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キャンプの恵み

Vol.101 キャンプとキャンプならざる共同生活

  • 2016年3月3日

キャンプとキャンプならざる共同生活 思いがけぬコトで入院をしました。7人部屋で、一人分のスペースはカーテンで囲まれた一区画。カーテンの中は確実に個人のもので、だらりとパジャマ姿です。けれど、24時間、なんらかの人の気配がうごめいていて、私の気配が人に伝わっているのも感じます。監視されているわけではありませんし、移動の自由ではあるのですが、腕には点滴が常にぶら下がって、病院の外には出ていけません。食事、検診、シャワーなどいくつかのスケジュールとルールは守らなければなりません。

 自由な空間があるようで、ないようで、自由なようだけれど、実際にはいろいろと制限もあり、いくつかのスケジュールも決まっていてというと、どこかキャンプに似ている感じがします。なーんとなく不安な気持ちにもなって、一人になれるのはトイレの個室だけ‥というあの微妙な感じ。

 ただ、ここには大きな違いがあります。人間関係がひどく非対等で、クロスしていかないのです。家族などの介在者がいないと患者同士のコミュニケーションは始まりません。だからカーテンの隣は知らない人です。お医者さんや看護師さんは仕事の関係としてのつながりを超えることがありません。あくまで固定化した関係がパラレルに大量に流れているのです。

 もちろん病院は患者間コミュニケーションを目的としていないので、当然なのですが、簡素で規則的な生活という共通点を入院とキャンプとの間に思いがけずみつけて、ちょっとおもしろいなぁとおもいました。

 でも、これは考えてみると恐ろしいことです。プログラムの組み合わせばかりに気を向けて、コミュニケーションへの配慮が欠けたキャンプは、あくまでも個人個人のために共同生活が営まれる入院生活となんら変わらないものになってしまいます。最近は“特別なプログラム”が売りにされるキャンプが増えていますが、それだけがよいキャンプの要素と考えるのはちょっと危険です。そんなことを考えさせられた入院生活でした。

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