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Vol.85 小泉八雲のはなし

  • 2015年6月11日

 立夏を過ぎて早くも夏のような暑い日が続いています。少しずつ気温も上がり、蒸し暑い夜には背筋の凍る怪談話が似合います。日本の怪談の代表作家といえば小泉八雲。またの名をラフカディオ・ハーンと言い、アイルランドで育ち、その後アメリカへ渡り、出版社の通信員として1890年に来日しました。以後、日本の民話や伝説を深く研究し、独自の解釈で作品を発表し続けました。

 僕は昨年の11月に、ライブツアーの道中で島根県の松江市を訪れたのですが、小泉八雲は英語教師として松江に暮らし、そこで小泉セツと出会ったのちに結婚して、日本国籍を取得します。松江のほかにも日本各地を転々と暮らし、晩年は東京の早稲田大学の講師を務めました。

 そんなゆかりの地・松江に建てられた小泉八雲記念館に足を運びました。「ヘルンと家族」という企画展が開かれていて、妻セツや、のちに作家や画家となる4人の子供たちにも焦点を当てていました。ちなみに当時小泉八雲は、名前の響きから「ヘルンさん」と呼ばれていたそうです。

小泉八雲記念館

 その企画展のなかで印象的だったのは、八雲の教育方針でした。学校の教育だけにまかせず、家でもきちんと勉強を教える「ホームスクーリング」というスタイルを、とくに長男の一雄には徹底していたそうです。英語のレッスンは「リ・エコー」としてのちに出版されたほど。そのとき僕にも子供が生まれたばかりだったので、ふむふむとメモに書き留めておきました。

 代表作は「雪おんな」「ろくろ首」「耳なし芳一のはなし」などでしょうか。それ以外にも怪談の名作は多く、どれも身の毛のよだつ話ばかり。昔の話だと思ってナメてかかると痛い目に遭います。文庫本を買って眠る前によく読んでいましたが、かえって眠れなくなりました(笑)。

小泉八雲集

 でももちろん、怖い話だけではありません。「果心居士(かしんこじ)のはなし」という短編があります。戦国時代の頃、あまりにも見事に描かれた仏画を掲げて、庶民に向けて仏の道を説いている果心居士という老人がいました。織田信長はその絵を大変欲しがりますが、老人は黄金百両を要求し、交渉は破談。後日、信長の家臣が老人を切り殺し、その絵を奪います。そして信長に絵を見せると、なんとただの白紙になっているのです。

 しかも死んだはずの老人は生き続け、仏画を持って街をまわっていました。同じ家臣が老人を捕らえ、魔法で人をたぶらかしていると奉行の前に連れ出します。すると老人が「仏画を自分のものにして信長公に白紙の絵を見せたのはおまえだ」と逆に家臣を追求し、家臣は捕らえられます。しかしそれは老人の嘘でした。のちに家臣の弟が敵討ちに老人の首を切り落として持ち帰ると、その首は酒瓢箪(さけびょうたん)に変わっていました。

 やがて信長は明智光秀の謀反によって倒れます。光秀はその後たった12日間の天下を取りますが、その期間に老人の噂を聞き、呼び出して酒をふるまいます。老人は部屋に置かれている近江八景の屏風を指差しました。すると湖の上に浮かんでいた小舟がこちらに向かってきて、湖の水が部屋に溢れ出て、その場にいた者たちは腰まで水に浸かってしまいます。老人はその小舟に乗り込むと、屏風のなかに吸い込まれて消えてしまい、湖の水も引いていきました。

 こんな風に、現実にはありえないファンタジーに満ちた話もたくさん登場します。今の時代でも、神話に基づいた巨大なスペクタクルの映画などがありますが、その元祖を読んだ気がしました。昔の民話は想像力に溢れていてとても面白く、奥深いです。それを自分なりにアレンジして、外国人の視点で日本人に紹介した八雲は、名プロデューサーだなぁと思いました。小泉八雲監督のホラー映画があったら、どんなに恐ろしいか、、、。

小泉八雲のお墓

 先日、都内の雑司ヶ谷霊園にある小泉八雲のお墓をお参りしてきました。八雲に日本の昔話や怪談を語って聞かせ、その作品群に大きな貢献を果たした妻セツのお墓も、隣にありました。ふと、またもう一度、松江を訪れてみたくなりました。松江には、日没時刻からスタートして八雲の怪談を体感出来る「ゴーストツアー」もあるそうです。少し怖いですが、いつか参加してみたいものです。




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