屋にいた子羊。成長するまでは、納屋で育つ。〈下大桑ヒツジ飼育者の会〉の活動は、ここから始まった。

羊の飼育を始めた理由

なぜ、羊を飼って地域活性をしようとしたのかと尋ねると、「まずはやはり、手間をかけずに処理したかった豊富な雑草を、羊がおいしく食べてくれること。羊とはあまりリンクのなかった日本で、岩手が数少ないゆかりの地であったこと。日本では珍しく気候が羊の飼育にむいていること。また、首都圏を中心に国産の生のラム肉などの需要が高まってきていることなどが主な理由です」と桂田さん。

最初に耕作放棄地につくられた山田ヒツジ牧場。

日本でも数年前に首都圏を中心に沸き起こったジンギスカンブームを除いては、北海道と岩手県・遠野市の名物料理として食べられてきたくらいで、たとえばスーパーで生の国産羊肉を購入することは難しく、ほとんどが、ニュージーランドやオーストラリア産の冷凍物だった。ただ昨今の女性を中心としたヘルシー食ブームの影響から、ラムなどの羊肉への関心が高まっており、首都圏の富裕層向けスーパーや健康食品店などでは、ラムからマトン、ホゲットまで種類豊富に、しかも冷凍物ではないフレッシュな食材を取り揃え始めているそうだ。そんな状況から、国内生産に注目が集まり始めており、桂田さんたちはそこに目をつけたのだった。

下大桑ヒツジ飼育者の会が飼育している羊のタグは、メンバーが手作りした畳の縁を再利用した首輪で付けられている。肌触りがよく、羊たちにも好評(?)の様子。

岩手県と羊には、縁がある。羊は、十二支のひとつにも数えられながら、明治時代まで日本人にとって、未知なる存在だった。国内には約16種類おり、競走馬と同じように全種類・頭数が徹底的に管理されている。日露戦争に備え、兵站を整備する理由から旧陸軍によってまずは岩手県、次に北海道で実験的に飼育が始まる。羊毛の需要が多かった戦後直後くらいまでは日本に27万頭いたと言われているが、現在は5千頭ほどしかいない。食用としては、北海道や岩手などジンギスカン文化が確立している場所でのみ主に好まれてきた。羊毛の活用としても、岩手県ではホームスパンの生産が盛んに行われている。

羊は、ほかの家畜と比べて日本では比較的関わりの薄い存在だが、実は岩手県とは少なからぬ関係を保ち続けてきたようだ。

まずはやってみる。DIY的牧場計画始動。

2016年から活動を始めた、下大桑ヒツジ飼育者の会では、現在、18名の会員が同地域内に作成したふたつの牧場で、合計17頭のサフォーク種の羊を飼育している。

会員でこれまでに羊の飼育経験のある人はひとりもおらず、課題があれば、工夫してその解決方法を見出しながら極力自分たちの力で対処していくという、非常にDIY的な感覚をもって、その運営に当たっている。

「もともと、岩手県奥州市江刺区の梁川という地域に、うちと同じように耕作放棄地を活用して羊を飼育している人たちがいて、まずは彼らのところに研修に行きました。今でもわからないことがあるとよく相談しています。みなさんの教えを乞いつつ、基本は独学で頑張っています(笑)。羊の様子を見ながら、日々手探りです。種羊も、梁川から買わせていただいたものです」

そんな彼らの牧場施設の設営もまた、DIYだった。

「活動を始めて最初の春を迎えた頃、ヒツジの数も増えてきたので、牧場でもつくろうかということになったんです。まずは山田ヒツジ牧場から。金網はヒツジ飼育専用の特殊なものをニュージーランドから取り寄せた以外は、すべてDIY。会員はもちろん、地元の消防団や一関市内のボランティアの若い子たちなんかも手伝ってくれて。よくできてるでしょう?

山田牧場のほうは、立派な看板まであるんですよ。実はこれね、私の父で会長の桂田 清さんのお手製なんです。会長は農家を継ぐ前は鉄工所やってたから、なんでもつくれちゃうんですよ。まあ、そんな感じでみんなの特技を生かしつつ、ボランティアさんのお手伝いもあって、みんなの手でつくった牧場だから、思い入れが強くなりますよね」

農業の里よ、もう一度。循環型農園「ひつじの里」へ

まだ始まったばかりの羊との冒険。これから、どのような展望を考えているのだろうか?

「羊を使って耕作放棄地を有効に保全することが第1歩。今のマーケットのニーズに応えられるような羊肉の生産と羊毛の販売を通じて、下大桑に農家の新しい産業をつくることが第2歩。3歩目は、羊を見ながらピクニックできるような公園や、休眠中の牧場を利用したドッグラン、おろしたての羊肉を出すジンギスカン屋なんかを備えた観光農園を開くこと。

羊を中心に生まれる循環に、地場にもともとある米やサツマイモ、小麦なんかも有効に取り入れた『羊の里』をつくっていきたいんですね。やっぱり、農家に生まれた以上、やむを得ず兼業するとかではなくて、農家として無理なく食べていきたいじゃないですか」

——日本における綿羊飼育の失敗はそれが単に羊毛・食肉の自足という観点からしか捉えられなかったところにある。生活レベルでの思想というものが欠如しておるんだ—— 

談:羊博士/『羊をめぐる冒険』(村上春樹/講談社刊)

ヨーロッパや中国など古くから羊と共に暮らしてきた地域では、彼らは食肉・羊毛をとるための単なる家畜ではなく、「よきもの」「平和」「循環」の象徴として人間の文化や生活の中にあり、親しまれてきた存在だという。目標の100頭に向けてこれから順調に飼育が進み、羊が下大桑の景色の一部になったとき、そこに暮らすみんなの顔はもっとにこやかになっているに違いない。

photographer profile

Kohei Shikama

志鎌康平

山形県生まれ。写真家小林紀晴氏のアシスタントを経て、山形へ帰郷。東京と山形に拠点を設けながら、日本全国の人、土地、食、文化を撮影することをライフワークとしています。山を駆け、湖でカヌーをし、4歳の娘と遊ぶのが楽しみ。山形ビエンナーレ公式フォトグラファー。http://www.shikamakohei.com/

writer profile

Kei Sato

佐藤 啓(射的)

ライフスタイル誌『ecocolo』などの編集長を務めた後、心身ともに疲れ果てフリーランスの編集者/ライターに。田舎で昼寝すること、スキップすることで心癒される、初老の小さなおっさんです。現在は世界スキップ連盟会長として場所を選ばずスキップ中。https://m.facebook.com/InternatinalSkipFederation/

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