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Vol.12 LOHASを知らない「ロハスな人たち」に囲まれて
知子グッドマンさん

  • 2009年3月1日

アメリカの高校でボランティアとして

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ベアクリーク高校のフィールドスタディ引率で学生たちと
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フィールドスタディ引率でロッククライミング指導
 アメリカに移って初めてのボランティア活動は、サムさんの出身高校のプログラムに「引率のカウンセラー」として参加したことでした。全米でも珍しいフィールドスタディで、2週間、電気も水道もない砂漠地帯でキャンプをするプログラムです。基本的には団体行動の中で助け合いの精神や、自然に対する畏敬の念を学ぶものですが、特筆すべき点は、「ソロ」という活動が組込まれていることです。

 この「ソロ」活動は、一人一晩ずつキャンプから外れて個人で行動するものです。ハイウェイから舗装が途切れた道を車で3時間、それから更に徒歩で8時間、アリゾナの砂漠地帯を遥か奥地へと入った場所ですから、都会で独りぼっちになるのとはわけが違います。一人文明社会から離れ大自然の中、テントを張り、火をおこし、湯を沸かし、言葉も発さず、一晩中星を見てひたすら自分と向き合い、内なる声と対話し、日の出を待ち焦がれる。これが思春期の学生にとってどれほど大きな意味を持ち、彼らの人生を実り多きものにするか、予想もできません。サムさんは高校生の時、このプログラムに参加して人生観が変わったと言います。

 安全面や保護者責任などの面からも日本では実施が難しそうですが、この企画の大胆さとそれを容認する保護者や学校の柔軟さはアメリカならではと思います。カウンセラーとして引率の立場でありながら、学生よりも自分の方が教えられることが多かったそうです。


現実に取り囲まれた非現実な街、ボールダー

 日本の雑誌やテレビでLOHASという言葉を見かけることはあっても、「自分とはなんだか遠い世界のことだと思って」ボールダーの街で暮らし始めた知子さん。LOHASとの運命の出会いは、友人からNPOローハスクラブの活動を紹介されたことがきっかけでした。「それからは街のエコフレンドリーな環境がくっきりと意味あるものに見えて、日々の生活も更に楽しくなりました。ただ、移住当初からボールダーに住んでしまった結果、幸か不幸か私はまだ本当のアメリカを知らずにここで生活しています」。

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「車社会アメリカ」なのに、車に乗るのは週に1回程度、その他は全て自転車か市営バスで移動します。街中にバイクパスが張り巡らされ、どこへでも自転車で行ける設計になっているのです。そして、木曜日は自転車の日。夜になると思い思いの飾りをつけた自転車で街の人たちがパレードを行います。とても派手で、ちょっとした見物です。

 「肥満大国アメリカ」なのに、街行く人はとてもスレンダー。ついつい見とれてしまいます。ヨガにピラティス、トレッキングにクライミング、釣りやカヤッキング。とにかくありとあらゆるアウトドア活動が盛んです。

 「大量生産・消費国家アメリカ」なのに、街には地産地消・オーガニックフードが定着し、毎週水・土曜日の朝市では地元農家のとれたて野菜や果物が軒を連ねます。

 多くの街は人口の流入によってどんどん大きくなることを望むのに、ボールダーは市が周辺の自然のままの土地を買い取り、建築物を建てることを禁じた「グリーンベルト」を確保し、人と自然を守る町づくりを行っています。

 この国の潮流とは逆の動きをしてきたボールダーを、人は「現実に囲まれた非現実」と呼びます。ボールダーは『現実に取り囲まれた非現実』な街なのです。


LOHASを知らない「ロハスな人たち」に囲まれて

 日本人以外のボールダー住人はLOHASという言葉を知りません。LOHASの意味を説明すると逆に感心されてしまいます。友人たちとのパーティはポットラックが主流です。冷蔵庫からあるものを持ち寄って無理なく楽しむ。レストランではなく誰かの家でというのが多いです。また、日本でも当たり前になりましたが、街にはお洒落なセカンドショップやリサイクルショップがたくさんあります。余剰品を慈善団体に寄付したいときも、アンテナショップが多数あるので行動に起こしやすく、買物にマイバック、お茶にマイカップを持つ習慣もすっかり定着しています。

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知人宅でご主人のサムさんと
 知子さんは、時折文化交流イベントなどで着付けのデモンストレーションをしています。「着物は流行の洋服とは違い、代々受け継いで着るものですし、古くなってもリサイクル方法がたくさんあり、持続可能性の面でも優れてると思います。外国で生活してみると、異質なものに取り囲まれているからでしょうか、日々自分が日本人であること、そしてアジアの一員であることを強く意識するようになりました。そして自分のルーツを見つめ直したり、自分の国や地域の文化に誇りを持てるようになりました。例えば『中庸』という言葉。その昔、孔子が賛嘆したとされる儒教の伝統的な中心的概念。偏らない、かといって中途半端という意味ではない、過不足が無いという不思議な語感。曖昧とか、自己主張不足とか批判されることも多い私たち東洋人の持つ柔軟かつ奥ゆかしい考え方にもっと誇りを持ってもいいよ、そんな風に聞こえるんです。LOHASの持続可能性という考え方と共通する部分があるのではないかと最近感じ始めています」。


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