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Vol.106 お互いに「イエス」と言える違いをできるだけたくさん積み上げるために必要なこと

  • 2012年9月20日

 みなさん、こんにちは。ゴスペラーズの北山陽一です。

 前回は、この国にかつては確かにあったはずなのにちょっと忘れ去られているように思える、“お互いの違いを認め合い、受け入れ合って、その違いを積み上げていく”という意識が大事なのではないか、という話をしました。この連載では新しい地域コミュニティのあり方を考えることが主要なテーマのひとつになっていますが、お互いの違いを認め合って積み重ねていくというその考え方は、そうした人の集まりについて考えるうえでまさに基本になるものだと僕は思っています。また、いわゆるエネルギー問題については国民的な課題として様々な議論が交わされていますが、その議論を生産的な方向に進めていくためにはそれこそお互いの考えの違いをまず認め合い、その違いの質を冷静に吟味していくことが求められていると思います。

お互いに「イエス」と言える違いをできるだけたくさん積み上げるために必要なこと 僕は思うんですが、“気に入らない存在は根絶やしにしてしまえ”という考えを実行する動物って人間だけなんじゃないでしょうか。例えば、肉食獣に襲われる危険から永遠に解放されるように、水牛が群れとして力を合わせて肉食獣を駆逐するというようなことが、その気になればできないことではないだろうに、なぜしないのか?ということは考えてみる価値があるんじゃないでしょうか。水牛にはそんな知恵がないんだよ、と笑い話にするのは簡単ですが、それにしても気に入らない存在を全滅させようと考えるのはおそらく人間しかいないし、しかも人間は人間同士でそういうことをやってしまうわけですよね。

 例えば、人類の未来を危うくするような病原菌とか、そういうものは絶滅させたほうがいいんじゃないの?なんていう人もいるでしょう。でも、よく考えてみて欲しいです。僕だって死にたくはないですから、出来れば生き物としての僕にとって危険な存在にはあまり近づきたくないです。でも、それと、そういう存在をこの世から消し去ろうとすることは全然違う話です。個人的に気に入らない考えや、相性が良くない人、そういうものの存在を認めないというのと一緒といえば一緒です。敢えて言えば、かなり子どもっぽい発想だと思います。でも、残念ながら、そういう考え方をする人が少なくないと感じているのは、多分僕だけではないでしょう。

 そういう現状について思うことのひとつは、自分が気に入らないこと、理解できないこと、ひと言で言えば「ストレスの原因になるようなこと」というふうにも言えるでしょうが、そういうことに対処する能力がちょっと足りないんじゃないかなということです。もちろん、現代社会はじつにストレスフルだし、その程度は日増しに高まっていると言っても言い過ぎではない状況だと思います。それにしても、ストレスを軽減する努力と、ストレスに対抗する力をつける努力と、その両方が不十分という人が増えているのかもしれませんね。

 僕自身の経験から言えば、ストレスに対抗する力ということを考える場合、臓器のコンディションはすごく重要だと思います。僕は以前、すごく胃腸が弱くて、当時の僕がいま病院に行けば、パニック障害とか過敏性胃腸炎とか、そういう診断をされたかもしれません。実際、ステージ本番前によくトイレにこもって吐いていたりしてましたから。で、いろいろ試しましたが、結論としては、ものを食べるときに咀嚼の回数を増やしたり、食べ物の内容や食べるタイミングに気を使うことによってそういう状態を克服しました。つまり、僕の場合ストレス対処法はフィジカル・コンディションを整えるということだったわけです。心的ストレスという精神的な問題を、身体の状態を整えることで解決するというのはスポーツの世界ではよく聞く話だし、その逆、つまり精神を整えることで身体的な問題を克服するということもあるだろうと思います。いずれにしても、精神的、あるいは身体的に、自分のなかのどういうシステムが機能することで自分は生きていられるのか、ということをよく知ることが結果的には“生き物”としての弾力性を強くすることができる。平たく言うと、タフになる、ということにつながるんじゃないかと思います。

 そうすると、話は最初に戻るんですが、自分とは違う考え、相性が良くない人、気に入らない事柄、納得できない状況等々、これまでストレスに感じていたことに対して、もう少し優しくなれるんじゃないかなと思ったりしています。


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