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Vol.127 先の参議院選挙で考えたこと その1

  • 2013年8月1日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 今となってはずいぶん昔の話のようにも感じられますが、先月、参議院選挙がありました。すでに、いろいろな立場の人がいろいろな分析や感想を発表していますが、僕も備忘のためにいくつかのことを書いておきたいと思います。

 ひとつは、「ネット選挙解禁」について。この連載もインターネット上で展開されているわけですが、こうしたインターネットを通じた社会意識の共有や広がりということに関して、先日の選挙はやはりちょっと考えさせられました。

 いちばん単純なところで言えば、僕のなかでは投票率が下がったのがちょっと意外だったんです。SNSのなかでは「選挙に行こうぜ!」という気運が高まっているように感じられたんですけど、でも「行こうぜ!」と言ってた人たちは前から選挙に行ってた人たちだったんでしょうね。ということは、ネット上での「選挙に行こうぜ!」というはたらきかけは、あまり影響力がないということなんでしょうか? そうしたはたらきかけは、別のメディア、別のチャンネルで行ったほうが有効なんでしょうか?

 僕がこの連載で伝えようとしていることも、別のメディアで発信したほうがより有効でしょうか? この連載を実際に読んでいる人が実数としてどれくらいいるのかわからないですけど、とりあえずこの連載は無料ですから、誰でもインターネット環境があれば見ることができるわけですよね。でも、紙にして出版して本屋さんに並べたら、いままで届かなかった人に届く可能性もあるわけです。ここに毎回アップしている内容を単純に書籍化しただけのものでも、お金を生み出す上に、さらに広がりを持てるのかもしれないということは考えてしまいますよね。僕は、お金を払って手に入れるということはハードルになると思ってたんですけど、そうじゃない場合もあるのかなっていう。欲しいと思う人にとっては、タダで手にするよりも価値があると思えることがあるのかなというふうにも思いますね。それはもちろん、ネットに限界を感じたということではないですよ。緑のgooにこれまで僕が言ってきたことがアーカイブされているということはうれしいし、少なくとも僕にとってはすごく意味のあることなんですけど。ただ、発信ということを考えると…、僕自身は大げさに発信しているつもりはないんですけど、それにしても今回の選挙のようなことがあると、自分が生活する上で触れている世界というのがいかに小さいかということをあらためて感じるんです。それは誰もが思ったことだと思うんですけど。人は、欲しい情報を貪欲に取るし、逆に欲しくない情報は無視しがちだから。

 お金を払わないと手に入れられない物ばかりに囲まれているときには、“もっと便利で、もっと安価で、あわよくばタダで”というニーズが高いし、だからこそタダで便利なものが広がっていくパワーがすごくありましたが、でもこれからはそういうことが普通になっていくと思うんです。YouTubeのように、音楽や映像が基本的にはタダで楽しめるということになってくる。“どういう仕組みかはよくわからないけど、見たいもの、聴きたいものがタダで手に入るからいいや”ということですよね。ユーザーはお金を払わないけど、どこかでお金が動いているという仕組みはどんどん増えていくと思うし、あるいはSportifyやHuluのような定額サービスも増えていくでしょう。ただ、その一方で“俺はコイツにお金を払いたいんだ”とか、自分が主体的に選んで自分のものにしたいという感覚もなくならないだろうし、あるいはむしろ強まっていくようにも思うんです。そこで、自分が気に入った音楽家や作家を応援する形として、寄付するという文化が根づいていくのであれば、それはそれでいいのかもしれないし。それから、聴きたい、見たい、読みたいという欲望を処理するためには、ユーザー自身がある程度のありがたみを演出する必要があるのかなというふうにも思うんですが、それはじつは送り手側にとっても重要なテーマであるように思います。


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