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29歳、女性、教諭、週末ラッパー。不安とともに生きるさま描く『雪子 a.k.a.』草場尚也監督に聞く

  • 2025年1月25日

Text by 常川拓也
Text by 豊島望
Text by 今川彩香

雪子、29歳。小学校教諭として働きながら、夜はサイファーに混じってラップを披露する。ラップをしているときだけは本音が言える、そう思っていたけれど、ある日それすら否定されてしまい……。『雪子 a.k.a.』は、不安やコンプレックスを抱えながら日々を生きる、ひとりの女性を描いた作品だ。


メガホンをとったのは、33歳の草場尚也監督。初監督作品である前作『スーパーミキンコリニスタ』で、『PFFアワード2019』にて日活賞とホリプロ賞のダブル受賞し注目を集めた。かつて自身も教員を目指していた過去がある草場は、少なからず雪子に自身を投影している。ヒップホップ好きの映画評論家、常川拓也を聞き手に、本作についてたっぷりと語ってもらった。

物語において、ラップはしばしば若者が貧困から成り上がるための武器や、巧拙を競うゲームとして機能する。例えば『8 Mile』(2002年)(※)がそうだろう。かつて小学校教諭を目指していた草場尚也は、ラップが持つ別の側面に着目する。自分に自信を持てない29歳の小学校教師を描くうえで、それは自己受容の役割を果たすのだ。


『PFFアワード2019』で注目を集めた前作『スーパーミキンコリニスタ』(2019)の主人公は、いつか主役になることを夢見ながら万年エキストラのミキ。『雪子 a.k.a.』の主人公は、人気の先生にもポスターの中の憧れのラッパーにもなれない雪子。どちらも理想と現実の狭間でもがく女性であり、草場は彼女たちがたとえ誰かにバカにされてもめげないタフネスを描く(そう伝えると、彼は元ADだった経験が反映されているのかもしれないと微笑んだ)。


『雪子 a.k.a.』は、尽きることのない日々の不安のなかで、いかにして「不安なままでも生きていける」かを模索する姿を捉える。ここではあくまでもラップは、自身がどんな人かを知る自分探しのツールである。根底にあるのは平凡になりたくないと思いながらも理想通りには進まない人生を生きる人の普遍的な葛藤や苦労だ。そして、それに対して温かな視線が寄せられているからこそ、観客は雪子に自分自身を重ね合わせて見ることができるだろう。


草場尚也(くさば・なおや)
1991年8月長崎出身。大分大学卒業後、映画美学校の脚本コースで高橋泉に師事。映像制作会社に入社後、バラエティ番組のADから連ドラ・映画の助監督として活躍する。会社を休職して撮影した『スーパーミキンコリニスタ』がPFFアワード2019で日活賞とホリプロ賞のダブル受賞。

※本稿は、作品のネタバレを含みます。あらかじめご了承ください。

─雪子の部屋にはAwichと田我流のポスターが貼られ、『8 Mile』のサントラなどさまざまなヒップホップのレコードが置かれていますね。


草場尚也(以下、草場):買い揃えました(笑)。撮影当時の2023年に「東京で生きるひとりの女性の物語」というのを大前提に考え、雪子ってどういうラップを聞いてるんだろうね、と話しているなかで、Awichが好きだという裏設定にしました。


─『8 Mile』のようにMCバトルの勝ち負けに着目してるわけではありませんね。これまでのヒップホップ映画とどのような違いを持たせるように意識していましたか。


草場:やっぱり『8 Mile』という作品はいちばん、頭にありました。日本映画だと、同じく女性ラッパーを描いた『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』(2010年)も、脚本を制作する早い段階で再度見ました。


今回はグループではなく、あくまでも「雪子」という個を描きたかった。そのうえで、企画の立ち上げのときから、MCバトルのシーンを設けることは決めていたんですが、ピークがそれになってはいけないとも考えていました。たしかに映画でMCバトルを用いると盛り上がりやすい。でも過去の映画がすでに描いていることは、新たに描く必要がないと思うんです。


今回の主人公にとっては、ステージに上がるということだけでも十分「勝利」なんです。僕自身、映画をつくる前に実際にサイファーを経験したんですが、やっぱり、MCバトルのステージには立てないですね。雪子もそういうタイプだと思うんです。ステージに立つというだけでも、ある種、過去の自分には勝ってる。そういう意味の成長を描きたかった。


─主人公がラッパーを志す人ではなく、週末ラッパーで、基本は小学校教師として日々生きる人という点もほかの映画とは異なりますよね。


草場:教師という職業にも光を当てたかったんです。もともと父親が公務員で、僕自身も教育学部に通ってたので、自分のバックボーンを振り返って、教師という要素が生まれました。今回の映画作りを通して、自分の過去を肯定したいとも思ってたので、教育学部時代のことを思い出しながら書いた部分もあります。


─画面に曜日が提示されるのも平日働いてる人のリズムを刻んでいるかのようでした。


草場:実はそこもヒップホップにつなげていて。ヒップホップが反復の美学だということを大事にしたいと思ったんですよね。月曜、火曜、水曜という表示も一応そういう反復で、レコードが回るのと同じ、地球が回るのと同じ、とういうような考えがありました。人は反復して生きていくものだっていう。


─なるほど。確かにビートもそうですもんね。


草場:まさに。でも、その入口と出口で同じように反復してるんだけど、最後には何か変わった印象を持ってもらえたらうれしいな、という思いを込めました。

─ここでは、ラップはある種のセラピー、解放の行為として機能しているように感じます。


草場:『スーパーミキンコリニスタ』のときは言語化できていなかったのですが、「抑圧された感情からの解放」をテーマとして大事に考えています。


雪子は他人とのコミュニケーションにちょっとつまずきがあって、日常生活で本音が言えない。ラップするときだけは本音が言えた気になってたものの、サイファーで「借り物の言葉だ」とボロクソに言われてしまう。彼女は、クラスの子どもたちとも本音で話せていないことを不安としてずっと抱えているんですよね。


そのあとにMCバトルで「不安なままでも生きていけるよ」とラップするんですけど——今回は、彼女がそういうふうにラップを通して自分の言葉を獲得していく姿を描きたかった。雪子が抑圧から解放される瞬間がラップによってあらわれるべきだと思っていましたが、それがセラピーになっていたとあとから気づきました。


─まさに不安を解消する話ではなくて、抱えたままでも生きていけるという話になっています。


草場:もちろん主人公は現状の自分に対してネガティブな感情があって、変わりたい気持ちは持っています。一方で、映画としては自己肯定を主題に考えてました。何かを変えることが決して正義でもないというか、本音が言えない不安を抱えたままでも、それに気づくことだけで十分成長だと言いたかったんですよね。不安って、やっぱりなくならないじゃないですか、絶対。自分にとって映画作りって、ある種ラップに近いというか、自分自身との対峙でしかないと思っているんです。


制作序盤にプロデューサーと脚本家の3人で集まったとき、「自分は本音が言えないんですよね」みたいな話をしたら、「じゃあ主人公にも同じような悩みをくっつけましょう」となって。自分自身もこの映画作りを通して、本音が言えるようになっていたらいいなと思っていたんです。振り返れば『スーパーミキンコリニスタ』のときも、主人公と自分が同期しているような映画作りをしてたような気がしています。実際に撮影を終えてみると、本音が言えないことってその時々であるし、無理に変える必要はないのかもなと思うようになりました。


─『スーパーミキンコリニスタ』ではどういう心境が重ねられていたのですか。


草場:やっぱり、認められたいという圧倒的な承認欲求があったと思います。


じつは『雪子 a.k.a.』では当初、『スーパーミキンコリニスタ』と同じように、雪子を30歳になることに対してネガティブな感情とストレスを抱えた主人公にしようと考えてました。それは僕自身、20代の後半が一番きつかったし、そのうえ大好きなフジファブリックの志村正彦さんが29歳で亡くなっているので、昔から29歳という年齢を重く意識していたんですよね。でも脚本の鈴木史子さんから「30歳への不安や承認欲求みたいなテーマだと『スーパーミキンコリニスタ』と同じになっちゃいますよ」って言われて、じゃあそこでやらなかったことを描こうとした結果、この物語ができていきました。

─冒頭、授業の場面で雪子は子どもたちにSDGsの基本的な考え方を「誰ひとり取り残さない」と説明しますが、それはあたかも彼女自身のことを言っているようにも思えました。


草場:最初はそこまで狙いはありませんでしたが、結果的にそうなりましたね。「誰ひとり取り残さない」という性質は、雪子にはある気がしていて。コミュニケーションが苦手なところはあるけど、給食を食べきれない子どもとなんとなく心でつながれたり、隣のクラスで生理が始まった女の子に雪子だけが気づいたり、「気づける」先生ではあると思うんです。


「誰ひとり取り残さない」精神は映画製作自体のテーマにもなっていて、僕自身がずっと助監督とかADをやってきたので、アシスタントの人たちにも気持ちのいい現場にしたいと心がけました。


─おっしゃったように雪子は女子生徒の生理に気づきますし、教師たちの間では生理のナプキンにまつわるオープンな会話も交わされます。そういったあたりには脚本としてクレジットされている鈴木史子さんの影響が大きかったのでしょうか。


草場:まったくその通りです。30歳になる雪子を、3分の1の年齢にあたる小学4年生の担任にさせる考えは企画当初からあったんですが、じゃあ、4年生ってどういう時期だろうと考えるなかで、生理の問題が浮かんできました。


鈴木さんのおかげで、男性である自分には書けない部分を書いてもらえたときはうれしかったですね。ひとりだったら書けなかった場面でした。実際にその場面を撮るときは鈴木さんにも現場に来てもらって、(児童が羽織るための)毛布がもう1枚あったほうがいいんじゃないか、などアイデアをいただきました。


─そもそもなぜ鈴木さんが加わることになったんですか。


草場:プロデューサーから、初めての商業作品になるから、脚本家を入れて監督としてやるべきだと意見をもらって。脚本家と組むのは初挑戦のことで、オリジナル企画なので自分で書きたい気持ちもあったんですが、やってみようと。女性を主人公にすることはその時点で決まっていたので、女性の脚本家がいいとだけ希望して、何人かシナリオを読ませていただいたなかで鈴木さんとご一緒させていただきました。


一回り年齢が上の方と一緒にやるというのは、ちょうど劇中の大迫先生と雪子のような関係性になるようで面白いかもと思いました。大迫先生の「自分で気づいたことの方が、誰かが決めた正解より価値があると思いませんか」というセリフを書いていただいたときは、僕自身にも言われているようで、グッときましたね。


─草場さん自身は「原作」とクレジットされていますが、脚本自体にはどのように関わられたのですか。


草場:ある程度の大枠を話し合ったあと、初稿として鈴木さんがまとめ、第2稿を僕が書いて、というようにリレーをしていきました。途中から方向性が見えてきてからは鈴木さんを中心として書いていただきました。それで「脚本」は鈴木さん、「原作」は一応ふたり、というかたちになっています。

─どちらの映画でも、理想と現実の狭間でもがく女性が描かれているといえますが、なぜ女性を主役に据えたいと思われているのでしょうか。


草場:もともと女性主人公の映画が好きで、撮りたい映画は自分が見たい映画でもあるようにしたいなと思っていて。抑圧された感情からの解放とか、生き生きとした等身大の人物像を映画にするうえで、女性のほうが映画的になりやすいと私は考えてるのかもしれません。


どちらも自分の写し鏡なんですよね。(主人公は)自分の内側から生まれてる人たちで、自分事のように見ているんですが、もしそれが男性の場合、投影されすぎて生々しくなりすぎて、キャラクターとして跳ねないかなっていう感覚があるんです。


─前作でも本作でも、同じような苦労を分かち合える、特に同業の女性同士のささやかな友情が主人公の悩みや不安をほだしていきます。そのようなシスターフッドを描くことに関心がありますか。


草場:あまり気にしてなかったことですが、いま言われて気づかされました。どちらもひとりの人物のみに焦点を当てようという入り口なんですが、やっぱり他者とのつながりが生きていくうえでは不可避というか、人はひとりでは生きていけない、という思いは根底にあるのかもしれないですね。


だから、自然と前作のときも同業の子たちと何か共有できる瞬間があったり、今回も先生たちとうまく連帯していったのだと思います。他者との出会いを通して、雪子は色々なヒントをもらいながら生きていて、ちょっとずつ気づかされていくということが、この作品で描きたかったことかもしれません。


─映画を見ていてAwichの“好きなこと Remix”が浮かびました。その楽曲でAwichは<ただずっとやってしまう/好きでしょうがないこと/見つけたらこっちのもん>と歌っていますが、草場さんの映画では、主人公はオーディションに落ちるとわかっていても(『スーパーミキンコリニスタ』)、MCバトルで負けるとわかっていても(『雪子 a.k.a.』)、自分の感情に正直に生きることを追求します。好きなものを持つ人を描くことについて意識的ですか。


草場:どこまで思っていたのかはわかりませんが、自分自身を受け入れることが大事だとはつねづね思っているんですよね。


二作とも、いまのありのままの自分を受け止めるということを共通して描いていますが、そのポイントのひとつとして「自分が好きなものに正直でいる」というところはつながっている気がします。『スーパーミキンコリニスタ』の俳優をやりたい気持ち、『雪子 a.k.a.』のラップが好きなんだという気持ち、どちらもそこに正直でいたいというのは確かに共通してるかもしれません。


─正直さという意味では、前作でミキは母から夢は諦めてそろそろ結婚を考える頃だと諭されてもそれを拒否し、雪子も彼女がラップすることを好まない彼氏からのプロポーズを熟考の末に受け入れない。どちらも長崎から上京したヒロインで、結婚よりもひとりで生きることを能動的に選択しますね。


草場:たしかにそこは共通してますね。今回は鈴木さんから「30歳を迎える主人公に何か選択をさせたほうがいい」と提案され、それで長く続いていた彼氏と別れる選択をさせることになりました。


「ラップしてるユッキーをあんま見たくない」っていう彼のセリフが重要だった気はして。やっぱりラップをしてる雪子も彼女にとってありのままの自分で、それを恋人から否定されるというのは大きかったんだと思います。結局、自己受容とは反対のベクトルになってしまう。


─『雪子 a.k.a.』というタイトルは、雪子に別名があることを明らかにしています。なぜこのタイトルにされたのでしょう。


草場:最初のタイトルは『4年2組、雪子先生』でした(笑)。僕としては主人公の名前を絶対に入れたかったんですよ。昔の漫画のように、主人公さえ見ていればわかる、そんな映画をデザインしたくて。だから今回も基本的に雪子がいないシーンはつくっていないんです。


名前を入れたタイトルを考えるなかで、鈴木さんから「a.k.a.」という案が出て。「a.k.a.」の先を入れないというのは、この映画の描きたいたいことが伝わるかもしれないと思いました。MC名としては「雪子 a.k.a. MCサマー」なんですけど、今回の作品で描きたいのはそこじゃない。学校では子どもたちから吉村先生と呼ばれているので「雪子 a.k.a.吉村先生」でもあり、親友や恋人からはユッキーと呼ばれているので「雪子 a.k.a. ユッキー」でもある。色々な呼び名があるけど、同じ雪子であることには変わりはない。「a.k.a.」の先は何だっていい……、人間の多面性を描きたくてこのタイトルになりました。

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