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Vol.126 良いハーモニー作りの心得はすべてのコミュニケーションに通じていると思います。

  • 2013年7月18日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回の最後に、「“アカペラを歌うというのはそもそもどういうことなのか?”とか“ハーモニーとはどういうことなのか?”ということについて考えることで、人間関係や自分のあり方についてのいろんな葛藤を乗り越えるヒントをつかめるということは確かにあると思う」と書きましたが、その詳しい説明をする前に、“アカペラを歌うというのはそもそもどういうことなのか?”ということに関して僕が学生とどんなやりとりをしているのかをまずご紹介しましょう。

 例えば、「自分は正しい音を歌ってるのに、相手が低いか高いか、とにかく音を外したことでグループとしてのハーモニーが崩れてしまったという経験をしたことがある人は?」と聞くと、かなりの人が手を挙げます。そこで僕は、「そう考えるのは無理もないし、確かにそうだったのかもしれないけれど、でもアカペラを歌うということを本質的に考えればそれは有り得ないのではないか」「平均律ってどういうことだと思う?」と問いかけます。

 これだけだとわかりにくいので説明しますね。ちょっと乱暴ですが。

 基本的には、人はそれぞれひとつの音しか出せませんが、でも音程を自由に変えることはできます。だから、理想的な響きというものをその場その時々で常に追求することができるはずです。それに対して、一般に音程を確かめるのに使うピアノはいったん決めてしまえばその音程を変えることはできない構造になっているので、そこにはいわば妥協があるんだ、と。言い換えれば、ある調で100点が出るようにすると別の調では20点の響きしか生み出せない場合があるから、どの調でも75点の響きが出せるように設定してあるということです。そういう考え方こそが、平均律なんです。で、その平均律の考え方で成り立っているピアノを基準にして合わせたハーモニーも、その基準のなかで完璧にやれたとしても75点の響きだということなんです。というわけで、追求すべきは、「誰が正しい」とか「どれが正しい」ではなく、関係性の最適な美しい有り様なのではないか。僕はみんなに、そういう話をします。

 あるいは、音楽を作り上げていく過程で現実に鳴っている音のリズムがズレているという場合に、それはそのメンバーの感じ方がズレているのか、それともちゃんと感じてはいるけれど表現する技術が足りなくてズレてしまっているのか、その両者の間には大きな違いがありますが、聞こえてくるものだけで判断するのはとても難しいですよね。だから、その違いは考えない、ということになりがちだけれど、むしろそこを突き詰めてみるという姿勢こそが大事なんじゃないかという話をします。具体的に、直接「俺が今出してるこのリズムは気持ちいいの?」と相手に聞いてみようよ、と。で、気持ちいいけれどもズレているのであれば、そのズレている人の表現上のスキルの問題ということになります。でも、そもそもあまり気持ち良く感じていないとすれば、そのリズムに対する感じ方が違っているということですよね。だとすれば、あらためてみんなが気持ちいいと感じられるリズムを違う角度から提案し合うということを積み重ねていくことが必要です。

 音楽にかなり入り込んだ話になってしまいましたが、例えばアンサンブルという言葉はいまや音楽の分野だけではなく、何かを作り上げる集団について語る場合に広く用いられていますよね。良いアンサンブルがあり、悪いアンサンブルがあります。その良い/悪いの基準に関して、というか僕の好みで言えば、誰か一人に他の人間が乗っかるという形になっている時点で僕の好きなアンサンブルではありません。構成員それぞれが、自分たちが作り上げようとしているものの様々なポイントについて、「いい!と感じているのはここだよね」ということをお互いに共有しようと提案し合うことで、その集団のど真ん中に集団の答えがあるという状態が本当のアンサンブルだと、僕は思っています。

 そういう僕が始めたAWSにキミも参加しないか!と、この文章を結べば、怪しい団体の勧誘みたいになってしまいますが(笑)、もちろんそんなつもりはなくて、この文章を読んでくれたみなさんが、それぞれのサークルやコミュニティのなかでこういうグループ・コミュニケーションを意識すると新しい世界が開けてきたりするんじゃないかなと思っています。


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