サイト内
ウェブ

沖縄の教育・女性活動に幅広く貢献した仲宗根澄さんの生涯を描いた1冊

  • 2022年7月7日
  • 沖縄島ガール

沖縄戦後、教育、女性活動、福祉など幅広い分野で活躍した女性・仲宗根澄さんの人生をつづった書籍「人生は、はーえーごんごん 仲宗根澄<明治・大正・昭和・平成>百年の道程」(ボーダーインク)が、このたび発刊された。

仲宗根澄さんは、首里の下級氏族の子として誕生。女性が教育を受けることが難しかった時代に苦労して教師にまでなり、沖縄戦では捕虜となって収容所生活を送るも、そこでの教育から再スタートし、戦後の沖縄の教育面で重要な役割を担うことになる。

このたび、そんな澄さんの生涯をつづったエッセイ「人生は、はーえーごんごん 仲宗根澄<明治・大正・昭和・平成>百年の道程」が刊行された。ちなみに、「はーえーごんごん」は、沖縄の言葉で「一生懸命に走りに走る様子」を指す。

第一部は、沖縄市女性史講座の講師として本書の執筆に関わった大城道子氏による澄さんの紹介からスタート。成績優秀で「三重丸どーさい(三重丸をもらってきましたよ)」と得意になっていた伊波尋常高等小学校での生活を経て、沖縄女子師範学校に合格し、親元を離れて初めて寮生活をスタートする。

卒業後は、伊波尋常高等小学校で訓導(先生)としての生活がスタート。初任給の袋を仏壇に備えたことなど、かなり仔細にエピソードも残り、澄さんの性格をうかがい知ることができる。

そして、結婚、出産を経験。新婚生活とともに宇久田尋常高等小学校での教師生活がスタートするが、その後程なくして夫を失うという、沖縄戦が始まる前にさまざまな人生の経験をすることとなる。

戦争が始まるとやんばるエリアに向けて逃避行をするが、米軍の沖縄上陸から2カ月ほど経過した6月初旬、捕虜となり、石川収容所での生活がスタート。ここから澄さんの第2の人生が始まる。

沖縄の戦後教育は収容所の中で開始され、澄さんもその隊列に加わることになり、教科書も、ノートも鉛筆もない状態で、試行錯誤しながら教育を始めたことが伝わってくる。

その後、婦人会活動も盛んになっていくが、当時は教員が婦人会での活動も兼ねるなど、当然のことながら多忙となり、家庭よりも地域での役目が優先されていった。しかし、こうした澄らの働きもあり、女性の社会的な地位や役割は向上していく。澄は生涯に少なくとも14以上の感謝状や表彰状を贈られるなど多大な功績を残した。

第二部は、澄の孫にあたるミラー 知念ありささんから手記が寄せられた。身内からの手記が加わり、100歳になっても甘党だったこと、ありさと一緒に中城モールに遊びに行ったが、帰りが遅くなってしまったことで誘拐されたと勘違いされたエピソード、世界を旅した澄らしく、世界各地の硬貨が残されていたことなど、澄の人物像がさらに浮き彫りになっていく。

そして、第三部は、さまざまなデータに基づいた「論考」となっている。ここで再び大城道子氏が「<研究ノート>はじめて日本復帰を陳情した女性集団」として筆を取る。最後、彼女は次のように述べている。「女性のがんばりの対象は時代に応じて変化がみられるだろうが、いつの時代でも『子産み・子育て』は最大の課題」。現在もまだまだ社会課題として残されてはいるものの、変えよう・検討しようという動きは確実に大きくなっている。

まだまだ、「ジェンダーレス」や「ダイバーシティ」がまだまだ流行・トレンドと捉えられてしまう現在の日本を、仲宗根澄さんが生きていらっしゃったら、どう評価するのだろう。

「人生は、はーえーごんごん 仲宗根澄<明治・大正・昭和・平成>百年の道程」
発売中 1,980円(税込) ボーダーインク

キーワードからさがす

gooIDで新規登録・ログイン

ログインして問題を解くと自然保護ポイントが
たまって環境に貢献できます。

掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。